1
「──神聖なる御力”千里眼”を偽り、自らを聖女候補と詐称するなど、神を冒涜する大罪である。よって、大いなる天空神の名のもとに、ファリーン・アーチボルト被告に無期限の禁錮を言い渡す」
──聖国ウィスタリアで死罪の次に重い刑が、ファリーンに言い渡された。
刑の重さを定める司法官が木槌を鳴らし、「終身刑!」と声を響かせる。傍聴席から歓声が上がった。
「当然の報いだ!」
「偽聖女は牢で悔い改めろ!」
傍聴人達の罵詈雑言に顔を強張らせながら、ファリーンは証言台の上でスカートを摘み、なるべく優雅に見えるようにお辞儀をした。
顔を上げると、司法官は冷ややかな目でファリーンを睨みつけていた。傍聴人が騒げば静粛を求めたり、あるいは武官を呼ぶ事も彼の仕事のはずだが、敬虔に天空神を信仰する司法官にとっては、多少法廷が騒がしくなる事よりも、偽聖女が苦しむ事の方がずっと重要な事のようだった。
「──司法官殿、傍聴人達が騒がしいようですが」
低い声が透り、波が引くように法廷内が静まった。
聞き知った声に、ファリーンの肩の力が少し、抜ける。
司法官は咳払いをして木槌を鳴らし、シンとした傍聴席を一瞥すると、声の主、つまりは控えていた、若い騎士を呼ぶ。
判決が下ったので、ファリーンを刑務所へ護送しなければならない。
通常、罪人を護送するのは武官の中でも下級武官の役目だが、ファリーンのような能力を持つ者を常人が連行するのは、些か荷が重い。そのため、能力者の連行には、能力が備わっている特務武官が担当する決まりだ。
それなのに、ファリーンを護送する武官はどちらでもなく、”騎士”だった。
騎士とは、ウィスタリアを支える三院の一つ、法執行機関である司法院において、犯罪捜査や武力行使を担う武官の中でも選りすぐりの精鋭に与えられる、特別な称号の事を指す。ウィスタリアにおいて、騎士の号を持つ者は僅かで、殆どが特務武官から選ばれた者達だ。優秀な武官の筆頭である騎士が囚人の護送を担当する事は滅多に無く、聖女を騙るという事は、それだけ重い罪に他ならないのだった。
司法官に呼ばれた騎士は、傍聴人達には目もくれず、ツカツカと証言台に歩み寄った。薄藍色の瞳が、ファリーンを見下ろす。
彼こそ、ファリーンを逮捕した騎士であり、世間では剛力の獅子と誉れ高い、ライオネル・グラントその人だった。
二十三歳という若さにして特務武官の班を一つ任されている、優秀な若手騎士だ。
濃紺の武官の制服が、琥珀色の髪によく映えている。前髪を上げていると、彫刻のようにはっきりとした目鼻立ちが強調され、迫力すら感じさせる美しい青年だった。
「ファリーン嬢、貴女を監獄島へ連行する」
監獄島というのは、ウィスタリアの南西に位置する青凪湾に浮かぶ孤島だ。重大な罪を犯した能力を持つ犯罪者が送られる場所で、殆どの受刑者はそこで残りの一生を過ごす事になる。
そこへ送られる事は、ファリーンも予想していた。無言で頷き、両手を差し出す。
移動の際には、逃亡を防ぐために罪人に手錠をかける決まりだ。
ライオネルは女相手に遠慮でもしているのか、そっと、壊れ物を扱うようにファリーンの手を掴んだ。硬質な音が響いて、手錠が両手首にかけられる。
鎖で繋がった、ずっしりと重いそれを腕ごと持ち上げると、不意に嗤いが込み上げてきて、ファリーンは口元を押さえた。
「どうした?」
律儀に尋ねるライオネルの顔を見上げて、おさまらない自嘲を浮かべたまま、ファリーンは首を振る。
「いいえ、何も。……そうよ、何も……ない」
突如笑い出したファリーンに法廷中の人々が奇異の目を向ける中、なぜか、ライオネルだけは顔色を変えなかった。その海の色をした、静かな蒼い瞳を見て、ファリーンは次第に落ち着きを取り戻す。
海は、屋敷から殆ど出る事を許されなかったファリーンの、唯一の慰めだった。
屋敷の窓に区切られた、ノーブルの街とスフェール城の向こうに広がる水平線。天気によって色が変わるが、ライオネルの瞳の色は、晴れた日の海によく似ている。
だからだろうか。つい、余計な一言がファリーンの唇からこぼれた。
