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女子高生、坂東蛍子

坂東蛍子、ガムを噛む

作者: 神西亜樹

 ガムという食べ物がある。口の中に放り込むことで様々な効能をもたらす摩訶不思議な食べ物だ。善良な市民が食めば口腔を爽やかな果汁の甘みで満たし、悪意を持って口にすれば歯を堕落させ町を汚す怪異となる。ガムが多義的なのは、それだけ沢山の人の口に受容されてきたからでもある。人の数だけ人生があるように、ガムの数だけ物語があるのだ。川内和馬(せんだいかずま)が封を切ったこのガムもまた、そういった連綿とつらなる歴史の切先に位置するガムなのである。

「ねぇ、それ噂のガムでしょ」

「ば、坂東さん!?」

「ちょうだい」

 和馬は緊張でカチカチになりながら、差し出された坂東蛍子の掌にガムを一粒恭しく置いた。彼の手にしているガムは、今世界中でムーブメントを起こしている少し特殊なガムである。何でも、噛んだ後で口外に出し、一定時間空気に晒しておくと溶けてなくなるのだそうだ。これは化学分解によるものだそうで、自然に優しいお菓子として方々からの奨励を受け、瞬く間に広い知名度を獲得することになった。しかも風船状に膨らませることも出来る。フレーバーも三種類ある。

「ん、グレープ味かあ」

 さて、以上はこのガムの流行った表向きの理由である。多少捻りが利いているからといって、たかがガム一つが世界中を席巻することなど出来るわけがないのである。大抵の物事には裏がある。

 事の発端はアフリカだ。

 現代においても紛争の絶えないアフリカの戦場では、先進国毎に葡萄の房ほどの数の工作員が密かに送り込まれている。イギリスの秘密情報部SISの諜報部隊もその一つだ。彼らは当時、証拠を残さずに武器兵器の誤作動を誘発させる装置の開発を進めており、結果として生まれたのがこのガムだった。安全で誤魔化しがきき、持ち込みが容易でしかも美味しい。「消えるガム」はまさに最強の兵器だった。ガムは戦場で無頼の活躍を見せた。敵の兵器は何故かいつもベトベトのガムまみれで、暫くすると見えない清掃員の手により綺麗に除去された。アフリカ諸国では衛生管理の講習が頻繁に行われ、それによって伝染病の幾つかが根絶された。

 やがてガムの生産が前線の小さな工場だけで追いつかなくなると、SISはメディアに対して大々的に広告するよう呼びかけることになる。社会的認知を得ることで本国から嗜好品として大量輸出を可能にしようと考えたのだ。勿論敵国への技術流出は免れないが、この時点で既に他国の諜報員にガムの尻尾を掴まれており(さすがにベトベトやり過ぎたようである)、国際法違反を追及される恐れがあったため、結局はこういう形で隠滅を図る他なかったのだ。

「普通ねぇ。私としてはもっとこう、国際色を出して欲しいのよね」

「抹茶味とか?」

 ガムは戦争をする側だけでなく、させられる側にも意味のある代物だった。宗教である。アフリカの宗教はその八割がイスラム教とキリスト教が占めている。現代、この二者間、あるいは派閥間でよく問題になるのが偶像崇拝の是非である。現代では抹茶の啜り方にも賛否があるように、宗教にも神を象った像を造ることをよしとしない人間がいて、像や絵や、形のある宗教物を忌み嫌っているのだ。しかし人が形のないものを信仰することは容易ではない。アフリカの人々は、たとえ偶像を禁止されていようが、想像の中の神に触れることを何処かで求めていた。そこに現れたのがこの「消えるガム」だった。「バニッシュ・ガム」は「居るが居ない」「感じるが見えない」という神の側面を見事に表し、一部の人々から偶像の代わりとして密かに用いられ始める。彼らは午後の空き時間に市場でガムを買ってくると、その一粒を祭壇の上に恭しく供え、そこで誠実な祈祷をした。

「まぁガム自体が好きだから良いけど。アホっぽくて」

「ガムがアホっぽいって、初めて聞いたよ」

「アホっていうか、単純?裏表なさそうじゃない?」

 政府の解散の時期にガムが売り出されたことも、ガムを作っているお菓子工場の会長が選挙に立候補したことも、勿論関係がある。輸出においてサイズや重量の問題を回避出来たことだって関係がある。医療利権も絡んでいるし、幼児への安全配慮を訴える市民団体もキャンペーンに絡んでいる。しかも、膨らませて風船状にすることだって出来る。チューイング・ガムとしての楽しみも持っているのだ。

「ねぇ、どっちが大きく膨らませられるか勝負しましょう」

「ええっ」

 企業、メディア、宗教、政治、国際問題――今のご時世、ガム一つでも複雑な背景を持っている。現代は何だって複雑だ。どんな単純で安全に見えるものも、捻れた竜巻の末端に過ぎない。雲の上にはいつだって見えない何かが潜んでいる。大抵の物事には裏があり、大事なことは考えるほど現れて止まないだろう。

「わっ」

 膨らませた風船を自慢しようと蛍子が振り返る。すると二人の風船の先端が触れ合い、互いに押し合い歪み合って、同時に破裂した。蛍子は口の周りに張り付いたガムにきょとんと目を丸くしていたが、やがて可笑しそうに噴き出すと、和馬にニカっと三日月の歯を見せた。

「ふふ。おいしい」

 ガムはおいしい。少女にはそれが全てだった。

「う、うん・・・」

 彼女は美しい。少年にはそれが全てだった。

【川内和馬前回登場回】

今際の際で笑む―http://ncode.syosetu.com/n0870ce/

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