3、泣いた夜
休憩を挟んだ後、ノリコは『オリーブ』と以前ジョイントした2曲を歌い。
その後ノリコは天然の緑川と毒舌の黄田と息の合ったトークをして、客を散々笑わせてから引っ込んだ。
それから『オリーブ』が3曲歌って店内はさらに盛り上がり、あっという間に時刻は23時を回った。
そして再びノリコが登場するのと入れ替わりに緑川が引っ込み、黄田がギターを置いてめずらしくピアノに向かった。
シン・・・とした空気の中。
自然な様子でノリコが黄田と視線を合わせると、黄田の指が鍵盤の上を滑りだし・・・切ない旋律が流れ出した。
ワァッと歓声が沸く。
ラストソングにノリコが選んだ曲は『I WAS BORN』・・・ノリコの代表曲の1つだが。
2人が出会った頃からヤスシにとってこの曲は特別で、だから敢えての選曲なのだろう。
客それぞれに視線を向けるが、途中からはヤスシを見つめて歌うノリコ。
それを熱い目でじっと見返す、ヤスシ。
って、オイオイ・・・ジジイとババアが、何やってんだよ。
2人の激甘の空気に、俺は居たたまれない気持ちになった。
俺は仕事中だと己に言い聞かせ、引きつりそうな口元を必死でこらえる。
離れたところにいる俺でさえこんな状況になるのだから、ヤスシの隣に座るジョージはこの空気に死にそうになってんじゃねぇかと様子をうかがうと。
そんなこと目に入らないほど、ジョージはピアノを弾く黄田を睨むように見つめていた。
・・・そら、そうか。
黄田は普段歌う時、あまり楽器演奏はしない。
偶に今日みたいにギターを弾くくらいだ。
だから、こういう風にピアノを弾くなんて思いもよらなかったし、ノリコと息は合っているがさして上手くもない。
ジョージにしてみれば、どうしてこいつがノリコの伴奏をして、黄田よりもずっと技量のある自分がダメなのかという気持ちなのだろう。
そんなことを考えていたら歌はサビに入り、もう終わるな・・・と思った時、ノリコがチラリと黄田を見た。
黄田と何か目で会話するように1・2秒見つめあうと、黄田が少し頷いて。
サビの部分をもう一度テンポを落として繰り返し始めた。
ワッと歓声が沸く。
ノリコはそのテンポに合わせ、シャウトを始めた———
「今日はお疲れ様。本当に、凄くよかった!風町さん、ディナーショーも宜しくね?」
大盛況の中無事終わったノリコのミニコンサートの後、打ち上げと称して店に居座る気満々の広瀬が、シャンパングラスを片手に乾杯の音頭よろしくそんな挨拶をしやがった。
急遽決まった今日のコンサートだったが、広瀬もノリコの所属事務所も、ある意味準備は万端だった。
ノリコが復帰すると決まるや否や、今年のクリスマスシーズンのディナーショーのスケジュールは確定されたようで。
会場はもちろん『グランドヒロセ』だ。
今回は、銀座、鎌倉、横須賀で3日ずつ開催される他、静岡も1日追加された。
多分相田満のしょうもねぇ理由からだろうが・・・。
コンサート終了時、広瀬が客に今年の年末にノリコがディナーショーを行う予定で、ディナーショーと当日のホテル宿泊セット券を今から発売しますと告知した。
その用意周到さに呆れるノリコを余所に、殺到する客を上手に裁くノリコの担当チーフの近田とマサル。
