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今、一番近くにいる君に

暑い。

そりゃ今は夏だから、暑いのは当たり前だ。

でも、俺は暑い日があまり好きじゃない。

だって、ただでさえ面倒くさがりなむつさんが、もっと面倒くさがって、

俺の話を聞いてくれなくなるから。

ねぇ、睦さん。俺はここにいるよ。

ずっと、そばにいたよ。


俺、新庄しんじょう泰伸やすのぶは今、睦さんこと、糸井いといむつの家にいる。

睦さん家のリビングは、観葉植物や睦さんのお母さんの和歌わかさんが、趣味で作った刺繍なんかが飾ってあって、とても居心地がいい。

もっとも、睦さんの側だったら、どこにいても落ち着くんだけど。

睦さんは糸井夫妻が新婚旅行で一目ぼれしたという、糸井家自慢のイタリア製ソファにふんぞり返って、俺がおみやげに持って来たアイスキャンディを舐めてる。

俺はその足元のフローリングに直に座って、今日来た理由を説明する。

ここは俺の糸井家における定位置だ。

「で、希美ちゃんが『どんなゲームが好き?』って訊くから、俺は『ゲーセンのコインゲーム。あの上からコインを入れて、上手くたくさんのコインを落とすヤツ』って言ったんだ。そしたら『なんていうか、イメージと違うんだよね。地味っていうか。別れよっか』って……」

希美ちゃんはつい昨日別れたばっかりの元カノだ。

ふわふわしたはちみつ色の髪が印象的で、いわゆるギャル系のコ。

ゲーセンで出会って、向こうから告白されて、OKして、二週間で別れた。

何がいけなかったのか、実はよく分からない。

でも二週間っていうのは、最短新記録だ。

今までの最短記録は二週間と二日だったから、二日更新したことになる。

ちなみに最長記録は半年。

高校入ってすぐくらいに、隣のクラスの品川さんと付き合い始めて、秋頃に別れたから、多分そのくらい。

これもイマイチ原因が分からない。

佐奈ちゃん、じゃなかった。もう名前で呼ばないでって言われてたんだっけ。

品川さんは大人しそうだけど、芯が強くて優しい上に、はにかんだ笑顔が可愛かった。

そういえば、品川さんも希美ちゃんと同じようなこと言ってたような……。

確か、品川さんの家族が皆お出かけだからって、泊まりに行った時のことだ。

もちろん俺も健全な男子高校生だから、泊りの目的は言わずもがななんだけど、その行為の後、品川さんお手製の夕飯をご馳走になった。

品川さんの作った料理は、さすが料理部所属なことだけあって、とても美味しかった。

あと、おばあちゃんが漬けたっていう、きゅうりの糠漬け。

あれは絶品だった。ついつい食べ過ぎちゃったくらい。

俺、漬物って結構好きなんだよね。

そして漬物を頬張ってた俺に、品川さんが言った。

『え、漬物好きなの? ……なんていうか、イメージと違うね』

その泊まりの日から三日後、品川さんの方から別れてくれって言われたんだ。


「イメージが違うって、どういう意味なのかなぁ?」

俺は睦さんを見上げて尋ねた。

けど、睦さんはぼーっとアイスキャンディを舐めたまま、ぶつぶつ呟いてる。

睦さんは家にいると、思考が垂れ流しになってしまうらしい。

早口で小さな声だけど、蝉の声も止んでる今は静かだから、聞こえないこともない。

“なんでこんな暑い日に他人の相談に乗ってんだろ。あーあ面倒くさい”

ひ、ヒドイ。絶対俺の話、聞いてなかった。しかもハッキリ面倒くさいって……。

「そういうことは、お願いだから心の中で言ってよ、睦さん」

落ち込んでる俺に追い討ちをかけるかのように、睦さんは片方の眉だけ器用に上げて言う。

「なに言ってんだか。別れたからって、毎度毎度人ンとこに来ないでよね。モテ男のクセに」

ついでに頭を叩かれた。

ソファに座った睦さんの足元に座ってる俺の頭は、身長差と相まってちょうど叩きやすい位置にあるらしい。

でも音はいいけど、全然痛くない。

だから別に叩かれても、ムカついたりはしない。

それになんだかんだ言って、睦さんは俺がこうやって別れたり、なんかあったりする度に家に来ても、迎え入れてくれる。

時々口悪いし、ちょっと暴力的で、心の中ではキツイことも言うけど、本当は優しい人なんだ。

“正統派美少年のハズなんだけど、今はただのいじけ虫なんだよね。ぶっちゃけウザいし”

……本当は……優しい人……の……ハズ……。

どうしよう、自信なくなってきた……。

「だから、そういうのは心の中で言ってよ。傷つくから」

「あらそー、ごめん遊ばせ?」

うわっ、何その口調、軽!

