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落ちこぼれ魔術師と終わりの竜  作者: 伊空優希
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第1話「落ちこぼれのソラ」

春。

陽射しも麗らかな頃。

木々は生茂り、色とりどりの花々が咲き誇るこの季節、私の心は酷く塞ぎ込む。


例え穏やかな風が厳しい冬を終えたばかりの谷を労る様に暖めようが、麗しい乙女達が美しく着飾り春の訪れを祝う祭礼に胸踊らせようが、それらは私には一切関係がなく何の意味も持たない。


それよりも問題なのは、この季節になると毎年行われる儀式の方だ。こちらの方はと言うと、私にとって実に切実な問題だった。


「嫌だなぁ」


思わず口をついて出た本音を慌てて飲み込み、素早く辺りを見回す。誰かに聞き咎められでもしたら、それこそ大変な事になる。


私の憂鬱の原因は、春に一族本家で行われる召喚の儀式にある。


いきなり召喚と言われても何の事だか分からないかもしれないけれど、一言で言うなら魔術師の成人の儀みたいなもの。


ああ、私、魔術師なんです。

一応ですが。はい。


私達の住むこのラスガルドには大別して七つの魔術流派が存在し、大抵の魔術師はその七つのうちのどこかに所属する事が義務付けられている。


一つは“深緑の担い手”。

主に植物に関する魔術を得意とする魔術師が所属し植物を操るのは勿論の事、寒暖差や病気に強い作物の研究等も盛んに行っており、その技術を条件付き或いは無償で解放する事により、農耕を主な産業とするラスガルドでは民衆に尤も身近な存在として信頼を勝ち得ている魔術集団。


次に“永土の守手(もりて)”。

大地に関する魔術を取り扱う魔術師たちが集う比較的古い組織で、こちらも深緑の一団と同じく比較的民衆に友好的。

土の品質改良から、果てはお城の城壁まで様々な技術を開発している。無論、上位の魔術師ともなれば地震なども操れるらしいが私は見た事がない。


そして三つ目“綾織る水時計”

通称・水時計と呼ばれる魔術師集団で、ラスガルドで広域の水源を管理しており、彼等のお陰でこの大陸では日常水に困ると言うことはまずない。

南方の砂漠地帯ではそうもいかないらしいが、それでも地下水を誘導し、オアシスを作る等の功績を挙げている。


四つ目“豪炎騎士団”

魔術師なのに騎士団?と最初に聞いた時は首を傾げたが、彼等の多くは国や貴族に仕え、その力を発揮する戦闘に長けた魔術師たちなのだからそう名乗るのも頷ける。

凄腕になると草原を一瞬で焼け野原にするらしいけれど、私の住む地域は戦とは無縁なので間近でお目に掛かったことはない。


五つ目“ロクス・ウォー・エデル”。

古代語で「嵐に吼える竜」の名を冠する集団で、主に風を操る魔術師の家系が所属している。

民衆との繋がりが深い先に述べた四つの集団とは異なり、自分たちの技術向上に専心していて、時折戦争や小競り合いでその姿を目撃する事もある。


六つ目“真理の目”。

これを後の方に持って来たのは彼等があまり庶民には身近でないから。私とも縁がない。と言うか、私の所属する派閥とはぶっちゃけ仲が悪かったりする。

ここでは属性に関係なく様々な魔術を研究し、錬金術やら合成魔術、果ては禁呪に至るまで熱心に研究しているらしい。


「らしい」と言ったのはその活動の全容が一切公開されていないからであり、ある意味、究極の秘匿主義者の集まりだと言っても過言ではない。


そして最後に私の所属する“星骸(せいがい)の塔”。

塔とか星骸塔とか、そんな感じで呼ばれる。

ここは少し他とは異なり完全血族主義を敷いている唯一の魔術組織で、元々加盟している血族以外の参加を一切認めていない。と言うのも、塔に詰める魔術師たちはどれもラスガルドでは最古に近い名門中の名門ばかりで、魔術師の中では一線を画す家柄の人間ばかりだからだ。


それぞれが現在主流である源素魔術、或いは特殊な魔術体系を有しており、その方法は一族秘伝で同じ塔の魔術師たちにも絶対公開はしない。


あ。源素魔術というのは源素(マナ)と呼ばれる自然界にあるエネルギーを利用した魔術の事。これは魔術師としての素養があれば、比較的簡単に扱える魔術ではある。


例えば、楽器を想像して貰えれば分かりやすいかもしれない。


バイオリンとかハープとか、扱い方が分かれば音を出す事は出来るけれど上手く演奏するには日々の努力と研鑽が必要になるし、プロになるには才能だって必要になる。つまりそう言うこと。


