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 それは、ファリーンがライオネルに手紙を送った、翌日の事だった。


「──貴様も奴らの仲間なのだろう!?」


 突然独房に荒々しく足を踏み入れたウォルターに驚いていると、ファリーンは抵抗する間も無く胸倉を掴み上げられた。

 ウォルターの額には脂汗が滲んでいて、うねった髪が一筋貼りついている。目は血走っていて、ファリーンを掴む手は怒りからか、焦りからか、ぶるぶると震えていた。

(調査の手が入って、彼の職務怠慢が明らかになったのかしら?)


 それで八つ当たりに来たのかと思うと、目の前の怒り狂った男が実に情けなく見えて、ファリーンは笑いを堪えきれなかった。


「何を笑っている! やはり貴様はコーネル卿と通じていたのだな。中央広場であの男とただならぬ雰囲気だっただろう! 知らないフリとは小癪な娘め。奴の計画をどこまで知っていた!? 吐け!!」


「なるほど、あの男はコーネル卿だったのね」


(なんて口の軽い武官かしら)


 呆れを通り越して、ファリーンは感心してしまった。


「白々しい事を!」


 冷静さを欠いているウォルターと睨み合っていても時間の無駄と判断したファリーンは、掴み上げられたまま記憶の中をさらう。


 コーネル卿とは、レイモンド・コーネルの事である。先代の聖女が他国からの持ち込みを禁止した違法植物を大量に密輸入し、二年ほど前に監獄島に投獄された議員貴族だ。

 ファリーンは今まで彼と直接面識はなかったが、コーネル卿は三院の中でも、立法機関と呼ばれる元老院の議員であり、ファリーンの父、アーチボルト卿もまた、元老院議員だったので、たまに両親の話題に名前が出てくる事があった。


(確か夫人を早くに亡くして、一人娘はコーネル卿の逮捕時、行方をくらましたとかなんとか、そんな話を聞いたような……)


「──黙ってないで何か言え! この女狐めが!」


 考え事をしていたことが仇になった。痺れを切らしたウォルターはファリーンを独房の壁に叩きつける。受け身を取り損ね、ファリーンは硬い石壁に強かに頭をぶつけた。

 痛みを覚える間も無く、しまった、という顔をしたウォルターがぼやける。

 視界が暗転し──ファリーンは意識を手放した。




 ──日が暮れ始めた通りを、少女が一人駆けていく。

 ファリーンは彼女の瞳から、その世界を見つめた。

 通り過ぎていく景色は、どこか荒んで見える。建物の窓には鉄格子がついていて、コンクリートの壁にはスプレーで落書きがしてあったり、塗装が剥げかかったりしている。路地の隅にはゴミが散乱し、踏みつけられた跡があった。

 

(これは、”あたし”の記憶だわ)


 この、まるで現実のように鮮烈な映像は──ファリーンがウィスタリアに生を受ける前の記憶だ。ファリーンの前世は、ウィスタリアとは別の世界にある、USA(合衆国)の西海岸はL.A.(ロサンゼルス)に暮らしていた、キャシー・カークという名の少女だった。


Holy shit!(やっば!)


 汗が滲む頬に髪が張り付き、耳からいくつもぶら下がったピアスが揺れる。汗を拭う腕には、派手なタトゥーが彫られていた。

 キャシーは息を短く吸って、吐く。ぜい、と胸が鳴った。ごくりと、口に溜まった唾を飲み込む。酸素を求めて口を開き、アスファルトを蹴る──と、何かが空を裂き、薬莢が転がる音がして、キャシーの身体が傾いだ。


「──ッ!」


 燃えるように、カッと腹が熱くなり、声にならない声がキャシーの喉から飛び出す。痛々しい悲鳴が路地に響いた──が、誰一人として、様子を窺いに来る気配はない。

 ──けれど、それも仕方無い事だ。

 サウス・ロサンゼルスという地区は、そういう場所なのだ。何か騒動が起きたとしても、見て見ぬ振りをしなければ自分の命すらも危ういことを、ここの住民は身をもって知っている。

 歯を食いしばりながら地面に膝をつき、蹲った。


「キャシー・カークだな?」


 淡々とした男の声が、名前を呼ぶ。だが、あんまりにも今更な質問だった。弾丸はとっくに、キャシーの身体を貫通しているというのに。


「……あたしが違うって言ってたら、どうするつもり……だったのよ?」


「実際、間違ってないだろう? 俺は、下準備は念入りに行うスタンスでね。お嬢ちゃんの事は、ここしばらく監視していた。まぁ、万が一違っていたとしたら、相当運が悪かったってことだな」


