間章 寝言騒動と謎の四つのキーワード 後編
仕事のミスもせず、なんとか退社時刻を迎える事が出来た。
途中屋敷へ戻る前に少し寄り道をし、最近人気の菓子店にてマカロンを購入し帰宅。
ヒスイさんがマカロンを好きなのかはわからないけれども、女性と言ったら甘いものかと思ったから。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「ただいま。ヒスイさんは?」
玄関先で待っていた執事のロダンへとコートを渡しながら尋ねれば、「アイリスと上に居ります」との答えが返って来たのでそのままヒスイさんの元へと向かう。
どうやら部屋ではなく、書庫にいるようだ。
マカロン喜んでくれるといいんですがと思いながらが階段を昇っている途中、どこからともなく「ギャー」という鴉の鳴き声のような悲鳴が耳に届き、慌てて駆け上り廊下へ出た。
そして右方向へと視線を向ければ、ちょうど書庫から飛び出してくる黒い物体と遭遇。
「どうしたのですか!?」
それはヒスイさんだった。
腰が抜けたのか、その場にしゃがみ込んだまま顔を上げこちらへと視線を向けると、「旦那様ぁ」と気弱な声を上げた。
そんな彼女の瞳には涙が浮かべている。
「聞いちゃったんです……」
「聞いちゃった? あっ!」
もしかして今朝の寝言の件。もしかしてやはり気にしていたのかもしれない。
でも泣くほど気にしていたなんて……申し訳ない……
しゃがみ込み視線を合わせ、僕は謝罪の言葉を口にした。
「メアの事ですが、すみません。ですが、あれは……――」
と口を開きかけると、ヒスイさんが「どうしましょう!」とその途中で言葉を覆った。
そして半泣きになり、僕の腕にしがみついてくる。
「来ちゃいます。夜……うぅ……また眠れなくなる…」
必死に何か訴えているが要領が得ない。
明らかにそれだけでは理解できないぐらいに言葉が不足している。
「来るって何がですか?」
「あ、あかっ…赤い騎士!」
「赤い騎士ですか? もしかして赤い騎士の怪談を聞いてしまった者に、血まみれの騎士が現れるとかいうやつですか?」
これまた随分と懐かしい話を。
どうやらヒスイさんは、僕が子供の頃に流行った怪談で怖がっているらしい。
血まみれの騎士だから、赤い騎士。この国では少々古い怪談話としてはメジャーな話だ。
「急にどうして赤い騎士の話を?」
と、ヒスイさんに尋ねた時、書庫の扉が開かれた。
「あら? お帰りなさいませ、旦那様」
現れたのは、アイリスだった。
「アイリス。貴方ですか? ヒスイさんにお話したのは?」
「えぇ。奥様が書庫に本を返すというのでお付き合いしたのですわ。その本が怪談系統だったので、昔懐かしき赤い騎士の話をしたら、奥様ってば震えながら耳を塞ぎ、我慢できなくなって飛び出してしまわれて」
「訊いたらその人の所にやって来るなんて、聞きたくなかったです! この国の怪談怖いっ! しかもアイリスさんの話し方、臨場感ありすぎでしたよ!」
「これぐらいでびびるようでしたら、ランの怪談なんて聞けませんよ? あれの怪談は真夏には重宝しますわ~。体感温度がぐんぐんと下がる。今すぐ呼んできましょうか?」
「いやぁぁ!」
「アイリス! ヒスイさん、大丈夫ですから。ね? 落ち着いて下さい。このまま廊下では体を冷やしますよ。部屋の中へ行きましょうね」
「こ、腰が……」
そうですよね、見ただけでわかります。腰から下の骨が溶けてしまっているようですからね。
しかし、意外でしたね。ヒスイさんが怪談苦手なんて。
嬉々と自分から話をしそうなのに。
「私が運びましょうか?」
「いいえ。僕が運びます。大丈夫です。落としませんから」
そう言ってヒスイさんを抱き上げて、寝室へと運んだ。
その後ヒスイさんは数分後やっと歩けるようになった。
それで「良かった。良かった」で終わるはずだったのだけれども、赤い騎士の呪縛は解けず、ヒスイさんは恐怖に怯え僕の傍を離れたがらなかった。
夕食もいつもは向かいあうように座るのに、今日は僕の隣に座り、背後が気になるのか何度も何度も振り返って食事どころではなかったと思う。
今現在もリビングで本を読んでいる僕に抱き付き、ぴったりとくっついている。
いつもなら性格上悲鳴を上げる僕だけれども、あまりにもヒスイさんが怯えているので、
庇護欲を駆り立てられ、そちらの方が上回っていた。
「ヒスイさん。大丈夫ですよ」
こんなに急接近されているため、本の内容が頭に入って来ない。
だが、何もせずにいるのは手持無沙汰なので仕方ない。
「うぅ……」
ヒスイさんはきょろきょろと視線を彷徨わせ、部屋中を忙しなく見ている。
