脆弱な赤い糸、強固な金の鎖
「ヒスイ?」
そう私の名を呼んだ低い落ち着いた声の主を確かめるために、私ゆっくりとそちらへ向けて足を進めていく。
円形状の薔薇の垣根に囲まれるようにして守られている噴水の縁。
そこに片足だけ胡坐をかくようにし、もう片足を地面に付けるような態勢でその人物は座っていた。
だんだんと近づくにつれ黒い影の塊だったそれが、輪郭を映し出し段々と姿形を形成していく。
そしてそれが月明かりに照らされ、やっと私が知る彼の姿を現した。
「やっぱり、アルだ!」
彼だと理解した私は、自然に足早になっていくのを止められなかった。
「お前、そんな格好で寒くないか?」
「寒い」
と、アルの前に佇むと苦笑いでそう答えた。
メサイアさんの件から離れる事ばかりに頭が囚われていたため、考え無しというか、この季節の外がどんな気温なのかすら忘却の彼方へと投げ打ってしまっていたようだ。
逃げる事ばかりで精一杯だったのかもしれない。
「なぁ、こっちに来いよ」
「え? どういうこ……――」
疑問の声が全て音となる前に、アルに腕を掴まれ自然と噴水の縁に腰をかけるような体勢になってしまう。
かと思えば、今までは羽織っていた旦那様の上着だけでは防ぎきれなかった外気が遮断された。
それは私の身を包む、温かい何かが冬の空気から私を守ってくれたからだ。
「ア、アルっ!?」
その外気から盾となってくれたのは、アルが羽織っている外套。
彼が後ろから抱きかかえるようにして、自分の羽織っているそれに私を包んでくれたのだ。そのため必然的にその腕に抱きしめられる形となり、密着してしまっている。
「温かいだろ? これ、視察で買って来たんだ。サウザ村まで馬飛ばしてきたかいがあった」
抗議の声を上げようとしたけれども、その地名により私はそれよりもまず驚きの声を上げた。
サウザ村は、王都からかなり遠い。
国境沿いに近いから、アルがドレスを持って来てくれた日に出発したとしても、馬車では戻ってこれないはず。
「そんなに遠くまで? 良く間に合ったね」
「ん? 飛ばして来た。王都は近代的だが、北の方へ昇っていくとまた一層違う雰囲気だったな。商業的というか、良い素材が沢山ある」
「そうなんだ。私、あまり王都から出た事なかったから。アルは仕事でいろいろな国に行っているけど、何処が一番好き? やっぱり自分の国?」
「まぁ、自国は一番好きだな。生まれ育った国だし。それを抜かせば、ニイゲルとここだな。ヒスイと会えたから」
その言葉に頬がますます染まるのが自分でも理解できる。
ただでさえこんな状況の上そんな事を言われたら、体温が上昇するのは当然だ。
まさか、そんな事を言われるなんて思っても居なかった。
寒さなんて何処かへ消え失せてしまっている。むしろ、暑い。
今までそういう風に女性的な事言われた事なんて一度もないから、こういう事に免疫がないのだ。
「なぁ、俺の所に来いよ。孤児院に支払った金は倍にしてあの王子に返す。利子付で。だから心配するな。身一つで俺の所に来い」
「ちょっと待って。アル……」
たしかにこのまま旦那様とメサイアさんが二人で暮らすおつもりがあるのならば、私はアルとリーベルデへ行った方が楽になれるだろう。実際、考えた事だ。
幸せそうな二人を見なくても済むから。
それにあっちは冬がないので、私としては過ごしやすい。
でも、私はまだ旦那様に気持ちを伝えてない……――
どちらにせよ、旦那様に気持ちを持ったまま私はアルの気持ちに応える事は出来ない。
だから、その事は言わなきゃならない。
そう思って、口を開こうと唇を意識した時だった。
「僕の妻に何をしているんですか!?」
と、突如として雷のように響いたその怒りを含んだ声が私とアルに落ちたのは。
それに対し、身を大きく身を引き攣らせてしまう。
でもアルは「よぉ」と声をかけ、つい先ほど私が辿って来た道へと顔を向ける。
それを追う様に、私もそちらに視線を向けた。
その声の持ち主はこちらを睨みつけるようにしながら、地響きでも鳴らしそうに乱暴に足を進めながらこちらにやって来てきた。
「妻から離れて下さい」
再度そこへ降り注ぐ、氷のような声音。
そこに居たのは、旦那様だった。
全然気配に気づかないぐらいに、私は頭の中が混乱していたみたいだ。
「婚約者はよろしいので? ライト王子」
「婚約者なんていません。僕は妻帯者です。うちの妻に気軽に触れないで頂きたい。ヒスイさん、こちらへ」