2人がさっき持ってきていた荷物は、このチケットと領収書とおつりの用意と、先行予約者限定プレゼントに新しく作ったらしい風町リノの名前が印刷された色鮮やかなコースター。
どうやら、高齢ながらもパリコレで活躍する『トシキ・エムラ』のデザインで、とても洒落ている。
そこへ愛想の良い加藤がコースターを配る手伝いを申し出て、順調に客がさばけて行った。
あっという間に客全員が購入し・・・いや、1人で複数のチケットを購入している客もかなりいたから、短時間で凄い売り上げとなった。
「まったく、マツは根っからの商売人だよ。本当に、抜かりないよなぁ。」
戸田が、生ビールをごくりと旨そうに飲むと、口の周りに泡をつけたまま広瀬にむかってダミ声でそう言った。
その品のないデカい声と口周りの汚さにヤスシが顔を顰め、口拭けよとかなりのスピードでテーブルの反対側に座る戸田におしぼりを投げつけた。
的がデカいせいか、見事にその不細工な顔におしぼりがぶち当たり、戸田がヒイッと変な声を出した。
「おいっ、富士見!危ないだろっ!」
「あ?何だと、ゴラ。人がせっかく親切でおしぼり渡してやったのによぉ。いつかみたいに、おしぼり置きのほうがよかったか?」
ニヤリと嗤うヤスシに、ビビる戸田。
そして、それを見てゲラゲラと笑う相田満。
「思い出すねぇ。戸田君と初めてあった時、ヤスシにバカな態度取って、目におしぼり置き投げられて腰ぬかしたところに殴りかかられてたもんねー。間一髪で、俺が助けたけどー。」
「あー、そうだった。冨士見がテーブル乗り越えて、戸田につかみかかって相田さんに止められて・・・その後腹の虫が収まらない富士見がテーブル蹴って・・・そうしたら・・・ブッ・・・ククククッ・・・お茶こぼしたって、富士見が麻生君に凄い剣幕で怒られて・・・アハハハッ・・・こぼれたお茶を富士見、拭かされてたよなぁ。」
「うるせぇよっ。」
相田の言葉に広瀬が当時の状況を思い出したのか笑い出し、矛先が悪くなったヤスシはキレ気味に広瀬を睨んだ。
そして、状況を知るや否や、性懲りもなく戸田がニタッと笑い。
「麻生なー。流石の富士見も、あの麻生の達者な口にはかなわなかったもんなー。あいつ元気か?元々優秀だったけど、何かアメリカで結構な功績のこしてるみたいじゃんか。レイちゃんにこの間麻生の事話したら、専門が違うから直接会ったことはないけど、その道じゃ結構有名人だって?」
と、話題に出たヤスシの親戚の麻生浩之のことを、上機嫌で話しだした。
浩之はヤスシと年が近いせいか子供のころから仲が良く、しょっちゅう横須賀まで遊びに来ていたから俺も良く知っていて。
広瀬と戸田は偶然にも浩之の学校の先輩で、それもあってヤスシとこいつらは親しくなったようだ。
浩之は医学部を卒業後母校の大学病院で数年働き、乞われるままアメリカの最先端の機関で、よくわかんねぇけど・・・何かの研究をしているらしい。
「ああ、元気だ。先月電話かかってきたけど、ノリコのライブでニューヨーク行くって言ったら、あいつ1週間仕事休んで見に来るって言ってたから・・・そうだ。俺らの宿泊、広瀬んとこのホテルだろ?悪ぃけど、浩之の部屋も追加で頼んでいいか?」
