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テラスハウスの正面付近は大勢の武官達でごった返していた。今にも崩壊しそうな建物に、入れ替わり立ち替わりガタイが良い男達が入っていく。この騒動で腐りかけた廃墟に止めを刺してしまうのではないか、と、ファリーンは心配になった。
事件現場として武官達に取り囲まれた家の中からは、時折、獣のような咆哮が上がった。その度に、ファリーンは心臓が止まりそうになってしまう。元不良がこの程度で怖気付いているなんて情けないと、ファリーン自身分かっている。けれど、理性の欠片も感じられないような叫び声は、前世で見た恐怖映画を思い出させた。
(……ホラーとか、スプラッタとか、苦手なんだもの)
つい、ライオネルの服の裾を掴んでしまうのも、仕方がないことなのである。
「あ、ネルネル班長! お疲れ様っス!」
忙しなく出入りする男達に揉まれながら、明るい声色の少年が、ライオネルに気がついて大きく手を振る。歳はファリーンと同じくらいだろう。自分を見つけてもらおうとぴょんぴょん跳ねるたびに、少年の柔らかそうなオリーブ色の髪が揺れる。
人混みを掻き分け、ようやくライオネルの前に辿り着くと、彼は人好きのする笑みを浮かべた。
「その呼び方はやめなさいと何度も言っているだろう、バーニィ」
「そうでしたっけ?」
バーニィと呼ばれた少年は頭を掻いて、へらりと笑う。全く反省の色が見えない。
「そっちの綺麗なメイドさんが、ファリーン・アーチボルトですか?」
「そうだ。ファリーン君、この者は俺の部下で、バーニィ・エリソンという。ファリーン君の事件の後に入ってきた、新人特務武官だ。騎士見習いとして騎士団に所属している」
彼は目尻が垂れた、大きな淡い紫色の瞳が印象的な少年だった。武官にしては全体的に線が細く、眉も下がり気味で、少し頼りなさそうに見えるが、ライオネルの班にいるということは、実力は折り紙付きだろう。
「連絡の鳩をもらった時、まさかと思ってましたけど、ほんとにメイドになったんスね」
ふぅん、と、バーニィは唇に笑みを浮かべながら、ファリーンの頭のてっぺんから爪先まで観察する。目が合いそうになると、途端に、彼はスッと目を逸らした。
ファリーンは少し違和感を持ったが、いつものことか、と思い直した。
きっとバーニィは、ファリーンの能力を資料か何かで把握しているのだろう。わざわざ自分の秘密を暴かれたいと思うような物好きは、そうそういない。能力の事を知りながら、ファリーンの目を見てくれるような奇特な人物は、両親亡き今、アリスかライオネルぐらいのものだった。
(でも、同じ年頃の捜査の仲間なのだから、できれば仲良くしたいわよね)
「今朝からライオネル様のお屋敷で働いているの。アリス様に恩返しするためにも、捜査に協力を惜しまないつもりよ。精一杯頑張るから、どうぞよろしく」
ファリーンが握手を求めて手を出すと、バーニィの顔から、一瞬、表情が抜け落ちる。
「──白々しい」
それは、あまりに小さな声で、この場にいる誰の耳にも届かなかった。目の前で向かい合っているファリーンすら、気付かなかった。
瞬きの間に、バーニィは満面に人懐っこい笑顔を浮かべる。ファリーンの手を握ると、ぶんぶんと、大きく上下に振った。
「なんだか資料と随分印象が違うっスね! こんな麗しいお嬢さんと一つ屋根の下で暮らせるなんて、班長が羨ましいなぁ。どうです? 俺ん家に引っ越しません?」
「そういうことは、私の目を見て話せるようになってから言って欲しいわ」
「いやぁ、ファリーンちゃんは、ただでさえ魅力的な女の子ですから。目が合った途端、心を奪われてしまうんじゃないかと心配で。小心者の俺を、どうか許してください」
バーニィは握った手を両手で包み込む──と、スパンと小気味いい音が響く。ライオネルがバーニィの後頭部を叩いた音だった。
「仕事中だぞ、自重しろ!」
「スンマセン」
「まったく……! よくもまぁ、そう歯の浮くような台詞が言えるものだ」
ライオネルはこめかみを抑え、やれやれと首を振る。
「……とにかく、昨晩鳩で連絡した通り、彼女が捜査に協力してくれる。時間がもったいないから、早く現場に案内しなさい」
「はッ! 了解っス!」
バーニィは背筋をピンと伸ばして敬礼すると、人混みをかき分けてテラスハウスへ向かう。彼の後ろについて行くと人の流れに流されずに済んだが、武官達の物珍しそうな視線がチクチクとファリーンの頸を刺した。
この国で五本の指に入るほどの名家だったアーチボルト家の御令嬢がメイドの制服を着ているのだから、つい見てしまうのも無理はない。
「良いとこの御令嬢は何をお召しになっても”お似合い”だな」
「下働きの服でも、囚人服よりは着心地が良いだろうさ」
どこからか囃し立てるような声が聞こえてくる。
(自分がやると決めた事なのだから、気にしてなんかいられないわ)
ファリーンが敢えて背筋を伸ばすと、その背中を支えるように、掌が添えられる。
「──大丈夫か?」
「何のことでしょう、ご主人様?」
弱音を吐くのも癪だったので、ファリーンはすっとぼけた。ライオネルはぎゅっと眉を寄せて、ファリーンを見る。険しい目で辺りを見渡し、武官達に声を張った。
「此度の一連の事件を担当している諸君らには話が通っていると思うが、この者は聖女猊下のご命令の下、捜査に協力している! つまらない噂話をするほど暇で仕方がない者は遠慮なく申し出なさい。俺自ら、仕事を割り振ってやろう」
ライオネルが一喝するや否や、武官達は一斉に目を逸らして、そそくさと自分の仕事に取り掛かった。どうやら誰も、余計な仕事を抱え込みたくはないらしい。
「今後もし何か口さがない事を言われたら、必ず教えなさい。全く……嘆かわしい」
相当頭にきているのか、ライオネルの額には青筋が浮かんでいる。彼の怒りが滲んだ声に、ファリーンは不思議と、ささくれ立った心が凪いでいくような気がした。自分の代わりに怒ってくれる人がいるというのは、思いのほか落ち着くものらしい。
「安心なさって。もしもそんなことがありましたら、きちんと部署名から名前まできっちり確認した上でご報告いたしますわ」
ファリーンが戯けた口調で返すと、ライオネルは呆気にとられた顔をして、フッと、吐息混じりに笑った。