そしてこちらへと手を伸ばし、私の腰を掴んだ。
そしてそのまま立ち上がらせると、自分の胸へと押し付けるように私を抱きしめる。
「妻の事は諦めて下さい。ヒスイさんは僕と繋がっている運命の人なんです」
「まさか赤い糸で結ばれているなんて、小娘のような事を言い始めるんじゃないだろうな?」
旦那様の台詞に、アルが鼻で笑った。
その運命の人というフレーズに心臓が大きく跳ねる。
――もしかして、旦那様。私の事を……
「糸……? なんですか、それ。そんな脆弱なモノでなんて、僕とヒスイさんは結ばれませんよ」
クスクスと喉で笑った旦那様は蔑んだ目でアルを一瞥した後、腰に回していた片腕を外し、そのまま私の右腕を掴んで持ち上げると、手首へと口づけを落とした。
「僕とヒスイさんは金の鎖で繋がれる運命なんです」
きっぱりとはっきりと言ってのけた旦那様の台詞。
それに私だけではなく、アルも呆気に取られた声が漏れた。
「は?」
「え?」
無理もないだろう。
運命の赤い糸なら知っている。全世界共通に近い。
私の国もそうだった。
「赤い糸ではなく、ヴァン王国では金の鎖なのか……知らなかったな。結構赤い糸の国が多いと思っていたから、この国もと思っていたが」
アルがしみじみ言っているそれに、私は首を左右に振りたくなった。
――違うーっ! これ絶対にいつものパターンだし!
わかってしまう自分がちょっと嫌だ……
今までの「檻発言」等の経験から、旦那様がおっしゃっているのが安易に想像出来てしまう。
買ってないでしょうね!?
恐らく旦那様がおっしゃっている金色の鎖。
それは、そのまんまだろう。首輪とか足枷とかに付けるヤツ――
願わくば、まだ購入していませんように。
と、私は密かに願った。
「……旦那様。駄目ですから」
顔を上へと向け、私の腰に手を回している旦那様を見ればさっと目を外された。
「買っていませんよね?」
「買っていません」
「なら、私の目を見て言って下さい!」
その後、お互いに顔を合わせていたが、旦那様の視線が私とかち合う事は無かった。
――全く、うちの旦那様は。
「はぁ」と一つだけ嘆息を零すと、私は「ごめん」とアルへと断りを入れる。
「ちょっと話し合いが生じたから、もう行くね」
そう言うと旦那様の拘束を無理やり解き、彼の右手を握り締めた。
このままアルの前で話し合いなんて出来ない。
旦那様の王子としての威厳が……
そのため場所を替えるために、移動しなきゃならないのだ。
「じゃあ、アル」
「あぁ、またな」
「うん」
「またってどういう事ですかっ!?」と叫んでいる旦那様を引きずるように、私は彼の手を引いた。
そしてその場を立ち去るために足を進めていく。
そしてそのまま真っ直ぐにパーティー会場へ。
……ではなく、遠回りして渡り廊下へと出る。
大理石で出来ているそれは、壁が無くむき出して外にあるため、そのまま進み城の中へ。暫く歩き、すぐ傍にある階段を昇り部屋へと向かう。
パーティーはまだ中盤。そのため、まだ半分はある。
最後周辺にまでは戻るつもりだ。それまで旦那様のお部屋でお話し合いだ。
あのまま、「鎖を購入されたんですかっ!?」と旦那様を問い詰めるにしても、アルの前ではなかなか言いにくい。
だって旦那様のイメージが著しく崩壊してしまう可能性があるし。
「あ」
アルで思い出した。
私は重大な事を忘れてしまっていた事に気づいてしまい、階段を昇っていた足を止めてしまう。
「ドレスと宝石のお礼、まだアルに言ってない……」
ぽつりと漏らしたそれに、握っていた旦那様の手がぴくりと大きく痙攣し反応した。
それには私は「あっ」と声を漏らしたが、遅い。
まさかそんな小さな言葉を拾うなんて思っても居なかったのに――
「今、なんと……?」
「あのですね……それが……」
自然と旦那様から、顔を背けた。
「そのドレス、アルフレッド様に頂いたのですか? そんな話、僕は伺っていませんが」
それはメサイアさんに嫉妬して頭に来て言ってなかったんです。
……とは、言いづらい。
やっぱり、アクセラ様にだけ言っておけばよかったかなぁ。
「これにはちょっとわけが……」
と言いながら、再び隣にいる旦那様の方へ顔を向けた瞬間、私の体が宙に浮いた。
「あのっ!?」
それは旦那様に抱きかかえられるように、その腕に囚われてしまったのだ。
彼は顔を酷く歪めながら、無言で階段を昇っていく。
――え? 黙っていて怒っているのはわかるけど、どうして抱きかかえられるの!?