浩之の話題で思い出したのか、ヤスシが広瀬に『グランドヒロセニューヨーク』の予約を頼んだ。
その様子に、本当に元のヤスシに戻ったのだと実感した。
この30年の腑抜けたヤスシならば常に広瀬にへつらった態度で、宿泊依頼は直接宿泊予約へしていたはずだ。
だけど、元来ヤスシはこういう男で。
広瀬もそう思ったのか、ヤスシの言葉に破顔した。
その嬉しそうな様子に、戸田がまた余計な口をきいた。
「この俺様な態度こそ、富士見保志だよなぁ。この30年、富士見が俺らに低姿勢で敬語使ってたなんて、悪夢でしかないぜー。『戸田さん』なんて猫撫で声で呼ばれて、そのたびに俺、悪寒がしてたからなぁ。」
事情が分かっているはずなのに、茶化す戸田にヤスシは苛ついたようで。
「そうか、そんなに言うなら。これからおめぇに本物の悪夢見せてやってもいいぜ?」
低いドスの効いた声でそう言うと、ヤスシは首をひねりゴキッと音をさせた。
その音に飛び上がるほど、ビクつく戸田。
その途端、ふきだす相田と緑川と黄田。
3人はどうやら今日は横須賀へ泊まるらしい。
すっかりノリコの事務所の連中と打ち解けた加藤は、明日の仕込みがあるから、残念そうに帰って行った。
近田とマサルはかなりの現金が集まったから、事務処理もあるといいうことで鎌倉の事務所へ戻って行った。
まぁ、鎌倉の事務所というのはノリコの実家で、相田満とノリコの姉ちゃんのエミが住んでいる家の敷地にあるらしいが。
笑う3人に涙目で、笑い事じゃないぞ!と逆切れする戸田。
マジ、アホだろ・・・。
そう思っているのは俺だけじゃないようで。
「戸田君、ヤスシがどれだけ強いかなんて、目の前で何度も見ているでしょう?何で、そうやって煽るかなー?そんなに、ヤスシに構ってほしいの?前から思ってたけど、戸田君って本当にM体質だよねぇ?アハハハハッ・・・・。」
相田満がそう言って笑うと、緑川もうんうんと頷いてヤスシをじっと見て。
「それに、富士見さん今虫の居所が悪いみたいだから、戸田さんあんまり考え無しなことを言うと、マズいですよ。」
意外なことを言った。
虫の居所が悪いって・・・いや、今までの抑圧した姿から本来の姿に戻ったんだし、今日はノリコのミニコンサートも成功したのに、何言ってんだ?
営業時間も終了したし、営業用の顔は止めて俺が素の表情で緑川を見ると、緑川は俺を見てクスリと笑い。
「富士見さんって、自分は結婚前から散々浮気したくせに、リノちゃんに対しての束縛が酷いんですよ。自分以外の男と良い雰囲気で笑ってるリノちゃんをみて、ムカムカしてるんです。本当に信じられませんよね。」
なんて、突然言い出した。
つうか、こいつ天然なのは見せかけだけか?
こいつも結構な毒舌じゃねぇか。
いやいや、その前に・・・自分以外の男と良い雰囲気で笑ってるって、俺とさっきカウンターで話してた時のことか!?
いやいやいや、あり得ねぇって!
「おいっ、ヤスシ!?おめぇ変な誤解してねぇか!?ち、ちがうぞっ!!」
俺が焦ってそう言うと、ヤスシは何焦ってんだよとだるそうに立ち上がった。
え・・・。
な、何でこっちへ歩いてくるんだ?
