ホワイトデー
「ねぇ、兄さん。それ取りに来なかったの?」
帰り支度を済ませた私は、壁に背を凭れ掛かりながらそれを眺めていた。
視線の先にあるのは、花が活けられていた細長い木製の箱。閉店時間を先ほど終えたため全て空だ。
その横には、ラッピングが綺麗に施された薔薇の花束が先端部分だけ水に付けられている。
真っ赤な薔薇が三本――女神リーヴェの名がつけられている花だ。
大輪の上にウェーブかかったような花弁のため、とても品があり華やか。
ただ、品種改良されたばかりの花のせいか、まだ生産が不安定。
値段も高騰しているので、うちよりも貴族御用達の店が仕入れる。
見栄えが良く香りも高いため、流通が上手くできればきっと爆発的に広まる事間違いなし。
今最も注目されている薔薇だ。
「今、取りにいらっしゃる」
「ご新規さん?」
「いや、常連さん」
その薔薇の隣に配置されているテーブルにて。
椅子に腰を下ろしている兄さんは、苦笑いしながら青いファイルを眺めている。
それは予約表で、恐らくスケジュール調整を行っているのだろう。
もうすぐホワイトデーだから。
――きっと、多分当日の夕方から凄まじく忙しくなるだろうなぁ。
「なぁ、ヒスイ。ホワイトデーだけど、あと三人予約って無理か?」
「配達なし? あり? 配達なら無理だけど、店頭受け取りなら大丈夫」
「そうか、なら頼めるか?」
「うん」
「悪いな」
「いいよ。折角この店を選んでくれたんだもの」
この王都にはたくさんの花屋さんがある。その中でもここを選んでくれたのも縁。
だからなるべく引き受けたい。それから常連さんになってくれたら嬉しいし。
「そうだな……この店を御贔屓にしてくれたら嬉しいよな」
「うん」
「あぁ、そうだ。ホワイトデーと言えば、お返し何がいい?」
「気にしなくてもいいよ」
「欲しい物何かないのか?」
「んー」
「何かあるなら、言……――」
「こんばんは」
ガラガラと引き戸が開けられ、冷たい新鮮な空気と共に聞き慣れた声が入って来た。
そのため兄さんの意識がそちらに向き、言葉が途中で途切れてしまう。
「こんばんは、ライト様」
「旦那様!」
来客は、旦那様だった。
厚手の茶色いコートに黒いマフラーを首元に巻き付け、艶のある革製の手袋を身に付けている。
相変わらず旦那様はカッコいい。
メサイアさんの件以来馬車の送迎付きなんだけど、今日は旦那様がお休み。そのため迎えは旦那様が来て下さったのだ。
「ライト様。今準備しますので、お待ち頂いてもよろしいですか?」
「えぇ。お願いします」
兄さんの言葉に旦那様はそう言って微笑むと、私の元へとやって来た。
そして手袋を外して私の頬へと触れる。
……暖かい。水仕事をして冷えている私とは違い、彼は体温が高いのかもしれない。
「迎えに来て下さりありがとうございます」
「いいえ。可愛い妻に早く逢いたいという、僕の我が儘ですから」
そんな甘い言葉を口にする旦那様に、私は体中の血液が沸騰する感覚を抑えられなかった。
――って、ここ店だったっ!!
兄さんに聞かれてしまっていたら気恥ずかしいと視線をそちらへと向ければ、ちょうど兄さんは花束を持ちこちらにやってくる所だったらしい。表情などから察するに、どうやら聞かれなかったようだ。
「ライト様。こちらご予約頂いた商品です」
兄さんは、あのお取り置きになっていた大輪の薔薇の花束を差し出した。
どうやら予約者は旦那様だったらしい。というか、常連だったのか……
そう言えば、賢王の教会で頂いた花束もうちのだったなぁ。
「旦那様、注文ありがとうございます。プレゼントですか?」
「えぇ。これはヒスイさんへです」
そう言いながら旦那様は私へとその薔薇を差し出してくれた。
まさか自分が貰えるなんて思ってもいなかったので目を大きく見開いてしまう。
誕生日でもなければ、記念日でもない。
それなのにどうして……?
それが顔に出ていたのか、旦那様はくすくすと喉で笑うと言葉を紡いだ。
「もうすぐホワイトデーですから」
「あっ、お返しですか? ありがとうございます」
「違いますよ。それは別に用意していますので。これは僕からのメッセージカードみたいなものです」
「え……?」
小首を傾げながら旦那様を見上げれば、優し気に細められたエメラルドの瞳とかち合った。
――薔薇の花が三本でメッセージカード? ってなんだろうなぁ?