「全然悪いと思ってないよね?」

「まぁね」

そんなあっさり肯定しなくても……。

まぁ、睦さんのこういう所は、今更なんだけど。

睦さんはへこんでる俺を無視して、美味しそうにアイスキャンディを舐めてる。

味は睦さんが一番好きなバナナ味。

なんせ小学校からの付き合いだから、お互いの好みはだいたい把握してるんだよね。


俺と睦さんの出会いは、小学三年生の時までさかのぼる。

当時の俺は、あれもいじめっていうのかな、女子みたいな陰湿なのとか、リンチにあったっていうのはないんだけど、軽くシカトされてた。

原因は、俺の容姿にあるらしい。

俺はちっちゃい頃から、綺麗な子って言われてた。

父さんも母さんも姉ちゃんも綺麗な顔してるから、遺伝であることに間違いない。

けど、俺本人がどうすることも出来ない顔のせいで敬遠されるのは、結構つらい。

それに俺は特別社交的な性格はしてないから、いつの間にか孤立してたんだ。

それを一番心配してたのは、両親じゃなくて担任の先生だった。

教師になって三年目、初めて持ったクラスで問題が起きるなんて、ついてないとしか言い様がないよね。

当事者である俺が言うのもなんだけど。

『なぁ、糸井。新庄のこと、面倒見てやってくれないか。クラスのリーダー格の糸井が新庄のこと面倒見てくれれば、他の皆も新庄と仲良くできると思うんだ。頼む、糸井。この通りだ』

