ヒスイさんは僕の大切な妻ですから
「……は?」
天井部には、ぽっかりと開いた大きな穴が。
そして私の目の前には、そこから現れた紺色の上質な衣を纏った人。彼は私を守るように敵から庇い守ってくれている。
あまり突然の出来事に私だけじゃなく破落戸達も呆気に取られているらしく、目を大きく見開いていた。
「だ、旦那様……っ!?」
腰元に掲げられている鞘から剣を抜いている旦那様に、私は目が釘付けに。
どうして天井から!? とか、色々と尋ねたい事があるけれども、今は来て下さった事がただ嬉しい。
「ヒスイさん、ご無事ですか?」
「えぇ、はい。それより、旦那様こそ大丈夫ですか? 天井裏なんて」
「楽勝です。天井裏だろうが、何だろうが問題ありません。可愛い妻のために何処にでも忍び込めるスキルを身につけましたので」
今、決して流してはいけないフレーズを聞いた気がする。
「だ、旦那様、それは……」
「話はこの連中を片付けてからに。暫く目を閉じて下さい。貴方には血なまぐさいものは見せたくありません」
「わかりました」
と、旦那様に言われるまま瞳を閉じる。
すると金属同士のぶつかる音が響き渡り、私は身を固くし閉ざしていた瞼に力が入った。
何か大きなものが床に倒れる音や、うめき声……
それからむせ返るような錆びた鉄のような匂いに気分が悪くなるけれども、
それよりもまず旦那様の身が心配だ。
私を助けるために怪我でもしていたら、申し訳ない。
不安に押しつぶされそうになっていると何の前触れも無く音が止み、
頬に少し硬めの革の感触を感じそれに身をのけぞらせてしまう。
「僕です。すみません、驚かせて」
「怪我は大丈夫ですか?」
「ありません。片付けましたが、目は開けない方がいいでしょうね……」
「大丈夫です。旦那様の顔見たいです」
直接見て無事を確認して安心したい。落ち着きたい。
けれども、旦那様はこの現状を見せるのを躊躇っているようだ。
「ですが……」
「大丈夫です」
私はゆっくりと瞼を開けると、不安げに眉を下げたままこちらを見下ろしている旦那様の姿があった。
衣服には返り血や、埃や汚れている。
頬にも汚れがあったので、私はつま先立ちになると腕を伸ばしてそれを袖口で拭こうとしたが届かない。
そのため腕をぶんぶんと振り払うという何とも間抜けな状況に。
それを旦那様はクスクスと喉で笑っていた。
「構いませんよ。何処の誰とも知らない奴の血液で、貴方の服が汚れてしまいますから。それよりも本当に怪我などしていませんか?」
「大丈夫です。縄で縛られていたから、ちょっと赤くなっていますけど」
「縛られていた?」
怪訝そうな表情を浮かべた旦那様は、私の腕を掴むとそこへと視線を移す。
そして一気に悪鬼の如く表情を厳しくさせると、倒れている奴らへと目を細め睨んでいる。
それが今まで見た事もないぐらいの暗い空気を纏っていたから、恐怖で足がすくんだ。
――私の知っている旦那様じゃないみたいで怖い。
「でも、リス達は助けに来てくれて。それで、縄を切ってくれたから、脱走出来たんです。それに旦那様も助けに来て下さいました。だから、もう平気です……」
「ですが、こいつらは……――え? リス?」
こちらを見た旦那様は、きょとんとしている。
無理もないだろう。だって、リスが助けてくれたなんて。
「はい。リス達が」
「リスって、ヒスイさんの前世のリスですか? あの小さくて可愛く動き回り、ヒスイさんと似ているやつ?」
「馬鹿にしてますよね?」
「してませんよ。ですが、何故? もしかして、前世ではなく今もリスのお姫様……? そして彼らは騎士? 今の姿は仮の姿で、実は本体はリスなんですか?」
「違います! 人! 人間ですっ!」
「後でお礼をしましょう。可愛い姫を守ってくれた騎士に」
「はい! あの……それでずっと言いたかったのですけれども、抱きしめていいですか?」
「普段なら嬉しいですけれども、貴方を穢れた血で汚すわけにはまいりません」
「平気ですっ!」
私はそう告げると、旦那様に飛びつくように抱き付いた。
汚れようが構わない。やっと帰って来られた。安心できる場所に――
やっと安心できたのか、私は体の力が抜け旦那様に体重を預けるような形に。
それを旦那様は腰に手を回して受け止めて下さっている。
「助けに来て下さってありがとうございます」
「いいえ。ヒスイさんは僕の大切な妻ですから、当然の事。無事で良かったです。貴方が攫われたと聞いて心臓が止まるかと思いました」
「ごめんなさい……でも、どうやってここが?」
ぎゅっと抱きしめながらそう尋ねれば、数秒だけ間があり「愛の力です」と旦那様が答えた。
それを聞いて、これは完全に何かあると瞬時に理解。
今まで私を見詰めていた瞳が、さっと反らされている事も肯定している。
「旦那様」
「結果良ければ全てよしです」
「良くないです。後でお話し合いしましょうね」
「……はい」
項垂れる旦那様が可笑しくて笑っていると、「あのぉ……」という控えめな第三者の声が耳に届き、
私は大きく体をビクつかせた。
――もしかして、まだ敵が!?
恐る恐るそちらへ視線を向けると、そこにはアクセラ様とその後ろに控えている十数人の騎士達の姿が。
それにすかさず、私は旦那様から身を離した。「あっ」と旦那様の声が漏れたけれども。
「お取込み中の所申し訳ありませんが、兄上。そろそろ……」
「そうですね」
旦那様は頷くと私の肩に手を回しアクセラ様の後方の騎士の方へと促した。
そして彼らに「ヒスイさんの事をお願いしますね」と告げると、身を翻し奥の方へと進むように足を踏み出していく。それを私は慌てて止めた。
「待って下さい! 旦那様はどちらに?」
「ケリをつけに行って来ます。外にも騎士がいっぱいますから、安心して下さい」
「嫌です。旦那様も一緒に……」
私は手を伸ばし、旦那様の腕にしがみ付いた。
怖い。このまま、旦那様が戻って来なかったら……大けがを負ってしまったら……
滲む視界と沈んでいく心に私の体が強ばっていく。
「大丈夫です」
「でも……」
「約束します。必ず貴方の元へ戻って来ますから。貴方に渡したいものがあるんです。ですから、絶対に無事に戻ってきますよ」
旦那様は私の頬に触れると屈みこんで額に口づけを落とした。
「絶対に約束守って下さい」
「えぇ。メサイアを捕えたら必ず」
「そのメサイアさんの事なんですが、もしかしたら彼女は伯爵の事を好きなのかもしれません。ご本人は気づいてないようですが」
「まさか!」
「本人も否定しました。けれども、どう考えても……」
あの表情も全て作りものには思えない。
だからこれ以上の罪を作ってはならないと思う。
リヴァン君のためにも――
「わかりました。なら、尚更早く止めないと」
旦那様も同じ気持ちなのだろう。握り締めている手に力が入り、ぎゅっと皮の手袋が音を鳴らした。
「はい。あと、一つお願いがあるんです。ちょっと屈んでくれませんか?」
「えぇ、いいですよ」
と旦那様が屈み込んだ所に、私はその頬に口づけを落とす。
無事に帰ってきますようにと願いを込めて。
「いってらっしゃいませ、旦那様」




