1
キャシーは殺し屋の男を、アスファルトに仰向けに倒れたまま眺めていた。
額と腹部には弾丸が通り抜けた痕があって、血は水溜りのように体の下に広がり、心臓はとっくに止まっている。──それでも、見ていた。
男はキャシーを見下ろし、引き金を引いた張本人のくせに「何やってんだ、俺」と呟いて肩を落とした。
(それはこっちの台詞だ、サイコパス野郎)
キャシーの仲間が駆け寄ってきた。一人の少女が、どこで手に入れたのか銃を握っている。銃口を泣きじゃくりながら男に向けた。
勝ち目がないと彼女自身分かっているのだろう。ぶるぶる震えて、引き金がうまく引けないようだ。
男は怯える少女を無感情に眺め、手に持ったサイレンサー付きの銃を彼女に向けた。
(──逃げて!)
叫んだ──つもりで、当然、キャシーの喉が震える事はなかった。血の気を失った骸の唇は、ぴくりとも動かない。
そして、寂れた路地に、一発の銃声が響いた。
少女が構えた銃から硝煙が上り、殺し屋がよろめく。そのままうつ伏せに、男は地面に倒れ込んだ。
「……お前のせいだぞ、お嬢ちゃん」
その声はどこか、笑っているようにも聞こえた。
(そんなの、自業自得でしょ)
ぽつぽつと鈍色の空から雨粒が落ちて、キャシーの頬を叩いた。雨はやがて勢いを増し、ざぁざぁと音を立てて、少女の血と男の血を、洗い流していく。
──どこかで雷の音が、鳴った。
「──ファリーン嬢、……ファリーン嬢! いい加減に起きないか」
ファリーンが目を覚ますと、しかめっ面の青年が自分を見下ろしていた。彼は腕組みして、苛立たしげに指先でトントンと上腕を叩いている。
どちら様でしたっけ? と聞きかけて──ファリーンはすんでのところで口に出さずに済んだ。
前髪を下ろして眼鏡までかけているし制服を着ていないので一瞬誰か分からなかったが、琥珀色の髪と青く澄んだ瞳をぼんやりと見上げて、数秒のタイムラグの後、ようやく「ライオネル様だわ」とファリーンは気づく。
「……寝ぼけているのか?」
ライオネルは片方の眉を上げる。ファリーンがとろんとした目で見上げると、彼は呆れたように頭を振った。
「なかなか起きてこないから何かあったかと思って来てみれば、単なる寝坊とは良い度胸だ。貴女は猊下の御前で俺のメイドになると言ったな? 使用人が主人より惰眠を貪ってどうするんだ!」
どうやらライオネルは、ファリーンがなかなか起きてこないので、様子を見に来たようだ。
しかし悲しいかな、真面目な主人を持つメイドが真面目とは限らない。『寝汚いメイドがいたっていいじゃないか』と布団が囁いているのだ。ファリーンは肌触りの良い枕に頬擦りした。
「あと……三分だけ……」
なんとなく、悪夢を見ていたような気がする。内容は覚えていないが、寝起きの余韻が、あまりよろしく無かった。
あともう少しだけ眠れば気持ちよく目覚められるような気がして、ファリーンは駄々をこねる。
「貴女のことは”おはようからおやすみまで監督するように”とアリス様から仰せつかっている。健全な精神は、健全な肉体に宿るのだぞ。早寝早起きは更生への第一歩だというのに!」
ライオネルはくどくどとお説教を始めてしまったが、ファリーンは眠たくて、彼が何を言っているのか半分もわからなかった。
「うるさいわね……あと五分……」
「増えているではないか! ええい、さっさと起きなさい!」
痺れを切らしたのか、声を荒げ、ライオネルは布団を剥ぎ取る。ファリーンの素肌を朝の冷えた空気が撫でた。寒さに身を震わせ、縮こまる。布団の温もりが一瞬で逃げてしまい、ファリーンは恨めしげにライオネルを睨んだ。
──しかし彼は、それどころでは無かった。
ヒュッと、ライオネルの喉が鳴る。
「な──何故服を着ていないんだッ!!」
ライオネルは殆ど投げつけるようにして、勢いよくファリーンに布団を被せた。
顔まで覆われてしまい、さすがに息苦しくなってきたのでファリーンは渋々起き上がる。
「あら?」
ファリーンはごしごしと目を擦った。今の今までそこにいた、ライオネルの姿が見えない。
ふと、目線を下に動かすと、顔を手で覆ったライオネルが、耳を真っ赤にして床に蹲っていた。
寝ぼけていたせいか、ファリーンは今一状況がわからず首を傾げる。
「おはよう……どうかしたの?」
「いいから! 頼むから早く何か着てくれ!!」
「着てるじゃない、下着」
「それは着ていると言わない!!」
(……朝から大声ばかり出していて、疲れないのかしら?)
下着で寝るなんて、前世では普通のことだった。それに下着と言っても、ファリーンが着ているのはシュミューズだ。前世で言うキャミソールワンピースと見た目は大して変わりない。丈は短いが、キャシーが愛用していたデニムのホットパンツほどでもない。
キャシーの記憶がなければ、勿論、ファリーンも恥じらっただろう。けれども、前世で惜しげも無く脚を曝け出していた事を思い出してしまったので、今更すぎて、ちっとも気にならなかった。
そもそも寝間着なんて贅沢品は囚人には用意されない。無いものは着れないのだから、下着で寝るのも仕方がない。
ふぁ、と堪えきれずにファリーンは欠伸した。重たい瞼をどうにか開いて、床に這いつくばっているライオネルを見下ろす。
「分かったわ。お望み通り着て差し上げますけど、貴方の目の前で着替えても良いの?」
そう言った途端、ライオネルは顔を手で覆ったまま、脱兎のごとく部屋から逃げ出した。三秒後、どこかで何かが転げ落ちるような大きな音が響き、屋敷が揺れた。
(……まさか、階段から落ちて……しまった?)
「ね、ねぇ、大丈夫ー!?」
「……問題ない!」
痛みを堪えた声が階下から返ってくる。やはり、落ちてしまったらしい。
そこまで動揺されるとは思っていなくて、ファリーンはなんだか悪いことをしたような気分になった。
こんな状況で二度寝するのはさすがに心が痛むので、ファリーンはいそいそとベッドから降り、カーテンを開く。
なんとなく、雨が降っているような気がしたが、窓越しの空は晴れ渡っていた。