話が逸れたが、それが普通の魔術師。

でも私たちは違う。私たちーー中でも私の一族はかなり特殊な部類に分類され、自分たちの中に源素とも言うべき“炉心”と“回路”が内蔵されており、これを用いて魔術を行使する。


うん、回路とか炉心とか言うと人じゃない感半端ないですね。先に断っておきますが、別に機械とかではないです。人です、ちゃんと。


因みにこの炉心となるべき魔力源を“霊層(れいそう)”、霊層から外界へ魔術式(スクロール)を展開する為に経由する回路を“基定回路(きていかいろ)”と呼ぶのだけれど、説明しだすとキリがないのでここでは割愛。


さて。

ここで、冒頭の憂鬱の原因に舞い戻る訳だけれども。


星骸の塔に所属するうちの一族は、このラスガルドに於いて「召喚魔術」を生業にする一族で、春に行われる儀式は“従霊(じゅうれい)”と呼ばれる召喚獣を召喚・使役する事を以て成功とし、それにより晴れて一人前と認められ家系図に名が記される事になる大切なものだったりする。


成人の儀の様なものだと前述したけれど、別段成人していなくても儀式に参加する事は出来るのが厄介な所で、一般的にラスガルドの成人は国や地域に差異はあれど、平均で15~16歳程度なのだが、それと照らし合わせて見ても我が家は優秀と言わざるを得ない。


私の兄は初出14歳で1騎、弟は13歳で1騎、そして稀代の天才と呼ばれる姉に至っては9歳で2騎の従霊を同時召喚している。


父や母、祖父母の時代の平均は16歳前後だった事から私たち子世代は一族史に於いても大豊作の年だと言われ、当然の事ながら私にも多大な期待が掛かっていた。


4年前。

弟が召喚に成功し、私が失敗する前までは。

私は当時15歳だった。


生来気の弱かった私は、兄や姉が天才と呼ばれている事がプレッシャーでしかなかった。

上の2人と常に比較され、一族の面々から「お前はいつ儀式を受けるんだ」とせっつかれる度に「自信がありません」「まだ準備出来てません」と先延ばしにしていたくらいだ。


しかし15になった時、世間的にも成人を迎えた事でいよいよ逃げ道を失い、儀式を行わざるを得なくなった。不幸だったのはその年、弟まで一緒に儀式を受けると言い出した事だった。


「姉さんがやるなら、僕もやる」


利発で人懐っこい弟は一番年の近い私にべったりで何でも真似したがった。だから私が儀式を受ける時、自分もやると言い出したのだろう。


あの子に他意等なかったはずだ。

ただ、私がやるから同じ事をやりたかっただけ。

一族から反対の声は当然の事ながら上がらなかった。むしろ微笑ましい事だと推奨された。


私が逃げ隠れした分、両親は私には格の高い従霊の召喚を期待したし、弟にも低級でも良いから1騎だけでもと望んでいた。

姉の例もあり、多重召喚もあり得るのでは、と誇らしげに語っていたのも覚えている。


しかし結果は、見るも無残な有様だった。


弟は中位の従霊を召喚し、私は低級の、下位の従霊すら召喚出来ず終わった。


両親の落胆は、それは酷いものだった。


兄や姉は来年頑張ればいい、今回は緊張して思う様に出来なかっただけで、来年はきっと成功すると励まし、次の年に向けて勉強や鍛錬にも付き合ってくれた。弟も私が傷付いていたのを気にしてくれていたのか、自分は何一つ悪くはないのに謝った。


酷く自分が惨めに思えたが、それでも弟に罪はない。私の準備不足だっただけ。そう思って、1年間必死に努力して翌年に臨んだ。


しかし、その年もまた、私は何も呼べなかった。

その次も、その次の年も、私は何も呼べなかった。


一年目は次があると言ってくれた兄も姉も、今はもう何も言わない。落胆した両親とはこの2年、まともに会話すらしていない。先に召喚を果たした弟は昨年塔の本部に就職して以来、手紙すら来ない。


