始まりは些細な出会いだった
目の前に広がるのはどこまでも広がる海。
それは綺麗なコバルトブルーで、波の音が心地よい。
透明度も高く、足もとを泳ぐ魚すらも目視出来るぐらいに。
そんな海上に浮かぶように立っているのは、かやぶき屋根と白い壁で出来た建物――つまり私達が水上楽園・ニイゲルで宿泊するホテルだ。
ここはヴィラ式になっているため、部屋も貸し切り状態。
私が育った国も今住んでいるヴァン王国も内陸。そのため、海を見た事がない。
だから船で兄さんの元へ向かう時に一度見ただけ。
そんな事もあり、数年ぶりにデッキから眺める景色は素敵でうっとりしてしまう。
もう何時間でも眺められるぐらいだ。
「こんな贅沢な所に泊まってもいいのかな……?」
そんな私の呟きは波と優しい風の音がかき消した。
こんなに綺麗な海だというのに、うちの旦那様とくれば――
「旦那様ーっ。私は気にしていませんから。ですから、一緒に海を見ませんか?」
そう言いながら、私は振り返って室内へと視線を向ける。
するとそこには窓等の遮るものはなく、デッキからリビングが丸見えとなっていた。
熱帯地方の植物が描かれた布が掛けられたソファや、極彩色の華が飾られたガラステーブル等は、異国のしかもリゾートらしさ全開。
そんな南国情緒溢れる室内の端っこ。つまりは壁の隅。そこに旦那様がいた。
この陽気な室内に似合わず、じめじめとまるで森の奥という空気を醸し出し、ブツブツと何か呟いている。
なぜ旦那様がこうなってしまったかと言えば、まだここ・水上楽園につく前の汽車の段階まで遡る。
それは、あの泥酔事件後のお話。
次の日、旦那様は予想通り二日酔いで肉体的に苦しんだのだけれども、それはメンタル的にもだった。
それはそうだろう。朝起きれば私が隣で眠っていたのだから。
しかも、「絶対に離しませんよ」というぐらいに、自分がきつく抱きしめて。
おかげで朝は旦那様の悲鳴が目覚まし時計代わりだった……
その上、何故かご自分の衣服を確認していたし。私、襲っていませんよ?
そして昨夜の泥酔状況を聞かされた旦那様は、終始凹んだ。凹みまくった。
別にこっちは気にしていないし、頭を撫でたければご自由にと言ったのだけれども。
旦那様の心は繊細。故にずっと今のような現状になってしまっていた。
……予定では町に散策に行くはずだったのに。
このまま景色を観ているのも良いけれども、せっかく異国に来たのだ。
観光だってしたい。
この辺は海に囲まれているため、新鮮な魚介類が豊富。それを堪能するべきだと思う。
「ねぇ、旦那様。町に行きましょうよ!」
と近づきながら声を掛けるけれども、反応なし。
これは完全に自分の殻に閉じこもってしまっている。
――……どうしよう。一人で行ってこようかな?
私はこの国の言葉が話せない。
ヴァン王国等を始め西大陸で主に使われているナル語と、
私が以前住んでいた孤児院がある・ロッデ国で使用されているファーナス語。
この二つが、私が使用できる言語だ。
ここニイゲルは、東で多く使われるストーガル語。
そのため、話す事が出来るアイリスさんや旦那様頼り。
あの二人は語学力がありすぎる。もう全て言語を理解出来ているんじゃないか、ってぐらいに。
旦那様は王子様だからわかるけれども、アイリスさんが謎だ。
「前職の経験で」って笑っていたけれども、何をしていたのだろ……?
「ま、いっか。一人でも。あの~、旦那様。私、ちょっと町に行って来ますね!」
と声をかけるが、相変わらず。
仕方がないので、私は紙に「町に行って来ます。すぐに戻りますので」と、ペンを走らせテーブルの上へと置いた。
そして薬指に嵌めている七色に輝く指輪を外し、金庫へと向かう。
――結婚指輪を盗られたら嫌だもんね。しかも弁償できない額だし。
ヴァン王国では、七色の宝石を使用し結婚指輪を作る。
それは贈った相手の災いを避けるという謂れのためだ。
話は現国王の数十代も前の賢王時代まで遡る。
ある時王妃が間者に狙われたが、国王に贈られた七色のダイヤのネックレスで難を逃れた。
なんでもナイフで王妃の首元を狙ったのを、ドレスの襟下に隠れていたネックレスにより守られたとか。
ちなみにその刃を受けた大粒のダイヤは、欠けることなく王立美術館に飾られている。
始めてアレを見た時は衝撃だった。
ネックレスと言えば、小さいめな物を想像していたがさすが王族。
デカかった……一粒が親指の爪よりも一回りも二回りも大きかったのだ。
まぁ、それぐらいデカくなければ受け止められないよね。それが七色なので、七つ。
もう金額が怖い。故に警備は厳重だった。
それが発祥。ただあの時代と違い、ネックレスよりも常に身に着ける指輪へ変わり現代に残っている。
一般的には七色の宝石ならばなんでもいい風習だが、王族は賢王にならってカラーダイヤらしい。
そのため指輪を作るとき、旦那様に「好きな色を選んで下さい」と言われ手が震えた。
カラーダイヤが一般的に広がっていないのは、値段が問題。
高い高すぎるのだ。それを選べと言われても困り、結局旦那様任せに。
そのため普段は指に嵌めてない。無くすと恐ろしいから。
城の行事とか、旦那様と二人で外出とかそういった時は嵌めるけれども……
「よし、これで大丈夫」
私は指輪を大事に布でくるみ、金庫へ。
そして扉を閉め、適当にダイヤルを回す。
「あっ。ちゃんとアイリスさんには声を掛けて行こうっと~」
アイリスさんは別室を取っている。
このヴィラにも部屋はあるから一緒にと言ったのだが、「邪魔するわけにはいかないわよぉ~」と、同敷地内にある一般的なホテルへ。
そこは通称中央と呼ばれ、併設するレストランや土産屋さんなどがある。
アイリスさんいるといいなぁ。そうすれば、一緒に町に行けるし!