鈍く光る目で俺を睨みながら、近づいてくるヤスシに嫌な予感しかしない。
「おめぇは昔から女なら手当たり次第だったからなぁ・・・。」
そう言うや否や、ヤスシはいきなり俺にケリを入れてきた。
昔からヤスシの攻撃を間近で見てきたため、初めの攻撃があらかた予測できたのが幸運だった。
だけど、それでもギリギリでよけるのが精一杯だ。
こいつ、マジじゃねぇか・・・。
「避けてるんじゃねぇよっ!」
「うるせぇっ。女なら手当たり次第って、おめぇだけには言われたくねぇわっ!」
「何言ってんだっ、俺は手え出していい女とそうじゃねぇ女の区別はしてるぞっ。おめぇは、絶対に手ぇだしちゃいけねぇタイプの女でも平気で食って捨ててたろっ!」
「ああっ!?いつの話だよっ!?何、偉そうなこといってんだっ。所詮浮気は浮気だろっ。俺は、独身だっ。不倫したおめぇの方が悪い!ノリコ一筋のくせに、散々浮気しやがって!浮気すんなら、マジな女つくんなよっ。マジな女作ったら一生大事にしろよ!」
「大事にしてるわっ!おめぇこそ、ノリコがちょっと元に戻って垢抜けた格好した途端、鼻の下伸ばしやがって!いいか、俺の女に手ぇだしたらぶっ殺すぞっ!」
「ああっ!?鼻の下なんか伸ばしてねぇわっ。相手はノリコだぞ!?それより、おめぇそんな狭い料簡でノリコに愛想つかされっぞ!?」
「ああっ!?料簡なんか狭くねぇわっ!」
「そうか、そうか。料簡が狭いんじゃなくて、セコイんだったな!俺の10万からするスニーカーを、ちょっとばかしのイカの塩辛と交換だなんて言うくれぇだもんなぁ?」
「おめぇこそ、いつまでも10万、10万っていいやがって。ケチくせぇんだよっ。おめぇの健康を考えて一気にやらねぇって言ってるんだろうがっ。ああっ!?ジジイになってボケたか?」
「ああっ!?ボケてねぇわっ。おめぇこそ、30年も腑抜けやがって、周りがどんだけ心配したかっ。考えた事あんのかっ!?」
怒鳴りあいながら俺がヤスシから2発パンチを受けたのに、俺のパンチは1発も決まらず。
そのことに益々腹が立って、結局最後は腹にたまっていた一言を放つと。
一瞬、ヤスシの動きが止まり、隙ができた。
今だ、そう思い、パンチを繰り出そうとしたが、その前に——
近くで、ガンッ・・・という音がしたと思ったら。
ガンッ———!!
脳転にすんげぇ衝撃がきた。
「・・・・・・っっ!?」
目に星が飛ぶとはこういうことかと、この年になって初めて経験したと他人事のように考えていたら。
「このバカっ!!」
ノリコのすんげぇ怒鳴り声が、脳天から鼓膜を震わせた。
絨毯敷とは言え、ヤスシと並んで直接床に正座させられた俺は。
「いい年して、あんたたちは何やってんだいっ!!ヤスシッ、あんた私の仕事仲間の前で私に恥かかせる気かいっ!?浜田ジョー!あんた、息子と娘の前でこんなバカげたことして恥ずかしくないのかいっ!?あんたたち、本当に初めてあった時から、まったく成長してない、本物のバカだねっ!!」
仁王立ちのノリコに説教を食らっていた。
広瀬に用意してもらった部屋へ着替えに行っていたノリコは、スパイシーな赤のワンピースに着替えていて、その形相と相まってまるで炎の様だ。
ノリコの手には、銀のトレー。
かなりへこんでいるから、あれは廃棄処分だ。
つうか、すんげぇ衝撃だったはずだよな、あんなにへこむって。
広瀬、戸田、相田満、緑川、黄田が腹を抱え爆笑していて。
ジョージと綾乃ちゃんは、驚愕の顔で俺らを見ている。
そうだよな、昨日までとは全く違う状況に、色々衝撃だよな・・・。
「浜田ジョー、よそ見してんじゃないよっ!聞いてんのかいっ!?」
もう一発殴られた。
さっきほどの衝撃じゃねぇけど。
横を見ると、ヤスシも続けて殴られている。
「お、俺は、よそ見してないじゃねぇかっ!」
殴られたヤスシが不本意だと声を上げるが。
「何言ってんだいっ。ずっとよそ見して、浮気してただろっ。」
ノリコの歯切れの良い返しと、タイミングのよさに思わずふきだした。
そんな俺をギロリと睨むヤスシ。
いや、ふきだしたのは俺だけじゃねぇだろ?他の奴らもだろうがっ!