 ゆっくりと、靴音がキャシーに近付き、つれて、じわじわと赤黒い血が地面に広がっていく。男はそれを見ながら、ピクリとも表情を変えない。彼の片手には、サイレンサー付きの銃が握られていた。


「キャシー・カーク、十七歳。里親の家を抜け出して以来、住所は不定。探し出すのに骨が折れたぞ。お嬢ちゃんの不良仲間グループには、なかなか腕の良いハッカーがいるようだ」


「……どうも」


 蹲ったままキャシーは男を見上げ、ふてぶてしく笑った。

 唇の端から赤い泡が溢れる。腹を押さえた手のひらの隙間から、絶え間なく温かいものが流れ出ていた。

 男は背を曲げて丸くなるキャシーの肩を掴み、仰向けに転がす。体にうまく力が入らず、最早、抵抗することはできなかった。硬い銃口が、キャシーの額に押し当てられる。せめてもの抵抗として、男を憎々しげに睨みつけた。


 意外にも、男は爽やかな相貌をしていた。仕事帰りのビジネスマンといった見た目で、三十代半ばくらいの二枚目だ。もしも、たまたまここに警察が通りかかったなら、怪我をしているとは言え、ピアスやタトゥーが目立つ、一見して素行の悪そうなキャシーの話よりも、この男の話を信用するだろう。それほど彼は、いかにもまともそうな男なのだった。人というものは、見かけによらないのである。

 ──いや、一見普通の人間に見えるからこそ、殺し屋に向いているのかもしれない。と、キャシーは思い直す。


「ガキんちょ共のくせにL.A.でも指折りのギャングに手を出すとは、大したもんだ。おかげで大損だって雇い主が泡を食ってたぞ。まぁ、健闘した方だとは思うが、奴らから逃げ切れる筈もない。残念だったな」


 ……どうやらこの男は、ギャングに雇われたヒットマンらしい。

 あのクソみたいな連中に痛手を食らわせてやれたなら、地獄の手土産ができてよかったと、キャシーは心の中でせせら笑った。


「随分と肝の据わったお嬢ちゃんだ」


 一向に怯える気配がないどころか、薄っすらと笑みすら浮かべているキャシーを観察しながら、男は眉を上げた。


「こんなところで死ぬのがもったいないだな。何だってギャングの”商品”をFBIに送りつけるなんて真似をしたんだかね? 悪戯にしちゃ、相手が悪すぎる」


 呆れ返ったように男はため息をついて、首を捻る。銃を握っていない空いた手で後ろ頭を掻いた。


「おかげでこっちは、胸糞の悪い仕事を請け負う羽目になっちまったし。こんな仕事は主義じゃ無いんだが」


「じゃぁ、殺さなきゃいいじゃない」


「残念ながら、そういうわけにはいかない。俺はしがないフリーランスの、雇われヒットマンだからな。受けた依頼は真面目にこなさないと、次の仕事が来なくなる。ついでに命もなくなる。……逃げられないのはお互い様だな」


 やれやれ、と男は肩を竦めた。


「大人の汚れた世界に首を突っ込まず、ガキはガキらしくママの子守唄でも聞いて、良い子にねんねしてりゃよかったものを」


「残念だけど……あたしにママは、もういない!」


 男は「そういえば、そうだったな」と悪びれずに言って、ガラス玉のように無機質な目でキャシーを射抜く。仕事として殺しをする者の、一切の情を切り離した目だった。

 ──お喋りの時間は終わりだと、男の目が語る。


 キャシーは、ごくりと喉を鳴らした。彼は、例え相手がたった十七歳の子供だろうと、容赦無く冷徹に仕事を完遂させるだろう。それが、殺し屋というものだ。ギャングが抜港するこのL.A.南部で、ヒットマンに狙われたターゲットが命を拾うなんて殆ど有り得ない事だった。

 ──それでも。たとえ無駄だと分かっていても、キャシーは懇願するしか無かった。

 遠くの方から複数の足音と、キャシーを呼ぶ声が近づいてくる。自分の仲間だと、見えなくても分かった。


「ねぇ、おねがい……な、仲間は……見逃して」


 男は眉を下げ、何も答えず──トリガーを引いた。


 ……これが、キャシー・カークの最期の記憶だ。


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