まるで警戒心が強い小動物のようだ。
ヒスイさんの身長は低めで僕とも身長差があるため、尚の事そう思うのかもしれない。
恐怖で怯え小刻みに震えているのだけれども、リスみたいで可愛い。
――どんぐりとか似合いそうですね。あぁ、頬袋とかに物溜めこみそう。
「大丈夫ですよ。赤い騎士なんて嘘ですから」
「本当ですが? ロビンの所に現れたって言ってましたよ?」
「誰ですか、ロビンって」
「アイリスさんの友達の兄弟のおじさんの息子の従兄の更に従兄のはとこ!」
それは怪談によくありがちなパターンですね。
話を聞いたのが、すごく遠い人物って。
「旦那様」
「なんですか?」
「今日一緒に眠ってもいいですか?」
「はいっ!?」
その爆弾発言に、ばさりと音を立て本が落ちた。
「だって絶対に眠れないもん! お風呂は明日の朝入るけれども、睡眠は取らなきゃならないんですよ!?」
今度は逆切れですか……
「また僕が悲鳴を上げてしまい、使用人達がやってきますよ」
自分で自分の事ぐらいわかっています。えぇ、悲しい事に。
「メサイアさんとは一緒に寝ていたんですよね!? 今朝寝言で言ってましたよ!」
それは責めているのですか? と一瞬思ったけれども、今のヒスイさんは恐怖に捕まっているので、そういうわけではないだろう。
後ろめたさがある上に、こんなに赤い騎士に捕らわれてる彼女を放っておけない。
「――わかりました」
……とは言ったものの、これは。
あれから数刻ばかりリビングで過ごし寝室へとやって来たのはいいが、これまた引きはがされても離れないというぐらいにヒスイさんはくっついている。
しかも僕はバスローブでヒスイさんはパジャマを纏い、寝具の上。
あの……僕も一応男なんですが……
「うぅ……ベッドの隙間から顔が覗いていたらどうしましょう……?」
「それは侵入者なので、捕まえなければなりませんね」
「幽霊をどうやって捕まえるんですか!? 不可能ですよ…夜中、足を引っ張られたらどうしましょう……? 金縛りにあった時の対処法ってどうすればいいんですか?」
どうやらヒスイさんの思考が赤い騎士に囚われてしまっているため、冷静に周りが見えてないようだ。
僕も人の事が言えないぐらいのややチキンでヘタレの性格ですが、ヒスイさんはそんな僕から見ても結構重症ですね。
「赤い騎士ばかり考えているから怖いんですよ。そうだ、何か楽しい事を考えましょう。ヒスイさんが好きなものはなんですか?」
腕の中で震えているヒスイさんに尋ねれば、やや間を置きながら「花」との答えが返って来た。
「お花ですか? どんなお花が好きなんですか?」
「薔薇です」
「薔薇ですか?」
「どうせ似合わないですよ」
顔に出てしまっていたらしく、僕へ向けて頬を膨らませるヒスイさん。
あぁ、やはり頬袋にいっぱい食べ物を詰め込んだリスのようですね。
その頬をつつきたい。
「いいえ似合わないとは思いませんよ」
と答えたが、あまりピンと来なかった。
ヒスイさんは小さい可憐な花の方が似合う気がしたから。
「どうして薔薇が好きなんですか?」
「昔、孤児院で読んだ絵本の中に薔薇が出てきたんです。所々破れていて、どんなお話かはわかりませんでしたが、王子様が町娘に青い薔薇を抱えきれないぐらいに贈りながら求婚するシーンがあったんです」
「青い薔薇ですか?」
「はい。それが印象的で。いつか欲しいですね。でも、青い薔薇って高価な上にあまり競りに出回らないんですよ。旦那様は何が好きですか?」
「僕ですか? 僕は本ですね。いろいろな本を読むのが好きなんです。学術的な専門書からヒスイさんが読んだ怪談本等の娯楽まで……あっ!」
なんて空気が読めないのだろうか、僕は。
せっかく話が反れたというのに、また怪談へと戻ってしまったではないか。
案の定腕の中でびくりと大きく動き、ヒスイさんの金糸のような髪が震えている。
「ごっ、ごめんなさい!」
「酷い……旦那様……また赤い騎士の事思い出しちゃったじゃないですか……」
「すみません! ですが、もし赤い騎士が来てもちゃんと貴方の事を守りますので眠って下さい。頼りないかもしれませんが、僕は一応貴方の夫ですから。賢王の教会で夫婦を誓ったからには必ず守ります」
「本当ですか……? 赤い騎士にも勝てますか?」
「えぇ、勿論。ですからゆっくりお休みください」
「私が寝ても、ずっと傍に居て下さいね」
「ちゃんとここにいます。それにヒスイさんがしがみついているから、何処にもいけませんよ?」
宥めるように背中を優しく叩いてあげると、こくんと首を縦に動かしヒスイさんは瞼を閉じた。
そして数分後には寝息が耳に届いてくる。
どうやら眠ってくれたようだ。