私は文字通り、落ちこぼれになった。

一族の面汚し、唯一の汚点、出来損ない。

それが私への、周囲が下した評価だった。


どれだけ準備しても、どれだけ鍛錬を重ねても、

どれだけ、頑張っても、私には何一つ上手く様には思えなかった。


そしてついに先日、久方振りに両親から手紙が来た。そこには


「今年の儀式が上手くいかなければ、暫くイェルガー家で休養する様に。年頃のご子息もいるので本家にいるよりは気も休まるだろう」


とだけ書かれていた。


表向きは休養と書かれていたが、実際は本家から追い出されるに近い内容だった。

イェルガー家はうちの分家筋に当たるが魔術的な素養は殆どなく、今は貿易に重点を置いている商家で、所領は本家のある首都リアドからは片道5日はかかる僻地にある。つまり、事実上の左遷ーーいや、ご子息云々の行を見る限り政略結婚だ。


本家の意向としては従霊も召喚できない召喚術師など必要ない。他家に嫁いで子を産み、財産を守るくらいしか役に立たない。そう言われたも同じだ。


両親にとって、兄弟たちにとって、私はもうただの邪魔者でしかないと言う事なのだろう。


一筆書きにメモの様に書かれたそれに、私はただ「分かりました」とだけ答えた。


私の居場所など、もう何処にもない。

イェルガー家もイェルガー家で災難な話だろう。落ちこぼれの魔術師くずれを押し付けられたのだから。

案の定、向こうからは「事業が忙しくて息子を迎えにはやれませんが、馬車をご用意しますので道中楽しんで、ゆっくりお越しください」と連絡があった。


もう何というか、情けなくて涙も出ない。


「……はぁ」


私は本日何度目かになる溜息をつき、重い足取りで回廊を歩いた。


大理石の回廊に、私の足音だけが響く。

外から聞こえる小鳥の鳴き声の何と遠い事か。

初めてここを渡る時は両親に兄弟、親戚、他所の魔術師たちも連なってそれは賑やかだったものだが、今では私1人だけ。

もう誰も、私の事など気にも留めていない。

それでも私は行かなければならない。


これで最後。

ここを歩くのも、今年で最後になるのだから。


査定の為に訪れた塔の魔術師くらいは、もう儀式の間に入っている筈だ。例え一族が誰も来なくても、彼等にまで迷惑はかけられない。


日差しの差し込む開放的な雰囲気の長い廊下を鬱鬱と進んでいくと、眼前に重そうな鉄の大扉が現れた。

あれを潜れば、もう後には引き返せない。

一歩一歩近付くと、人気も無いのに大扉は自動で開いた。

金属の軋む音を反響させながら、薄暗い廊下が現れる。重りのついた足を引き摺る様にゆっくりと足を踏み出すと左右の壁に青白い火が灯り、歩くべき道筋を照らし出す。


せめて壁とか明かりがもっと極彩色なら、もう少しここを歩く気持ちも晴れやかになるかもしれないのに。などと、どうでもいい逆恨みめいた愚痴を飲み込みながら進んでいく。


牢獄めいた廊下を抜けるとまた扉。

木製のそれを、今度は自らの手で押し開ける。

ぎぃっという耳障りな音と共に開いた入口を潜ると地下へと向かう階段が現れた。


真っ直ぐに伸びた階段の下には、青い光が漏れていた。その光を見つめながら私はただ先へ進む。

数十段ある階段を降り切ると、とうとう目の前に儀式の間が現れた。


階段を降りた地点から真っ直ぐに伸びる細い道。

その左右は透明度の高い水で満たされており、底の方の床や壁は青く輝く晶石で埋め尽くされている。


乾いた音を立てて浮き道の様な通路を歩くと私の靴音に合わせて水が波紋を描き、晶石から受けた光を反射して天上や壁に揺らめく紋様を浮かび上がらせた。


溜息が出る程美しい光景。

初めて見た時は感動の余り言葉を失ったものだが、今は別の意味で言葉も出ない。


光の模様を刻みながら湖に浮かぶ庭園へと向かう様に歩を進める。

中央まで辿り着くと、円状の魔法陣と正面、左右に私の身長の倍はあろうかという巨大な水鏡が現れた。

それらは何の支えも無く宙に浮いており、その鏡面は空気の振動を感じてゆらゆらと揺らめいていた。

ぼんやりとそれを眺めていると不意に


「ソルシアナ」


名を呼ばれ顔をあげる。


「ソルシアナ・ファウリア・ド・ベネトロッサ」

「はい」


思わず返事をし、声をした方を見上げるといつの間にか正面の水鏡の真上に人影が現れていた。