そうと決まればと私は早速向かう事に。
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「――え? 居ないんですか?」
「はい。申し訳ございません。二〇一号室のアイリス様は、つい先ほどヴィラの方へと向かわれました」
ホテルのフロントに向かえば、そう告げられてしまう。
どうしよう。戻るのも面倒だ。
置手紙してきたし、いいよね。別に――
そう思った私は、フロント係の人にお礼を言って外へと出た。
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――……やってしまった。
辺りを見回せば、見ず知らずの町並み。
漂うのは店先から風に乗ってくるイカや貝の焼ける香ばしい香りと、磯の香り。
もうそれだけで小腹がすく。
財布を忘れなければ、間違いなく購入している。
「絶対にアイリスさんに怒られるよ……」
当初の予定ではホテルの周辺だけを散策するはずだったのに、お祭り前夜ともあってか、人が多すぎた。
そのため団体客らしき人々の波に飲み込まれ、そのまま流されてしまう。
気が付いた時には、「ここどこ!?」な場所。
ここは人が落ち着いているらしく、まばらだ。
やばい……
ついさっきまでホテルが見えるところに居たのに、もうすでに四方八方を探してもそれらしき建物が見あたらない。
一応看板が掲げられているけれども、無意味。
道を尋ねようにも言語がわからず、会話すら出来ない。
「どっかにファーナスかナル語話せる人いないかなぁ? 観光客の人とか」
と、耳を澄ませるが、聞こえてくるのは独自のイントネーションばかり。
もしかしたら、観光客があまり来ない所に来てしまったのだろうか。
――仕方がない。諦めて歩き回ろう。そうすればきっと見つかるはず。
恐らく途方もなく時間がかかるけれども……
そう思って足を進めようとした時だった。
「XXXXXXXXX!」
後方より、何やら大声で怒鳴り散らしている声が耳に届く。
中年の男性の声だろうか。
言葉はわからないが、声音から物凄く感情的になっているのが理解できる。
「なんだろう?」
その不穏な空気に振り返り視線を向ければ、数十メートル離れた所で騒動は起こっていた。
それはとある店先。
そこには、貴族と思われる人と従者が佇んでいた。
そしてそんな彼らの足元で倒れている八~十歳ぐらいの少年の姿が。
最初はぶつかったのかな? と思い、視線を外そうと思っていたけれども、それが間違いだった。
あろうことかその貴族は、倒れている子供に対し手を差し伸べ気遣うどころか、
眉を吊り上げ、「XXXX!」と異国の言葉で怒鳴りつけると、その子を足蹴りにし始めたのだ。
さすがにそれを見た瞬間、私は駆けだした。
「何しているんですか!」
咄嗟に貴族と子供に割って入っていく。両手を広げ庇うようにすれば、相手の眉根が更に深くなる。
相手だって言葉が通じなくても、私が止めに入った事ぐらいは態度で理解出来る。
それが癪に障ったのだろう。
より声を荒げ吼えながらこちらに腕を伸ばした貴族に、私は突き飛ばされてしまう。
危ないと思った時には、すでに遅し。
不意打ちの上、思ったよりも相手の力が強かったので体がよろめき、私の体は地面へと倒れ込んでしまった。
「……っ」
声にならない。
バランスを崩し受け身も何も取らない状況だったため、体に激しい痛みが走った。
背中を打ってしまったらしく、呼吸がしずらい。
だが、それでも貴族の怒りは収まらないらしく、所持していた杖を振り上げたのが横目に入る。
さすがにそれはマズイ。
でも体がいう事を効かなく、私は現実逃避するように瞼を瞑り衝撃を待った。
――……あれ?
でもいつまでも衝撃は振って来ない。
そのためゆっくりと目を開ければ、多きな背中が視界に広がっていく。
風に靡き、彼が身に纏っている外套がたなびいていた。
――男の人?
青年だ。彼が貴族と私の間に佇み、壁になってくれている。
杖は振り上げられたまま上空で制止。どうやら、彼が杖を左手で受け止めてくれているようだ。
その人は、兄さんやアイリスさん達のように体つきが逞しい。
その鍛え抜かれた体と、そして日に焼けた肌。
腰に下げている大きな剣は、私ではとても両手でも持てそうにない。
だから一瞬警備兵かと思ったけれども、服装が旅装束。
そのため、旅行者かと判断。
どうやら私はこの人に助けられたらしい。
この時の私はまだ気づいていなかった。
この些細な出会いが大きな出会いだという事に――