『……分かりました。いいですよ』

俺は放課後、忘れ物に気づいて戻った教室で、この会話を偶然立ち聞きしてしまった。

九歳の子どもに手を合わせて頭を下げた先生を、冷ややかな目で見下ろしてた睦さんが、何を考えて承諾したのかは、未だに謎のままだ。

でもそれ以来この八年間、俺は睦さんにとてもお世話になってる。

それだけは、確かな事実だった。


俺は睦さんの顔をじっと見つめる。

人は俺の顔のことを羨ましいって言うけど、俺はこの顔で生まれて得したと思ったことは、一度もない。

どこに行っても注目されるし、じろじろと顔を見られるのって、ハッキリ言って不愉快だ。

ちっちゃい頃は変なオッサンや怪しいオバサンが『向こうでお菓子を買ってあげようか』とか言って近寄って来たし、誘拐されかけたことだって一度や二度じゃない。

割とでかくなってからは、あれだけ俺のこと敬遠してた同世代もなぜか馴れ馴れしく近寄って来るし、時々野郎の熱っぽい視線まで感じて、全身に鳥肌が立つ。

俺は同性にはこれっぽっちもそういう興味はないっていうのに。

「ねぇ、睦さん。俺はなんでこんな顔に生まれちゃったんだろ。俺も睦さんみたいな平凡な顔に生まれたかったなぁ」

睦さんの顔って、一見平凡なんだけど、よく見ると結構整ってるんだよね。

ダークブラウンの髪はショートカットなのが惜しいくらいに綺麗だ。

切れ長の目は知的な感じがするし、よく見ると結構まつげも長い。

前にそう言ったら『マスカラって知ってる?』ってあきれられたけど。

でも化粧し始める前の睦さんの顔も知ってるけど、やっぱり睦さんの顔って、こう、相手に好印象っていうか、安心感を与える顔だと思うんだよね。

いいなぁ。羨ましい。

俺は心からそう思うんだけど、睦さんは大きなため息をつく。

「アンタね。それ、他の所で言ったら、確実にリンチよ?」

う〜ん、確かに不遜に聞こえるのかな。

でも、俺にはこの顔が邪魔なんだよ。

贅沢な悩みだって、睦さん以外には怒られそうだけど。

だってさ……。

「今まで付き合ったコは、みんな俺の顔だけしか見ないで付き合おうって言うんだ」

「で、付き合ってる内に、実はアンタがヘタレで地味くさいってことに気づいて別れんのよねぇ。お気の毒さま」

そう言って、睦さんは笑った。

んー、やっぱりそうなのかな。イメージと違うって、そういう意味なのかな。

やっぱヤダなぁ、この顔。弊害あり過ぎんだよね。


「はぁ、どうしたらいいと思う?」

ちらりと睦さんの方を見ると、またぼーっとアイスキャンディを舐めてる。

その視線は俺の方じゃなくて、窓の外に向けられてた。

「睦さん、聴いてた? 俺の話」

「あー、聞いてた聞いてた」

睦さんは窓の外を見たまま、適当な返事を返してくる。

嘘だ。これは絶対に聴いてなかった。

「じゃあ、俺が何の話をしてたか言ってみてよ」

言えるもんならね。

案の定、睦さんは不自然な間を空けて、わざとらしい上に古典的なごまかし方をした。

「あー、今日もいい天気だなぁ」

「……聴いてなかったね」

やっぱり。俺は確信を込めてつぶやいた。

睦さん、最近冷たいんだよ。

いくら夏で暑いからって、こんなに俺の話を聞いてくれないなんて、どうしたんだろ。

それにしても、最近の俺ってば、ついてないのかなぁ。

「ねぇ、睦さん。俺って女運がないんだと思う?」

思い切って、尋ねてみる。

睦さんは微妙に眉間にシワを寄せて言った。

「アンタの場合はね、女運がないんじゃなくて、女を見る目がないんでしょ。告白されたからって、ホイホイ付き合ってるんじゃねぇ」

う、さすが睦さん。痛い所をついてくる。

でも、一応反論する。俺にだって、言い分はあるんだよ? ……一応。

「だって、好きですって言われたら嬉しいよ?」

試しに付き合ってから、芽生える恋だってあるかも知れないし。

もしかしたら、だけど。

睦さんは、俺のそんな弱々しい反論を、ばっさりと切り捨てた。

「あー。ホントに分かってないな。つーか、このダメ男め!」

「ヒドっ」

ダメ男って、そんな……。

ガックリと落ち込んでる俺の耳に、また睦さんの独り言が聞こえてきた。

“コイツってば、こんなんでどうやってこの先、生きてくんだろ。まぁ、顔はイイからなぁ。行き着く先は、若いツバメかヒモ?”

ここまでは、いつもの睦さんでも、考えるだろう。

でも、この次に続いた言葉に、俺はものすごくショックを受けた。

“んー、そろそろ見捨て時かな?”


「睦さ〜ん」

睦さんに呼びかける声も、弱々しくなる。

それでも睦さんの耳には届いたようで、短い返事が返ってきた。

「何?」

「全部口に出てる」

「あらま」

睦さんは『またか』って顔をして、ぺろりとアイスキャンディを舐めた。

多分、何気なくそう思ったんだろうけど、俺にとっては、とても重い一言だった。

まだ頭の中でリフレインしてる。

どうしよう、俺、見捨てられちゃうの!?

オロオロしてる俺に追い討ちをかけるかのように、睦さんは困った顔で言った。

「でもさぁ、ホントにそろそろ自立してよ。あたしだっていつまでもアンタの面倒見れるってワケじゃないんだしさ」

”最近、昼間でも道を歩いてると、身の危険を感じるんだよね。コイツの美貌って、男も女も簡単に惑わせるらしいし“

え……。睦さん? もしかして俺のせいで……?

「今度こそ、見た目に惑わされるんじゃなくて、ちゃんとヤスのこと見てくれる人を探しなよ」

そ、そんな……。

睦さんに見捨てられるのはヤダけど、俺のせいで睦さんに迷惑をかけるのは、もっとヤダ。

それにそんな人、家族と睦さんくらいしか、まだ出会ってないのに。

「……睦さん」

俺は膝立ちになって、睦さんと視線を合わせる。

睦さんのダークブラウンの瞳が揺れた。

そして顔をしかめて『しまった』という表情になる。

俺は言葉を選びながら、ゆっくり話しかけた。

「睦さん、睦さんが小学校の担任の先生に頼まれて、俺の面倒を見てくれてたのは知ってる。それでも嬉しかったよ。ねぇ、睦さん。俺が睦さんの所に来たら迷惑かける?」

睦さんはその質問に答えなかった。

多分、それは睦さんが優しいから、本当に傷つけるような言葉は、絶対言わないって誓ってるからだと思う。

その代わり、睦さんはいきなりこんなことを訊いてきた。

「ねぇ、ヤス。ヤスにとって、あたしって何?」

「え?」

考えたこともなかった質問に、俺は悩んだ。だって睦さんは睦さんだし。

睦さんの側は居心地がよくて、とても落ち着く。

例えるなら、大きくて立派な樹の下で寝っ転がってるみたいな感じ?