椅子に座る様に身を屈めたそれは白い影法師の様であり、凡そ人であるという感覚にはならなかった。

査定の魔術師だ。

恐らく遠見の魔術でそこに意識体だけ飛ばしているのだろう。普通は生身で来るものなのだけれど。


「申し訳ない、ソルシアナ。今日は何かと忙しくて都合がつかなくてね、遠見で失礼するよ」


聞こえてくる声は若い様な、年老いた様な、不思議な多重層音声で耳に届く。


「構いません」


とは言ったものの、勿論いい気分はしない。

まあそれだけ私への関心が塔でも薄れているという事なのだろうが。

こちらとしては最後の年くらい、ちゃんと顔くらい見せろと言いたいところだが、向こうも厄介事を引き受けたくらいなのだから魔術師的にはまだ良心的な査定員なのかもしれない。


「さて、ソルシアナ。今年も君は召喚の儀に挑む訳だが、その心に変わりはないかね?」


何とも微妙な質問をしてくる。

まるで諦めて辞退してくれ、と言っている様にも取れるーーいや、実際、辞退して欲しいのかもしれない。


査定を行う魔術師は基本的に塔でも階級を持つ高位の魔術師だ。階級を持つということは当然、重要な位置付けにいる人物であり、その分負うべき役割も責任も大きい事が予想される。


ましてや今の時期は他の派閥との交流会や学会、各種祭礼が重なっており非常に多忙を極める。そんな中、落ちこぼれ1人の為に人員を割くなど言語道断。


うちが名門でなければ、去年の時点で儀式の査定そのものが打ち切られていただろう。

誇っていいのか、悲しむべきなのか。


一応「はい」と返事はしたものの、こちらとしても気乗りはしないのでさっさと済ませるべきなのかもしれない。


「お忙しい所、御足労頂いて申し訳ありません。出来れば直ぐにでも始めたいのですが……」


そう告げると、相手は小さく頷く素振りを見せた。


「分かった。では始めるとしようーーベネトロッサの娘、偉大なるアゼルの裔よ、陣に進みなさい」


促され、私は魔法陣の中央に進む。膝をつくと床に記された陣に触れ、意識を集中させた。

泣いても笑っても、これで最後。

静かに詠唱を始める。


『悠久の門、叡智の扉、其は高き御坐(みくら)より汝を喚ぶ者なり』


霊層に火を灯し、基定回路に接続する。

心臓が熱くなる様な感覚が訪れると同時に、瞬時に頭のてっぺんから爪先までが一つの神経で繋がれた様に鼓動に同調する。滞りなく魔力が廻っている状態ーートランスに入った。それに合わせて手を添えた魔法陣が輝きだし、光を伴った水が溢れてくる。

手首から膝の高さまでが魔力を宿した水に埋まり、やがて水鏡からも引き寄せられる様に水が溢れ始める。


ここまでは順調。問題は、いつもここから。


『この声は、僻絶の金紗を越え、遠き地へと谺響する。聞かば応えよ、御坐より降り、我が手を取れ』


詠唱を続ける。

しかし、なんの手応えもない。


以前、姉から教わった。

詠唱の第1節は従霊のいる世界への扉を開く為のもの。それは言わば家の扉をノックする為のもの。


そして今唱えた第2節。

召呼の言霊に、従霊は反応する。反応があれば回路を通じて従霊と会話が可能になる。つまり、交渉が出来る様になるのだ。


交渉が出来れば次に第3節。

従霊を従える為の条件の提示に移る。

従霊の中には無理難題を言うものもいるが、基本的には術者の魔力が自らを上回ってさえいれば対価として魔力の供給を条件に、召喚に応じてくれる。


私にとって一番の問題は、この第2節にあった。

私の声は、従霊のいる世界に届いていないのだ。ノックは出来ても会話が出来ない。だから従霊も応えようがない。


何故そうなのかは分からない。

姉には私に合う世界と繋がっていないだけだと言われたが、じゃあ私に合う世界というのが何処なのかと言う事も私には分からない。


魔力は廻っているし扉も知覚出来ている。なのに、肝心の従霊の存在を感じられない。


「……っ」


今もそうだ。

全然、何の声も聞こえない。

誰も応えてくれない。


兄は言った。

従霊は自分と近しいものに応える、と。

誇り高い者には誇り高い従霊が、聡明な者には聡明な従霊が。その魂の形と似た者を好み、従うのだと。


じゃあ私は?


