奪われたキス
海老と蟹が楽しそうに歌を唄っている看板の前にて。
私はお腹に手をあてながら、隣にいる人を見上げていた。
「お腹いっぱい! 美味しかった。ありがとう」
「どう致しまして。こっちは見ているだけで楽しかったぞ。お前、顔輝かせすぎ」
「だって蟹を生で食べるなんて初めてだったんだもん。おごちそうさまでした」
私は『アル』――あの助けてくれた恩人の方を見て、腰を折った。
店内でいろいろと食事をしながら話したのだけれども、彼の名前はアルといって、
主のミリアさんと共に仕事でこちらに訪れたんだって。
騎士だけれども主の命で諸外国に行くことが多いから、語学力があるんだって。
年はやはり上で、二十七歳。
それでも私の口調が砕けているのは、「堅苦しいのは嫌いだから、そういう話し方にして欲しい」と言われたため。
……しかし助けて頂いた上に、お昼ご飯までおごって貰ってしまった。
本来ならばこちらがおごらなければならないのに。
それなのにアルは嫌な顔一つしない。なんて人間的に大きな人なんだ。
しかもあろうことか、私をホテルまで送ってくれると申し出てくれた。
流石にそこまでは甘えすぎたとお断りしたけれども、「いいから、いいから」と流されて現在に至る。
「よし、出発するか。たしかヒスイが宿泊しているヴィラは、ル・グラムだったな?」
「うん。あのさ、アル。やっぱり送って貰うのはさすがに……」
「構わない。お前、また迷子になりそうだし」
それには「うっ」と、言葉が詰まった。
――たしかにそうなんだよね。一応地図書いて貰ったけれども。
「ごめんなさい」
「気にするなって。さぁ、行くぞ」
足を進め歩き出してしまうアルの背を追う様に、私も踏み出した。
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+
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――しかし大きいな。
アルを見上げると首が痛くなってしまうぐらいに、身長差がある。
旦那様よりも大きいから、これは絶対に190センチ以上はあるはず。
足の幅も私とは全然違うし……
隣を歩く彼をじっと見すぎていたためか、アルが苦笑いでこちらへと視線を向けて来た。
「なんだ?」
「ううん。ねぇ、アルは最近、仕事でどんな国へ行ったの?」
ついさっき出会ったばかりだというのに、お昼を共にしたせいかぎこちなさが無く違和感がない。
まるで長い年月を一緒に過ごしてきたように。
「あぁ、ロッデ国とかだな」
「本当!? 私、ロッデ出身なの。ナイア村」
アルの話に私は食らいついた。
だって、自分が育った村の話。最近の様子も知りたい。
「ナイア村……あぁ、たしかノッド孤児院がある場所か。そこにも行って来たぞ」
「町の様子どうだった?」
「そうだな。内戦が激しい首都から離れているとはいえ、影響を受けているはずだ。だが、想像していたよりも生活が安定している事に驚いた。建物もきちんと修繕というか、新しくなっていたしな。あと井戸も問題無かった。ただ、食料不足という点を除いて」
「そうか……内戦が終われば、少しは楽になると思うのだけれども……」
ヴァン王国のように、孤児院に国の支援が行かないのは、上に立つ者の資質だけれはなく、
金も人も内戦へと使われているから。
国軍と反乱軍。彼らの争いは私が生まれるずっと前から続いていた。
「――あぁ、そうだな。だが、もうすぐ終わる」
「え?」
それは私の願望が幻聴となっただけなのだろうか。
アルの口から放たれた言葉は、希望に満ち溢れている台詞だった。
思わず足が止まり、ただ呆然と彼を眺めた。
「どういう事……?」
「詳しくはまだ言えない。だが、これだけは言える。二ヶ月以内に終戦を迎えるはずだ」
「まさか! 内戦はもう何十年と続いてきたんだよ? それが物の二ヶ月で? ありえない」
堪らずに叫んでしまった。
「お前の気持ちもわかる。だが双竜が手を引かない限り、これは事実だ」
「双竜……?」
それってなんだろうか。
二匹の竜ってこと? それとも二つ首の竜ってこと?