でも、もっと的確な言葉があるんじゃないかな。

親分? 小学校の頃ならまだしも、今は違うよなぁ。

んーんー、保護者みたいな……そうだ!

「お母さん?」


そう言ったら、問答無用で殴られた。俺は殴られた衝撃で、尻餅をつく。

睦さんが立ち上がって、鬼のような形相で怒鳴った。

「あたしはアンタみたいな、でかい子どもを産んだ覚えはない!」

「ヒドイよ! 今のパンチ、ぐーだったよ、ぐー」

しかも顔だよ! ためらいも遠慮もなく殴ったでしょ!

ホントに今のは痛かった。

涙がすこーしだけ出たし。

睦さんはそんな俺を仁王立ちで見下ろしながら言った。

「ふん、アンタはそんなんだから、長続きしないんだよ。デリカシーないんだから」

「ううう……あっ、睦さん、アイスキャンディが!」

アイスキャンディが溶けて、睦さんの手を汚してるのに気づいた俺は、咄嗟に立ち上がって、睦さんの右手を掴んだ。

そして、そのまま吸い寄せられるように、睦さんの手についたアイスキャンディをぺろりと舐めた。


この時、何でこんな行動をとったのか。

それは覚えてないし、後から考えても、全然解らなかった。

ただ、睦さんの手首が思ったより細くて柔らかかったことと、舐めたアイスキャンディがやたらに甘かったことだけは、鮮明に覚えてる。


睦さんの身体がびくりと震えた。

「あっ、ゴメン。べたべたするから、洗った方が良かったかな」

舐めたら、余計べたべたするよね。

あれ? なんで俺、舐めたんだろ?

「〜〜〜っ、そうじゃなくて!」

睦さんが顔を真っ赤にしながら叫んだ。

「睦さん?」

名前を呼んでも、睦さんは応えてくれなかった。

ヤバッ、何でかは知らないけど、俺、そんなに怒らせちゃった?

俺は何度か大きな深呼吸を繰り返した睦さんに殴り倒された。

しかも、体重を乗せた右ストレートで、だ。

「痛っ、何で殴るの!?」

「うるさい! アンタが悪いのよ! アンタが!」

「俺、なにもしてない!」

「うっさい! 帰れ! 二度と来るな!」

「えぇっ、何で! ヤダよ! 睦さぁん!」

背中をぐいぐい押されて、家から追い出された。

乱暴に閉められた扉。

カギとチェーンキーをかける無情な音が響いた。

「睦さん!? 何か気に障ることがあったら謝るから! ねぇ、開けてよ! 理由も分からないんじゃ、納得できない!」

近所迷惑になるかもだけど、俺はそんなことを気にしてる余裕なんてなかった。

必死で睦さんに呼びかける。

「睦さん! お願いだから、ここ開けて! 睦さん!」


睦さんに殴られた左頬が、じんじん痛む。

けど、睦さんに見捨てられるって恐怖心の方が大きくて、全然気にならなかった。

ちっちゃい頃、悪いことをして外に出されたことがあった。

その時もちょっと不安になったけど、今日はその比じゃない。

この扉の向こうに、睦さんがいるのが、気配と物音で分かる。

たった一枚の鉄の扉が、とてつもなく厚く思えた。

なんで、こんなにすぐ近くにいるのに……。


俺はその場に座り込んで、頭を抱えた。

なんで睦さんに見捨てられるのが、こんなに恐いのか。

なんで睦さんの指を、咄嗟に舐めてしまったのか。

なんで睦さんは扉の向こうから、動こうとしないのか。

俺はこの時、小学生の時からまったく進歩してないガキでしかなくて、どう考えても解らなかった。

正直言って、睦さんが同い年のオンナノコだってことも、忘れてたくらいだ。

睦さんはいつも俺の面倒を見てくれる、とても大きな存在だったから。

ただ、柔らかい手首の感触と甘い匂いだけが、頭から離れなかった。


自分の愚かさと本当の気持ちにやっと気づくのは、もう少し、先のお話。

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