私に応えるのはどんな従霊だろう。

私は卑屈で、矮小で、弱い人間だ。そんな何の取得もない人間に、力ある従霊が応えるだろうか。


ああ、そうか


今頃になって分かった。

答えは、否だ。


「…馬鹿みたい」


言葉がついて出た。

そうだ。もう既に、生まれた時から決まってたんだ。


私には呼べない。


こんな人間に人よりも優れた力を持つ者が呼ばれる訳がない。共感なんてする筈もない。惹かれる訳がない。


分かっていたのに


認識した途端、手足がずしりと重くなる気がした。

回路が閉じる。

最後の儀式が終わる。今更気付いた事が惨めで、悔しくて、そんな己が呪わしくて両の目から涙が零れた。


「そこまでにしよう、ソルシアナ」


打ち切りの言葉が査定員から告げられた。


「残念だが、今回も君には無理の様だ。とても残念だよ」


静かな言葉には何の感情も宿ってはいなかった。言葉は丁寧だが、相手が何も感じていない事が手に取る様に分かる。気付くと水鏡の水も凪いだ湖面のように大人しくなっていた。


ああ、終わった。


「それではソルシアナ、また来年。次こそは良き従霊を迎えられる様に祈っているよ」


まだ魔法陣に膝をついて呆然としている私を残し、その魔術師は遠見を打ち切った。

蝋燭が燃え尽きる様に、一瞬だけ強く揺らめくと辺りには再び静寂が訪れる。それに合わせて晶石の光も、緩やかに落ちてゆく。


「終わった」


知らず、拳を握る。


「終わっちゃった……」


口にすると自分の情けない声だけが、やけに耳についた。


結局、私は落ちこぼれだったんだ。

どれだけ学んでも、寝食を惜しんで鍛錬しても、所詮は人間的に欠陥品で。だから、どの従霊も見向きもしてくれなかった。そしてこれからは現実的に、ますます誰からも見向きされなくなる。


とめどない涙が魔法陣に残った僅かな水滴に混じり消えていく。


いっそ私も消えてしまえたらいいのに。

誰にも認められないのなら、いないのも同じ。

生きてる意味なんてない。

最初から私さえ生まれてこなければ、私も家族も皆が平穏だったのに。


全部、私のせいだ。


「う、うぅ」


口を引き結んでも嗚咽が漏れる。

何でだろう、胸が掻き毟られる様に痛くて苦しい。

何の期待もしていなかった。でも、とても苦しい。

嫌々儀式にのぞみはしていたけれど準備を怠った事は1度もなかった。でも、結果は出せなかった。


ああ、そうか

私、悔しいんだ


確かに卑屈だった。負け犬だった。でも、それでも修練だけは続けて無様に足掻いていたのは、きっと心のどこかで認められたいと願っていたから。


誰でもいい、誰かに認められたいと。

もう1度、家族に戻りたかった。一族のお荷物じゃなくて、娘として妹として、姉として、もう1度あの輪に入りたかった。


家族が、一族だけが私が知る唯一の世界だったから。けれど、それももう叶わない。


「……ひっく…うっ」


拭っても拭っても、涙が止まらない。

どうしようもなく切なくて、痛くて、苦しくて。


私はただ孤独が怖かった。

1人は嫌、1人ぼっちは嫌。

私を私として受け入れてくれる場所が欲しかっただけなのに、どうして私は駄目なんだろう。


噛み締めた唇が痛い。

握った拳からは血が滲んでいた。目の前が真っ暗で、何も見えない。いっそ水路に身投げして死んでしまいたい。

透明な水に私の血が吸い込まれていく。それを見下ろしながらただ子供の様に泣いていた。


赤い線画の様に水面に浮かぶ血。

息苦しい。呼吸が出来ない。

泣き過ぎたせいか頭もぼんやりとする。頭にもやがかかったように真っ白で、くらくらした。と、そこへ


『……い』

「え?」


誰かに呼ばれた様な気がして、私は顔を上げた。

あたりを見回すけれど、そこには誰もいない。

当たり前か。ここにはもう私しかいないのだから。もう1度俯いて、今度こそどう死のうかと考えていると


『おい』

「な!?」


今度こそ、はっきりと聞こえた。くぐもってはいるが、かなり明確に聞き取れる男の声。


「だ、誰!?」


立ち上がって声を張り上げる。ここには一族と査定の魔術師以外は入れない筈だ。最初は査定員が戻ったのかと思ったが明らかに違う。


遠見による多重音声ではなく、単一の声。

ガラス越しに聞くような感じだが、聞いたこともない声だ。一族の人間にも該当する声音の持ち主は記憶にある中にはいない。


じゃあ、この声は?


