吾輩
この小説を競馬とライトノベルと小説を読むのが好きな人に、なんとなく捧げる
高校生が自力で金を稼ごうと思ったら高校生らしく素直に時給850円で中華料理のファミレスで働くか、でなければいっそ道を外れて男らしく有り金を全部ギャンブルに突っ込むしかない。
という邪なことを考えて新宿を歩いていたら猫に話しかけられた。
「にゃー」
クリーム色の体に耳と鼻の周りが灰色で、足としっぽが茶色い。テレビで見たことがあるぞ。
「高校生のくせに馬券を買うんじゃない!」
げっ、なんだこの猫、喋りやがった。しかもあれだ、こいつはきっと俺の財布に詰まった諭吉と樋口と英世の匂いを嗅ぎつけて来たに違いない。
「猫が金なんぞ使うか、この青二才めが!吾輩ちょっとねこまんまが食いたいんじゃ」
あーあ、なんて日だ、せっかく朝から馬券が当たったと思ったら猫に絡まれて見透かされてねこまんまをたかられるなんて、世も末だぜ。
それに、猫が喋りかけてきたことよりも、猫も金を持ってる奴にたかる、貧乏人は猫にすら足元を見られるのかと思うとそっちの方が驚きだ。
「それでどうなんじゃ、ねこまんま食わてくれるのか?」
あぁ、世界にはまだまだ俺の知らないことがたくさんあるんだな。猫がしゃべる、そういう不思議なことだってあるかもしれない、俺はそう思ってる。だからいざ猫がしゃべっても驚かないし、むしろそういう世界の方が楽しくていいじゃん、とさえ思ってたよ。
あぁ、だけど考えてもみなかったな、猫が喋ったら俺に何て言うのかなんて、きっと
『猫の世界へようこそ』
なんて言ってくれるんだろうなとでも思ってたのかな…
「おい、ねこまんま食わせてくれるのか?」
自分に幻滅だぜ。
「何が吾輩だ、デーモン小暮かお前は」
「吾輩はすっぴんである」
なに、なかなかやるなこの猫。
たしかにコイツはどう見てもすっぴんだ。
俺の『何が吾輩だ、デーモン小暮かお前は』のツッコミに対して、自分の事を吾輩と呼ぶあの相撲好きのデーモン小暮閣下のことを猫のくせに知っていて、その上でデーモン小暮なら化粧しているだろ、ということを、かの有名な、猫といえば吾輩の、夏目漱石の『吾輩は猫である』に掛けて返してくるなんて…
なんて猫だ。
猫のくせに。
猫なのに。
そうか。
たかが獣と侮る無かれ、『上には上がいる』これは人間相手だけの言葉じゃなかったんだな、猫を前にして自分の浅さ、身の程を知った思いだぜ。
「分かった。吾輩ごちそうさせてもらおう(吾輩返し!)、ただしねこまんまはムリだ、他のモンにしてくれよ」
「ナニ?」
まるで驚愕、そんな表情だ。
かわいそうなヤツ。言い表すなら、例えば、夢にまで見たねこまんまがまさに今お盆に乗せられ目の前をナイアガラの滝に向かって流れていくような、まるでそんな顔だ、猫に同情するのは初めてだが、かわいそすぎる。
「ナニ?じゃねーよ、ねこまんまは一応料理なんだよ料理、猫料理、作るのに食べ残しがいるし鍋も火も必要なの、猫缶でもかつおぶしでもジャーキーでもなんでもいいから、そこら辺で買えるものにしな」
「そうなのか…、吾輩新宿に流れ着く前に中野で一度だけねこまんまを食べた事があるんじゃ、誰も住んでない家の小屋で雨宿りしとった、そこに小さな女の子がねこまんまを作って吾輩に持って来てくれたんじゃ」
話長そうだな。
俺はアスファルトを見つめながら話す猫をケータイで撮って去年告ってフラれたクラスの女子にメールを送った。
【この猫の種類知ってたら教えてくれない?】
しかし、あれだな。
告ってフラれた女子と仲いい友達ってどうなんだろ。
それでいいとは思っちゃいたが、意味あんのかこの関係。
「しかし、猫料理と言われると吾輩が料理されるみたいだ」
なんだ話終わったのか?
新宿に来る前に中野にいたとか言ってたな、猫にして流れ者とは恐れいったぜ。
「それで何食うんだよ、猫缶でいいのか」
「おぬし吾輩の話聞いてくれとったのか?」
「聞いてたよ、とにかく思い出の食べ物なんだろ、ねこまんまが、だけど無理だぜ」
「吾輩食べたいんじゃ」
「吾輩食べたいんじゃ」
二回も言うなよ。
「じゃあな」
「いや、待て、待つんじゃ」
「なんだよ?」
「そこで待っててくれ、吾輩すぐ戻ってくるから、ほんの束の間じゃ」
そういうと猫はサササっと狭いビルとビルの間に積まれている物の隙間に入っていった。
立ち去ろう。
「絶対に待っててくれよ!」
猫は物陰に消えたと思ったら頭だけ出てきてこっちを向いていた。
チッ、感づいたか。
仕方ない、待ってやるか。
俺は二つ折りの財布の札入れを眺めて悦に浸ることにした。馬券を当てて分厚くなった財布を見る楽しさは競馬をやる人間にしかわからない。
三万四千円も入ってる!