+
+
+
あの日から毎日、旦那様から毎日薔薇の花を頂いている。
段々と本数は増えているけれども、その増え方が不規則。
――旦那様はメッセージっておっしゃっていたけれども、一体どういう意味なんだろう?
「……やっぱりわかんないや」
色々と考えたけれども、結局答えが出ず。そのため、つい私の口からそんな呟きが零れてしまう。
その時だった。店の窓から荷台を運んできた兄さんの姿が飛び込んできたのは。
どうやら早朝の仕入から戻って来たようだ。
いつもと違い、花はぎっしりと沢山。
ホワイトデー当日。そのため仕入れをかなり増やしているのだ。
「お帰り兄さん。少し休んでいったら?」
ガラガラと窓を開けてそう尋ねれば、首を左右に振られてしまう。
「いや、荷卸しをした……――」
「おーい! イファン、ヒスイちゃん!」
兄さんの声に覆いかぶさるかのように、そんな声が後方から飛んできた。
そのため、反射的に振り返る。するとそこには一人の青年がこちらに向かって駆け寄って来ていた。
それは一つ先の通りに住んでいる靴職人のデンさんだ。
彼はこちらに辿り着くと、大きく肩を上下に動かしながら「おはよう」と告げた。
「おはようございます、デンさん」
「おはよう、どうしたんだ? こんなに朝早く」
「実はさ、今から予約って出来るかな? 薔薇の花束が欲しいんだ。今日」
それには私と兄さんはお互い顔を見合わせてしまう。
「無理っぽいか? やっぱり急だもんな」
しゅんと肩を落としたデンさんに、私と兄さんは困惑。
引き受けたいけれども……
今日はホワイトデーなので予約がいっぱい。
その上、店頭用のアレンジ花も作らなければならないし。
兄さんと二人ならなんとかなるかもしれないけど、兄さんも私も配達の時間がある。
アリーさんもいるけど、店番を手伝って貰う予定。
「ニィナがこっちに来たんだよ」
「ニィナって、お前の恋人だったか? たしか今、隣国で働いているって」
「あぁ。それが今朝俺を驚かせようとして、仕事休んでこっちに。ちょうど今日ホワイトデーだろ? だからこの波に乗ってプロポーズをってな……」
「だから薔薇の花束なんですね」
「けど、無理だよな……108本もないだろうし」
「108本ですか? あぁ!プロポーズですものね」
時々店にも「結婚の申し込みをするんです!」というお客様がいらっしゃる。
そういう方は、108本の赤い薔薇を注文。
花束にはそれぞれ意味があり、108本の薔薇は、『結婚して下さい』だ。
「ん? 薔薇の花束の意味? ……あっ! そうか!」
わかった! 旦那様が薔薇に込めたメッセージ。
そうか。そっちか。だからあの数なのかーっ!
やっと結びついたメッセージの意味を一人で納得していると、「どうした?」と兄さん達に声を掛けられ、我に返った。そうだった。今はこっち優先。
「ごめん、なんでもない」
「そうか。ならいいが……」
「ねぇ、そういう事情なら引き受けようよ」
「そうだな……予約と店頭用以外で、赤薔薇どれぐらいある?」
「赤薔薇は100本。他にホワイトデーだからちょっと高めのエウストア産のが50。ケーニ産の30本も注文票に書いておいたけど、競り落とせた?」
「あぁ、それは問題ない」
「なら、組み合わせれば大丈夫」
「大丈夫か?」
「うん。アリーさんも手伝いに来てくれるし」
お昼抜きにしたり、営業時間外に制作しても構わない。
プロポーズなんて一生に一度だから。
「……だそうだ。どうする?」
肩を竦めながら兄さんがデンさんの方を見れば、彼は目を輝かせた。
そして両手を顔の前で合わせて拝み出し始める。それには私と兄さんも顔を合わせて微笑んだ。
「お願いする! ほんと悪いな。急に……」
「構いませんよ。ですが、薔薇の種類どうなさいますか? ご予算もあると思いますし」
「え? ちょっと待って。そんなに違うの?」
デンさんが、目をぱちぱちとしながらこちらを見詰めている。
「ありますね」
「ちなみに値段的にどんな感じ?」
「一般的な赤薔薇10本の値段でエウストア産が5本。ケーニ産3本って感じです」
「そんなに違うのかい!?」
「はい。ただ、組み合わせて頂かないと足りないです」
薔薇は品種によって様々だ。色もそうだけれども、何より香り。