『おい小娘。扉を開けろ』

「…はい?」


どこか不機嫌そうで粗野な色合いを含んだ声が命じる様に告げた。


「扉って…」


戸惑いながら背後を振り返り、儀式の間の入口を見るが通路からここまでは階段を降りて一本道で扉など存在しない。

この部屋には他に扉らしいものはなく、私には声の主が何を言っているのか理解出来ない。すると今度は呆れた様に、かつ盛大に苛立った様に声が告げる。


『阿呆か貴様は。扉と言えば叡智の扉に決まっているだろう。さっさと開けろ。泳ぐのも疲れた』

「え、え?」


叡智の扉。

今、叡智の扉と言ったか。


ええと、叡智の扉って言うと召喚術の基本で、従霊がこちらの世界に現界する為に通るもので、ここを潜ると仮初の肉体を与えられて……


『御託はいい。次はないぞ。さっさと開けろ。さもなくば喰い殺す』


淡々とした口調なのに、なんかさらっと物騒な事言ってますけどこの人。


人……人!?


どっちでもいいけど、早くしないと何か本気でヤバイ気がヒシヒシとする。


「い、今!今やりますから!!」


慌てた私は再び霊層を灯し、回路を開く。途中まで詠唱していたお陰で術式は難無く再起動した。

魔法陣と水鏡から水が溢れ、魔力に満ちた水源が光を取り戻す。


「も『求むる』…あ、あの、何を対価にすれば…?」


おずおずと尋ねると、確実に怒っていると分かるドスの効いた声が


『何でもいい。当座は魔力を寄越せ。こっちは遠泳で疲れて腹も減ってる、頭から齧るぞ小娘』

「ひぃっ!ご、ごめんなさい!!『求むる力を依り代に、汝、現界せよ』!!」


詠唱を終えると同時に魔法陣の中心に光の柱があがり、天井を深紅に染め上げる。


赤い光。と言うことは炎に纏わる存在なのだろうか。そんな事を考えていると急激に光が衰え、今度は魔法陣の中心に黒い渦が渦巻く。

黒と言ってもビロードみたいな艶やかな黒ーーではなく、どろりとした重たいヘドロみたいなくすんだ黒で全力で禍々しい。


ああ、もしかして私、

変な悪魔とか呼んじゃった系ですかね?


若干気が遠くなる。

従霊に悪魔を召喚した例なんて、分家であるルジエル家の8代当主・ルーファスくらいしか聞いたことないけど。


あ、もしかして私、超レアキャラ?

ばんざーい……なんて、思えないし


遠い目をしていると、魔法陣の中心からぬっと黒い手が生えてきた。そして何かを求める様に空を撫でる。

何となくそれが気になって、私はそっと手を伸ばす。するとその手は不意にガシッと思い切り、とんでもない力で私の手を掴んだ。


「痛い痛い痛い痛い!」


思わず絶叫する。


骨が、骨がミシパキいってる!

しちゃいけない音してましたが、今!


暴れて振り払おうとするも、その力は緩むこと無く私の手を掴んでいる。

自分の手首から下が無くなるんじゃないかという危惧から掴まれた場所を見下ろすと、真っ黒な手が握り潰さんばかりに私の手を掴み乱暴に引っ張ていた。

一応指は5本あり人の形に近くはあるが、その手は翼竜の様な分厚く鋭い外殻で覆われている。


ナニコレ怖い!!


ガタガタと震えていると、私の手を手摺代わりにしているのか遠慮の欠片も配慮も微塵もなく、思い切り引っ張りながら黒い渦からズルリと何かが這い出てきた。


「あ、あ…」


はくはくと口を動かすものの、何を言ったものかと混乱した頭で考えていると、這い出した“何か”はゆらゆらと人の形を取り始めーーやがて、そこに1人の男が現れた。

お読み頂き有難うございました。


落ちこぼれ魔術師が、従霊召喚!?


さてさて

これからどうなりますか。


ちょこちょこ加筆修正しております。


今後とも宜しくお付き合い下さいませ。

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