そう目で睨み返すと。
ヤスシもにらみ返すから。
俺も負けじと、また睨み返し・・・。
「ブホッ・・・。」
いきなりヤスシがふきだした。
そして、ガシガシッと頭を掻くと、パンッと両ひざを叩いた。
続いて勢いよく正座の姿勢を崩し、胡坐をかくヤスシ。
その顔は、先程とは打って変わり穏やかで。
「ジョー。おめぇ、店のスタッフ返しといてよかったなー。店のボスがこんなくだらねぇことやってるなんて、示しがつかねぇもんなぁ。」
なんて人ごとのように言いやがった。
そして、ヤスシは俺から視線をノリコに向けると。
「悪かったな・・・元の俺にもどったら、1回ジョーとバカやりたくなったんだ。ちょっと暴れてさっぱりした。しかし、おめえの喧嘩の止め方も昔と全くかわんねぇなぁ。なんか、安心したわ・・・ノリコ、もうよそ見はしねぇ。おめぇだけだ。」
そう言って、自分の目の前に立つノリコを真っすぐと見上げた。
その途端、仁王立ちで怒りの形相だったノリコの顔がクシャリと歪み。
胡坐をかいたヤスシの前にノリコはしゃがみこんだ。
「あーあ・・・やっぱり、リノちゃんは富士見さんを選ぶんだよなー。近田さんもホントむくわれないなぁ。かわいそうにー。」
うんざりとしながらも、どこかホッとしたような声で緑川が呟いた。
そうか・・・さっきの近田はノリコに惚れていたのか。
何となく、近田の表情を思い出して納得した。
そして多分、この緑川も——
ヤスシに毒を吐いたのも、散々浮気してノリコを泣かせたということに腹が立っていたんだろう。
だけど、それでもノリコはヤスシに惚れていて・・・。
こいつもこの歳まで独身だったよな、そういう理由もあるのかもな。
まぁ、俺だって人の事はいえないしな・・・。
「悪ぃな、ノリコは俺に惚れてんだ。」
緑川の言葉に、ヤスシがノリコの手を握り、照れもなく平然と答えやがった。
その途端、今まで黙っていた黄田が、ジロリとヤスシを見ると口を開いた。
「だったら、これからは全力でリノを応援しろっ!あんたは今一つわかってないみたいだから言うが、こいつの歌はとんでもなくすげぇんだぞっ!」
その言葉で、黄田がノリコの歌をどれだけ待っていたか、黄田が己を偽って生きていくノリコを見てどれだけ苛立っていたかが伝わってきた。
黄田の剣幕に虚を突かれたヤスシに、緑川が静かに言葉を続けた。
「黄田はさぁ、リノちゃん自身のファンなんだよ。勿論、俺もだけど。だから、いつも応援したいって思ってるんだ・・・・つまりさぁ、そこが君と違うんだよ紺野丈治君。」
だが、ヤスシに話しかけていたはずの緑川が、いきなり話の矛先をジョージに向けた。
その途端、ジョージはギロリと緑川を睨みつけた。
「・・・あ?何だと?」
昔から大ファンだった風町リノの演奏を断られ、腐っていたジョージが緑川の言葉にいきり立った。
確かに気持ちは分かるが、これはダメだと思った。
俺は無言で立ち上がると、ジョージの前に歩み寄り。
座っているジョージの頭へ、拳を振り落とした。
ゴンッ、というかなりの衝撃が来たから、ジョージもかなり効いたに違いない。
「いっ!???」
何すんだっ!?という顔で俺を睨みつけるジョージに俺は。