「悪い。俺から話をしておいて、なんだがこの話は忘れてくれ。詳しくは言えないんだ。まだ」
「でも!」
「悪い」
「……」
私がそれ以上尋ねる事は出来なかった。
アルの纏っている空気が、これ以上問えるものではなかったから。
結局知りたかった答えは返って来ず、私達は気まずさからそれ以上会話をせず、ただ機械的に足だけ動かし続けた。
やがて少し遠くから波の音が耳に届き始める場所までやってきたらしい。
それに対し、私はもうすぐ海沿いのメインストリートに出られるという期待が高まった。
まだ少しだけれども、異国の衣装を身に纏っている人もちらほら見える。
でも海との距離が近づくにつれ、浮かんでしまった少し疑問。
それは花売りの少女。
さも珍しくないけれども、彼女達が売っている商品が不思議。
――なんだろう? 流行なのかな……?
職業柄だろうか、道に佇んでいる花屋の女の子達が気になった。
彼女達が手にしている籠の中には、「赤」「白」「オレンジ」の三色の花ばかり。
しかも全て形が芍薬のように丸みを帯びた形状をした花。つまりは色違い。
私もお祭りやイベントのたびに路上でも売りに行くけれども、さすがにそれだけって事はない。
それに――
道ですれ違う女性達は、髪に花を挿している。
それも「赤」「白」「オレンジ」ばかり。
最初は髪飾りかなぁ? と思ったけれども、よくよく観察すれば生花だった。
「ねぇ。髪にお花付けている子いるんだけれども、この国で流行しているの?」
さっきのちょっと曇りかかったお互いの空気を忘れ、私は気が付けばアルへとそれを尋ねていた。
きっと博識の彼は知っていると思って。
「あぁ、今日は前夜祭だったな……」
アルは視線をすぐ近くの噴水前にいる花売りの少女へと向ける。
かと思えば、急に立ち止ってしまう。
「アル?」
「なぁ、ちょっと待っていろ。いいか、動くなよ。そして知らない奴に着いていくな。何かあれば大声で叫べ」
「だから子供じゃないってば!」
唇を突き出しながらそう言えば、アルの喉で笑った声が耳朶に触れる。
「悪かった。じゃあ、大人しくしてろな?」
そう告げると彼は私の頭へ腕を伸ばし、髪をくしゃくしゃに混ぜるように撫でてくる。
そして手を離すとあの花売りの少女の前へと向かって行った。
――なんだろう?
首を捻りながらその様子を眺めていると、アルは何か告げ微笑んでいる女の子へ硬貨を渡した。
そして代わりに赤い花を受け取ると、それを持ちながらそのままこちらへ戻ってくる。
アルの大きな手には、花がミニチュアのようだ。
「それなんて名前の花? あれ全部同じ種類だよね? 色違いで」
「これはルールズ。この国の女神の名前が付けられた花だ」
そう言いながら、アルはそれを私の髪に挿した。
右耳上にある違和感と、華やかな若さを含んだ花の香り。
それには戸惑ってしまう。
「アル、お金……」
「いい。お前にやるよ」
「えっ、でも悪いよ。お昼もおごって貰ったし……って、ごめん。ホテル戻ってからでいい?」
財布忘れて来たのを、すっかり忘却の彼方へ飛ばしてしまっていた。
「いや、不要だ。ただの自己満足だからな」
アルはそう口にすると、深い嘆息を漏らし自らの髪をかき乱す。
そして一度だけ瞼を閉じ、ゆっくりと目を開き私を見据える。
その眼差しが強すぎて、私はたじろいでしまった。
「アル?」
「自分でも早すぎると思っている。なんせ、ついさっき会ったばかりだ。しかも俺はそんな柄じゃないのに」
「ごめん、言っている意味が……」
「この花の意味知らないよな?」
「うん」
「祭りの季節にだけ、この国にはルールズの花にまつわる風習があるんだ。赤い花を相手に贈る。その意味は……――」
アルはもったいぶるようにそこで区切り口を閉じてしまったので、私は先を促した。
すると何故か彼の腕がこちらへと伸び、そしてそのまま手が私の顎に触れたかと思えば――気づいたら唇が塞がれていた。