単勝24倍、単複千円二点買い、最高だぜ。
例えば一万二千円持ってたとしたら、一万円札一枚と千円札二枚よりも、五千円札一枚と千円札七枚の方が金がたくさんある気がするから好きだ。
どうでもいいけど。
そして猫が戻ってきた。口に何かペラ紙をくわえている。
ケンタッキーフライドチキンのクーポンだった。
「今週から新しい季節のチキンがはじまったんじゃ~、これじゃ、これにしてくれー」
ネコがケンタッキーのクーポンをアスファルトに置いて前足で押さえて見ている。
なんて光景だ。
新宿じゃ猫にも市民権があるんじゃないかと目を疑うぜ。
「わかったよ、それが食いたいんなら買ってやるよ、しかたねーな」
ずずずず
よだれ垂らしてるし…
「よだれが止まらん、早く連れてってくれ、南口じゃ、南口のケンタが一番近いぞ」
まったく、ホントしょうが無い猫だな、てかそのまんま千円渡せばいいんじゃないか?
俺は猫を抱き上げて南口のケンタッキーに行くことにした。
「なんじゃ、運んでくれるとはお主気が利くのー」
「後ろついてくる猫に話しかけながら歩けるかよ、抱えて小声で話す方がマシだ」
「ふふん、苦しゅうない、苦しゅうないぞ」
新宿を人の腕の中でふんぞり返る猫に話しかけながら歩く。
これだけ人間がうじゃうじゃいる中でそんなことをしているのは俺だけだ。
何やってんだか。
「んで、お前名前は?」
「吾輩名前なぞ持っておらん、人に呼ばれる時は『ネコちゃん』などと呼ばれているがな」
「野良猫かよ」
「そうじゃ」
「じゃあ『わがはい』な、自分でそう呼んでんだし」
「うむ、吾輩に名前があるなら吾輩が相応しいのである」
「それで吾輩は何歳なんだ?」
「吾輩はおととい1歳の誕生日を迎えたんじゃ!」
1歳?
1歳でこんなジジイになっちまうのか。
ん? でも待てよ?
「誕生日があるってことはやっぱ飼い猫だったのか?野良じゃ日付がわかんねーだろ」
「うむ、実は吾輩世田谷生まれなのだ。兄弟は四匹おった、誰が最初に生まれて最後に生まれたのかは分からなんだ、四人おった」
「それでなんで野良猫なんてやってんだよ、捨てられちゃったのか?」
「いや、ふるさとは捨てたんじゃ。吾輩は生まれながらの流れ者、風遊ぶ都会に漂う擦れた人間たちの匂いが呼んでいたんじゃ」
ほんとに猫なのかコイツ…、
ただの世田谷生まれの妖怪なんじゃないのか?
「んで、いつもこんな感じで人にたかって飯にありついてんのか」
「そうじゃ、ケンタッキーの味は寒い冬に転がり込んだ水商売の小娘が教えてくれたんじゃ」
小娘…。
死にかけに憐れみをかけられて拾われただけくさい。
「その女にそのまま養ってもらえばよかったじゃん」
「匂いが耐えられんかった」
「ニオイ?」
「そうじゃ、水商売の女にしてはおっぱいもケツも残念な娘で、その上香水とタバコと酒のニオイが部屋に満ちておったんじゃ、猫は獲物を狩るために匂いが付くのを嫌う獣じゃ。吾輩には耐えられんかった。それに言ったじゃろ、吾輩流れ者なんじゃ、一処には留まっておれん性質なんじゃ、だから春を待って家を出たんじゃ」
春までどっぷりかよ。てか残念なおっぱいとケツのくだり必要か今のセリフに。
「ところでお主の名前はなんというんじゃ、まだ聞いておらんぞ、吾輩恩をくれた人間の名前も知らぬという無礼な真似はできん」
でも律儀な奴…
「拓郎、陣馬拓郎。別に覚えなくてもいいぞ」
「いや拓郎、吾輩絶対に忘れん、絶対に忘れんぞ拓郎」
なんかいい奴だな。
南口のケンタッキーに着いた。店の前に漂うチキンの香ばしい匂いが食欲をそそってたまらない。
吾輩は目をまんまるにして口が半開きにしてよだれを垂らしているが、その気持ちは俺にもわかる、マジで腹が減ってきた。
俺は吾輩を地面に降ろした。
「ちょっと待ってろ、ネコを店に入れるわけにはいかないからな」
「うむ、しかし早くしてくれよ、吾輩これ以上理性を保っておられん」
「はいよ」
ケンタッキーフライドチキン新宿南口店は混んでいて俺は列に並んだ。
ケツポケットに突っ込んだクーポンを出して切り取りながら待機。
「ねぇ見てあのネコ~、ガラスに張り付いてる!」
振り返ってみると吾輩が後ろ足で立ち、両前足と横顔をべったりガラスに貼り付けてよだれを垂らしながら俺を見ていた。
店内失笑で、女にケータイで写真を撮られている。
恥ずかしい奴だなまったく。
「ねーあのネコ野良かな」
そういう声が聞こえた。
そういえば首輪してないな、誰かに連れて行かれなきゃいいけど。
そして俺は五分程でケンタッキーを手にして店を出た。