「さっき、相田満にも言われただろう?言葉使いに気をつけろって。たかだか芸歴10年ちょっとのお前が生きてきたよりも長く芸能界を生き抜いてきた先輩に、そんな口叩いていいと思うのか?長く続けるってことは何だって大変な事なんだ。しかもずっと第一線で活躍するってことは、高いクオリティとそれを保つモチベーション、並々ならない努力をして保ち続けなければ、成し得ないんだぞ。それがどれだけのことか・・・ちょっと売れて、チヤホヤされて、お前何か勘違いしてんじゃねえの?だからクソガキだっていうんだよっ。いいか?お前はピアニストだ。だからピアノが上手くて当たり前だ。だけどな、いくらピアノが上手くたって、その心じゃ風町リノの伴奏は無理だ。相田満の言ったことはもっともだ。今日は風町リノの復帰して初めてのコンサートだ。それも突然のな。そのコンサートにお前は子供の頃からあこがれていたから、一緒に共演したいっていう気持ちで伴奏させろって言っただろう?よく考えろ、それはお前の気持ち優先の伴奏だ。ノリコは確かにガキの頃からお前を可愛がってくれた親しいおばちゃんだ。だけど、これとそれとは別だ。CDについては随分前から復帰していたが、人前で歌うのは30年ぶりだ。ノリコだってまだ万全じゃねぇ。それなのに、ガキのわがままを叶えるため、1回も合わせて練習したことのない独りよがりの若造のピアニストと、気ぃ遣ってやらなきゃいけねぇのか?それって、ノリコの為になんのか?今日の相田満や緑川や黄田の伴奏見たか?自分の個性は消して、ノリコに合わせて、ノリコが歌いやすい様にやっていただろう?もちろんノリコとは昔から仲間だから息もあって、ノリコがベストな状態で歌えたってこともある。だけど、あいつらはノリコを応援したいって気持ちが1番にあったから、ノリコはいい歌が歌えたんだ・・・ジョージ、しっかりと自分の心を見つめて、周りを見ろ!」
ジョージの気ままさと傲慢さが日ごろから気になっていた俺は、厳しい言葉をぶつけた。
「・・・・・・・。」
ジョージに負い目がある俺は、普段それほどグダグダ言わないせいか、ジョージは驚いた顔で俺を見た。
だけど、いまこれをきちんと言っておかないと、こいつはいつかダメになる。
だから、ウザかろうとなんだろうと今叱ったのだ。
そう思って、ジョージから目を反らすことなくジッと見つめていたら。
「浜田くーん。格好いいじゃん!俺、浜田君のこと昔から気に入らなかったけどー、それほど嫌な奴でもなかったんだー・・・まぁ、ヤスシとずっと友達だから、うすうすそうじゃないかなーとは思ってたけどー。俺、ちょっとだけ、みなおしちゃったー。」
力が抜ける程の緩い口調で、相田満が俺に話しかけてきた。
「ちょっとだけかよ。」
仕方がないから、相田の軽口に答えてやると。
相田が嬉しそうな顔で、また返してきた。
「えー・・・だってー、浜田君女癖悪くてー。さっきヤスシも言ってたけど、手ぇ出しちゃいけない女にも手ぇ出すしー。それに、昔ノリコの腕ケガさせたしー。あれ、どう考えても浜田君が悪かったよねー?」
「あんた・・・すんげぇ、根にもつタイプなのな?ノリコにはその件は、昔あんたの前できっちり詫びいれただろうが。それに・・・女癖悪いから、あんたと違っていまだに大事な女の1人もみつけられず、結婚もできねぇんだよ・・・賢い女は、ちゃんと見る目があるんだってことだよ。」
俺が自嘲気味にそう言うと、相田満の長年の留飲がようやく下がったようで。
「そっかー。浜田君がそこまで言うなら、ちょっとは俺も譲歩してあげようかなー?」
なんてニコニコと笑いながらしゃがんだままのノリコの所へ歩いていき、手を取って立ち上がらせた。
そして、そのままノリコの手を引いてピアノのところまで行くと、ジョージを振り返り。
「今はもうプライベートな空間だから、紺野君は事務所の許可とらなくてもいいよね?さっき浜田君が言った通り、風町リノの歌の伴奏はまだ紺野君にはさせられないけど・・・紺野君のピアノに合わせてなら、ノリコ、スキャットだったらできるでしょう?本格的なジャズピアニストとのノリコのスキャット、実は1回聴いてみたかったんだー・・・紺野君、どう?できるかなー?」
