戻っちゃった!?
まるで異空間のようだ。
生活感溢れかえっている食事用のテーブルセットが、今では高級感漂っている。
その上に並んでいる菓子も全てが王都一へランクアップしていた。
おそらくその原因は私の隣に座っている方のせいだろう。
ちらりと隣を伺えば、ライト王子がちょうど紅茶を飲んでいる所だった。
背筋を伸ばし、長い瞼を伏せ、味わうように喉を潤わせている。
やはりいつもの彼とは違う。
だっていつも通りならお茶なんてこんな普通に飲んでない! 挙動不審になっているって!
自分の実家――つまりは城でもあんなにビクビクしていたぐらいだし。
一方自分の家だというのに兄さんは背中を丸め、ひたすらタオルで汗を拭いていた。
その姿はいつもより二~三割ほど小さく見える。
喉がやたら渇くらしく、さっき自分で水をジョッキで持ってきていたがそれも今では空。
「美味しいです。ヒスイさんはお茶を入れるのが上手ですね」
慈悲深い瞳に春風のような温かさを含んだ微笑みを向けられ、私は冷や汗が出た。
すみません、本当に誰ですか? 替え玉ですか? とも言えず。
「いえ……お口に合って良かったです」
奮発してよかったー。
これは王子用に購入したグラムで量り売りの茶葉。
うちの日常用のお茶はいつもお徳用。あれはあれで美味しい。
「あの。うちの妹で本当に大丈夫なんですか? うちは見ての通り、普通の平凡な庶民なんです。持参金も少しばかりしかお出しする事ができません」
「いいえ。持参金などは必要ありませんよ。式も挙式も全てこちらで準備致します。
こちらでの仕事に関しましても彼女の希望通続けて下さって構いません。
屋敷には使用人もいるので家事等の件は気にしないで下さい」
「こちらの都合の良いようにして大丈夫なんでしょうか?」
「えぇ。問題ありませんよ。僕とヒスイさんは家族になるのですから。それよりもお兄さんは反対なさらないのですか? 僕とヒスイさんの結婚」
そのライト様の台詞に、私は兄さんを見た。
その困惑した表情から心からの祝福は感じられない。
多分、いろいろ不安要素があるせいだ。
まず最大は身分差。それが一番ネックとなっているはず。
「俺はヒスイには幸せになって欲しいと思います。今まで苦労が多かったから。ご存じの通り、俺らは孤児院育ちなので正直不安なんですよ。身分差が……」
「今すぐお兄さんの不安を取り除く事は難しいかもしれません。ですが」
ライト王子はそこで言葉を区切ると、私の方へと視線を向けた。
そして腕を伸ばし、私の肩へと添える。
「――必ず僕が命に掛けてヒスイさんをお守り致します」
「ライト王子……」
兄さんがタオルで目頭を押さえ肩を震わせている。それを見て、私は罪悪感が襲ってきた。
そんなに私の事を心配してくれているのに、私は騙しているのだ。妹思いの兄を。
でも今更この結婚を辞める事は出来ない。だって孤児院にはまだ子供たちが大勢いるのだから。
というか、ライト王子に守って貰うというより逆になりそうなんですが。
と、思わなくもない自分もいる。
それに契約結婚が絶対に不幸だとは限らない。
この間、配達で行った商人のお婆さんの所は、家同士の繋がりを持つための政略結婚だったけど幸せだと言っていた。
お爺さんの誕生日を祝うのだと、うちにアレンジの花を予約してくれて……
そうだ! だったら私も幸せになればいいんだ。
最後の最後。つまり人生が終える時に、ライト王子と結婚してよかったと思えれば儲けものだ。
「……兄さん。私、必ず幸せになるわ! ライト様と!」
急に私が立ち上がったためか、ガタリと椅子が転げ落ちた。
「えぇ、そうよ。自分で自分を不幸に設定する必要はないわ。人生どう転ぶかわからない。それならば、いい方へ転べばいい」
「ヒスイ。やっと自分の幸せを考えてくれるようになったのか! そうだ、お前はこれからどんどん幸せにならなきゃならないんだ。姪っ子か甥っ子が出来るのを楽しみにしているぞ!」
「えぇ、任せて! と言いたいけど、子供って結婚式もまだなんだけど?」
と顎に手を添えて言っていると、「こっ、子供っ!?」と悲鳴じみた声が耳に届き、私も兄さんも同じ方向を見た。
その人はつい先ほどまでの王子らしさをどこかにぶっ飛ばし、憑き物が落ちたかのように別人となり打ち震えている。
「こっ、子供ってあの子供の事ですかっ!?」
涙目になってあちこち視線を泳がせている彼を見て、私は言葉を失った。
だって、この姿って……
「ちょっと! 何で戻っているの!?」
魔法でも溶けたかのように、ライト様は初対面時のイメージ通りに戻ってしまっている。
どうせ戻るなら全て終わってからにしていよ! とりあえず落ち着かせないと。
「子供って、ぼ、ぼ、ぼっ僕とヒスイさんの?」
「他に誰とのよ?」
そう告げれば、ポンっとライト様の顔が一気に沸騰。
まるでのぼせてしまった人のように、体を前後にくらくらとさせている。
そのためライト様が椅子から転げ落ちそうになったので、とっさに支えようとしたら兄さんが駆けつけ支えてくれた。
「おい、どうしたんだ? 急に」
「わかんない。なんでだろう……?」
元々よく知らない人だったのでと言おうと思ったが、そこは口を閉じた。
だって相手がどんな人なのかもわからないため、私は状況が全く把握できないから対処の使用もないし。
「もしかしてライト様。なんか変な事でも想像したの? もしかして私とライト様が――」
「ヒスイ! お前は一体何を言おうとした? まさか、俺が頭に浮かべている単語じゃないだろうな」
「ごめんなさい……」
それは本当にごめんなさい。だって凄まじく過剰な反応なものだから。
絶対エロい事だと思ったんです。
ライト王子は現実のように妄想できる人で、そのためにああなったのかなぁと。
結局ライト王子が落ち着いたのは、数分後。
冷めた紅茶を飲みほし、彼は息を吐いた。
「も、申し訳ありません。こっ、心の準備が出来ておらず取り乱しまして。僕としてはまだヒスイさんとそういった想像をしてなかったので……まさか自分がそういった行為をするなんて……」
「あぁ、それはデリケートな問題ですよね。それにほら、気分や雰囲気でも違ってきますし。うち妹が少し飛躍しすぎてしまったようで申し訳ありません」
「いっ、いいえ! こちらこそご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」
深く腰を折るライト王子と兄さん。そんな二人を見ながら、私は思った。
やはりこれは本物のライト王子だと。
「兄さん。そろそろ婚姻契約書の証人欄にサインして貰ってもいいかな? ライト様もお時間が……」
「あぁ、そうだな」
私は早速署名して貰う方向にした。
だってこれ以上ボロでたらマズイじゃん。
すかさず婚姻契約書を出し、兄さんへと差し出す。
すると、すらすらとサインと捺印を貰い、私は目出度く孤児院のお金をゲットする事に成功した。