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ファリーンは気がつけば、暗闇の世界にふわふわと漂っていた。前世の”キャシー”の記憶が次々と頭の中に映し出され、蘇ってくる。
──大好きだったのに、ドラッグに手を出したパパとママのこと。
──両親と引き離されて補助金目当てのクソッタレな里親に預けられた時のこと。
──居場所を求めて夜の街を彷徨っていたら、似た境遇の仲間と出会った時のこと。
──仲間と一緒にクレイジーな事ばかりやらかしたこと。
他の非行グループとの小競り合いとか、気に食わない事をしている連中のネットワークに、ウィルスをぶち込んだりとか。それはもう、いろいろとやらかした。キャシーは札付きの非行少女だった。
『Jesus……』
(いや、ファリーンが信仰しているのは天空神なのだけれど)
キャシーとして生きていた頃は、死んだら天国か地獄に行くものだと、当然のように思っていた。幼い頃、本当の両親に連れられて行った日曜のミサで、神父様が説いていた。キャシーはその話をずっと覚えていて、自分はきっと地獄に行くんだと、なんとなくそう思っていた。
まさか違う世界に別の人間として生まれ変わるなんて──それも終身刑の囚人になんて──想像もできなかった。
(まぁ、死刑囚よりは、マシかしら)
本来この国では、千里眼の能力を持つと詐称する事は死罪に値するので、命があるだけ、ファリーンは幸運だった。
そもそも千里眼の能力を偽る事は不可能に等しいが、ファリーンの秘密を嗅ぎ取る能力は、謂わば、他人の内側を覗き見るような力だ。
ファリーンは、目を合わせた人物に隠し事や嘘──所謂”秘密”があれば、”匂い”から”秘密”に関する情報を得る事ができる。アーチボルト卿は、この能力があれば娘を聖女と偽って就任させ、さらに大きな権力を得る事ができると踏んだのだった。
千里眼は見たい時に見たい物が見えるわけではなく、過去、現在、未来の何が、いつ見えるのか、能力者本人にも分からないという、強力だが不安定な能力だ。そのため、千里眼の真贋を判じる事は非常に難しい。それにつけ込み、ファリーンは城内の人間の秘密を暴くことで、千里眼の能力を持っているフリをした。
どうせだったら多少はマシな事をしようと、ファリーンはなるべく汚い匂いがする秘密ばかりを選んだ。
──ある執政院の官吏は、地方に別の名で家族を持っていた。
──ある司法院の武官は、試験を代理人に受けさせ、口封じまでしていた。
──ある元老院議員は、この国では所持を禁止されている奴隷を他国から買っていた。
秘密を暴く時、まずファリーンは狙った人物と目を合わせ、嗅ぎ取った匂いからそれとなく揺さぶりをかけていく。何の心構えもなく自分の秘密に近い話題を振られると、ほとんどの人間は動揺して、話さなくて良い事までポロッと漏らしてしまう。
そうやってファリーンが得た情報をもとに、アーチボルト夫妻は人脈と金にものを言わせて裏を取り、力技で”千里眼”を演出したのだ。夫妻は知り得た秘密を使って脅迫まがいなことまでしていたようだったが、ファリーンに止められるはずもない。
しかし、道を踏み外したものには、必ず罰が下る。やがて現れた本来の新しい聖女──アリス・センツベリーによって、ファリーンの能力は千里眼ではないと看破された。
アリスに千里眼が発現したのは、先代の聖女が亡くなった日の事だった。アーチボルト卿とファリーンが屋敷の書斎で密談する様を”見た”のだという。
彼女はその後、密かに騎士団を味方につけた。彼らも、黒い噂があるアーチボルト卿に疑いの目を向けていたらしい。ライオネルをはじめとする騎士達と協力し、夫妻の不正の証拠を集めると、アリスは颯爽とスフェール城に足を踏み入れた。
──そうして、アーチボルト夫妻は引導を叩きつけられたのだ。
ファリーンには、アリスが救いの光に見えた。自分と両親を止めてくれた彼女は、正しく聖女そのものだった。
(だから、アリス様を守りたかった)
半狂乱になった夫人がアリスを殺そうとした時、ファリーンはとっさに彼女を庇い、母親が突き出した短剣を腹に受けた。あと一センチでも刺さった場所がずれていたら、助からなかったそうだ。
そうして捨て身でアリスを助けた事で、ファリーンは死刑を免れる事ができた。と言っても、殺されないというだけで、一生、監獄島から出られないのだが。
『でも、普通、身分詐称なんて、詐欺罪よね。精々が十年くらいのものでしょ。それも初犯で、未成年よ? どうかしてるわ、この世界!』
キャシーの記憶が戻ったファリーンは、当然、故郷の罪の基準も思い出した。ファリーンは先月獄中で誕生日を迎えたが、当時は十七歳の未成年だった。そもそも大人と同じ基準で裁かれる事自体、滅多にない。国選代言士──代言士とはこの世界での弁護人の事だ──が偽聖女であるファリーンを敵視していたので、仕方がないのかもしれないが、やっぱりフェアじゃない。
『なんだか大人しく牢屋にいるのも、馬鹿馬鹿しくなってきたわね』
どうにかこのジメジメしたカビ臭い牢獄から逃げ出す方法はないか、そう考え始めたと同時に、意識が浮上し始めた。
目の前が白んで、ファリーンは咄嗟に目を瞑る。次第に全身の感覚がハッキリし始め、自分が冷たい石の床ではなく、硬いけれど、ベッドに寝かされているという事に、ファリーンは気づいた。