「プロポーズだから奮発する! 金額は厭わない! と言いたいが、予算以内にして貰ってもいい?」
「はい。では、予約票書いて頂きたいのでどうぞ中の方へ」
「助かる。ありがとう」
私はデンさんを店内へと店に促した。
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本当に一日があっという間だった……――
私は事務室のテーブルへとうつぶせになり、体重を預けていた。反対側の兄さんも同じような体勢。
今日の営業をつい先ほど終え、私達は体力を消耗してしまいぐったり。
もう動きたくない。
このまま実家に泊まって行きたいけれども、アリーさんと兄さんの邪魔をするわけにはいかないし……
疲れと温かさからうとうとと眠気が襲ってきていると、部屋をノックする音が耳に届く。
そのせいで、それにすぐに現実の世界へと連れ戻された。
ガチャと扉が開く音と共に、
「ヒスイちゃん。ライト様がお迎えにいらっしゃったわ!」
という、アリーさんの声が室内へと浸透してきた。
そのため視線をそちらへ。
扉を押さえているアリーさんの横に旦那様の姿が。瞳がかち合うと、穏やかな表情で微笑んでくれた。
それを見て、なんだか心がぽかぽかとして、ちょっと疲れが飛んだ。
「そうそう、イファン! 見て!ライト様にいただいたの」
そう言ってアリーさんはテーブルの上に布に包まれた物体を置いた。
それは丸みを帯びていて、ころんとしている。
「ランさんのクッキーと料理長特製詰め合わせだって!」
「ヒスイさんにホワイトデーの忙しさを伺ったので。宜しかったら召し上がって下さい」
「ありがとうございます。正直作るのも食べに行くのも億劫で」
「いいえ。それからこちらもどうぞ。ワインです」
と、旦那様は細長い袋を兄さんへと差し出した。
「そんなに受けとれません!」
「そうですよ! そんなに気を遣わないで下さい」
兄さん達の言葉に、旦那様は穏やかな口調で告げた。
「頂き物ですので、お気になさらずに。明日はお休みなので、ワインでも飲みながら二人でゆっくりと過ごして下さいね」
兄さんとアリーさんはお互い顔を合わせると微笑んだ。
「ありがとうございます」
今日、ホワイトデーだもんなぁ……
このままここにいて邪魔になるため、そろそろ私も屋敷に戻ろうかな。そう思って立ち上がると、旦那様の元へと向かう。
「旦那様。ありがとうございます」
「いいえ。ヒスイさんこそお疲れ様です。歩けますか? 疲れて歩けないようでしたら、僭越ながら僕が抱き上げます」
「歩けます。現に立っていますし」
「……そうですか」
がっくりと肩を落とし、なんだか残念そうな旦那様。
それに私は苦笑いを浮かべた。本当に優しくて甘やかせてくれる人だ。
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「旦那様。これは……」
「ホワイトデーのメッセージです」
屋敷に戻るとホワイトデーのメッセージ花束を渡したいと、旦那様にエスコートされて私室へ。
するとそこには、大きなリスがいた。
勿論本物のリスではなく、真紅の薔薇の花を何十本…いや、何百本と組み合わせて作っているらしく、
それが床に絵画のように置かれている。
よくよく見ると、どうやら器の中に敷いた生花用の給水スポンジに刺しているようだ。
「これ、誰が……?」
隣に佇む旦那様へと視線を向ければ、彼は穏やかに微笑んだ。
「お兄さんの花を届けて貰い、僕が作りました。999本の薔薇ですよ」
「意味は何度生まれ変わっても貴方を愛するでしたよね?」
「えぇ」
「ありがとうございます。最高のバレンタインプレゼントです!」
私はそう言うと、旦那様へと抱き付ついた。
ぎゅっと少しでもこの想いが届きますようにと。
嬉しい。作るのきっと大変だったと思う。リスなのは謎だけど……
「喜んで頂けて嬉しいです。ですが、プレゼントは他の部屋にありますので」
喉で笑うと、旦那様は抱きしめ返してくれた。
「ホワイトデーはこれからです。今日はいつも以上に特別な日にしましょうね」
そう言って旦那様は屈み込むと、私へと口づけを落とした。