「結局私は、自分の人生を歩めなかったのね」
ライオネルは何か言おうと口を開いて、言葉が見つからなかったのか、何も言わずに唇を結んだ。沈痛な面持ちのライオネルを見て、ファリーンは我に返る。
(こんなところで、よりにもよって自分を逮捕した騎士を相手に、私は何を言っているのかしら)
「ごめんなさい、気にしないで。……ああでも、一つだけ教えてほしいわ」
「答えられる事であれば」
ライオネルは頷く。
ファリーンは呼吸を整えて、なるべく声に感情を乗せないようにして、尋ねた。
「両親の刑罰は、どうなったの?」
彼は一瞬言葉に詰まった後、目を逸らさず、短く答えた。
「死罪だ」
「……そうでしょうね。そうなるべき、だわ」
両親が殺されると聞いた娘としては、涙の一つでも流すべきだろう。けれどファリーンは、涙なんてどうやって出したら良いのか、わからなかった。
涙のかわりに、溜息を落とす。
「教えてくれてありがとう。もういいわ、行きましょう」
ライオネルは無言で頷き、腰縄をファリーンにかけた。衆目の中、ファリーンは縄を引かれ、法廷を去る。
最後まで顔を上げたまま、決して俯くことはしなかった。
──こうして”聖女を騙った悪しき令嬢”は、監獄島に収監された。
監獄島は、朽ちかけた廃墟同然の物寂しい場所だった。霧に覆われていることが多いせいで、建物はところどころ苔むしていて、微かにカビ臭い匂いがする。陰鬱とした空気が島中に漂っていた。
ここは島全体が能力者専用の刑務所として運用されているが、そもそも能力者自体が希少な存在なので、収容されている囚人の数が少ない。そのため、あまり予算が回されておらず、建物の改修が後回しになっている。
ファリーンは中でも、特に年季が入っている北の女子棟に収監される事になった。
女子棟に入る前に、「規則だから」とファリーンの長く艶やかな黒い髪は看守の手でばっさりと切られた。散髪が終わり、「確認しろ」と手鏡を渡され、耳に少しかかるくらいまで短くなった自分の髪を見て、ファリーンはぽかんとした。
(男の子みたいね)
この国で、ここまで髪を短くする女性はいない。本来の髪の長さの規定も”肩につく程度の長さ”だ。それなのに、肩どころか、襟足まで短く刈られてしまっている。
恐る恐る後ろ頭に触れてみると、指の腹がちくちくした。
髪を切った看守は信仰深い人物だったので、聖女を騙ったファリーンを許せなかったのだろう。呆然とするファリーンを見て、「そのくらいが、貴様にはお似合いだ」と、彼はせせら笑った。
(でも、これはこれで、お父様と同じ髪色が目に入らなくて良いかもしれないわ)
気を取り直してファリーンが微笑むと、その看守は面白くなかったのか、これ見よがしに舌打ちした。
髪を切られ、囚人服を着せられたファリーンは、鉄格子がついた小さな窓がある独居房に入れられた。
薄暗く、寝る場所と用を足す場所があるだけの、この狭い空間が、ファリーンがこれから生きていく場所だ。
あまり手入れが行き届いておらず、雨漏りがする事もしばしばだった。鼠がベッドの下を走る事もあり、齧られないかと心配で、ファリーンはここに来てから、あまり深く眠れていない。
酷い環境だが、唯一の救いは、とても静かな事だった。島に寄せる細波の音と海鳥の鳴き声が時折聞こえてくる以外は、殆ど何も聞こえない。
別房の囚人と話ができないように、人の声を遮断する特殊な防音の仕組みがあるらしい。
監獄島は能力者が収監される場所なので、一見オンボロな建物でも、その実、能力者による数多の装置が設置されていて、国内のどの刑務所よりも警備は厳重だ。
警備装置だけではなく、囚人の規則も厳しく決まっている。
日に一回の運動の時間も、一人一人時間や場所をずらされており、看守の任に就く特務武官が同伴しなければならない。囚人同士が結託することを防ぐための規則だった。
あまりに厳しい警備体系を前にして、殆どの受刑者は悪巧みすることなく己の運命を受け入れる。ファリーンも、時間が止まっているようにも感じるこの陰気な孤島で、ただ一日、一日、と生きながらえていく──筈だった。