突然、挑発するようにそんな提案をした。
今までジョージに対して塩対応だった相田満がいきなりそんなことを言い出したから、ジョージは挑発に乗るように椅子から立ち上がった。
すると、ずっとハラハラした様子で見守っていた綾乃ちゃんが、ジョージの手を握りしめ。
「ジョージ、私先週ジョージが作ったあの曲がいいです!あの曲凄く感動したので、スマホに録音したデータをノリおばさんちでみんなに聴いてもらったから、ノリおばさんも知っていて丁度いいです!あの曲でお願いします!」
物凄い勢いでねだるようにそう言った。
その途端、ジョージが焦ったように。
「おまっ・・・えっ、あっ!?あれ、他のやつに聴かせたのかよっ!?」
と、綾乃ちゃんに問いただした。
だけど、そんなジョージに構うことなく綾乃ちゃんはニコニコと。
「はいっ。みんな、凄くいい曲だってほめてくださいました。ノリおばさんも、涙ぐんで感動してくれて。いい曲だって・・・ね?おばさん、そうですよね?」
と、ノリコに話を振った。
その言葉にノリコはニヤリと笑い、綾乃ちゃんに頷いて見せた。
そして、ジョージに向き直ると。
「ほら、ジョージ。可愛い綾乃ちゃんからのリクエストだよ。早くしな。」
そう言って急かした。
そして、綾乃ちゃんは綾乃ちゃんで、ジョージの腕に顔をこすりつけ、あの曲弾いてくださいー・・・と、ねだりだした。
その攻撃にジョージは弱いらしく、大きくため息をつくと渋々ピアノへと向かった。
ポーンと1つ鍵盤を押し、続いて少し指を慣らすように音を出すと。
ノリコが鼻歌を歌い、ジョージに簡単に回数などを確認して。
そして、一つ呼吸を置くと——
ジョージが音を、奏で始めた。
始まりは少しワイルドな感じだったが、段々懐かしいような音色に変わっていき・・・でも、激しくて深い・・・何とも言えない温かい旋律になった・・・。
ジョージのピアノの音色に、ノリコのスキャットは完璧の一言で。
音色が変わるたび、ノリコの感情もうねり・・・一気に2人の音楽に、音楽が良くわからない俺でも引き込まれていった。
何度もサビの部分を2人で繰り返し、そしてラストを迎えた。
よくわかんねぇけど、涙が滲んだ。
感想は、ただ・・・いい曲、いい音楽だった。
ジョージはピアノの所で、興奮した顔でノリコと夢中で話をしている。
その横で、相田満が満面の笑みで拍手をしていた。
ああ、塩対応の相田もこの曲を褒めているんだと嬉しくなった。
気がつけば、いつのまにか俺の隣に綾乃ちゃんが来ていて、そっと俺にハンカチを差し出してきて。
ハッとして、自分の頬を触ると・・・涙腺が崩壊していて、慌てて綾乃ちゃんからハンカチを受け取ったが。
いきなり、綾乃ちゃんがとんでもないことを言い出した。
「実はこの曲、ジョージが浜パパのために作った曲なんですよー。」
はっ!?
今、何て言った?
いや、いい!!
もうそれ以上言うな!!
これ以上何か言われたら、俺は間違いなくヤバイことになる!!
そう必死で心の中で叫んだが、上手く声にならず。
そこへニヤニヤと笑いながら、ヤスシまでやってきて。
「この間聞いたんだけどよぉ、忘れちまって、歳かなー?なぁ、綾乃ちゃん。この曲の題名、何だったかー?」
棒読みでそんなことを言い出しやがった!
お前、わざとだろ!!
もう勘弁してくれ!!
その心の叫びも空しく・・・ヤスシのわざとらしい問いかけに、綾乃ちゃんはうふふと笑い、もちろん浜パパを思っての曲ですからねーと、とんでもない前置きをして俺の潤み切っているだろう目を見つめ、可愛いその口を開いた。
「ミッドナイトブルース。」
<完>




