代価はアイスキャンディ 1本分
暑い。
何せ真夏だ。こんな暑い日はさ、面倒なこと、したくないんだよね。なのにさ、なーんであたしは、他人の相談なんかにのってるんでしょうね。
あーあ、面倒くさい。
「そういうことは、お願いだから心の中で言ってよ、睦さん」
ガックリとした様子で、ヤスがあたしを見上げる。
「なに言ってンだか。別れたからって、毎度毎度人ンとこに来ないでよね。モテ男のクセに」
あたしはというと、リビングのソファにふんぞり返ったまま、フローリングの床に直に座っててイイ位置にあるヤスの頭をひっぱたいた。
ヤスこと新庄泰伸はモテる。半端なくモテる。
理由は至極簡単。顔がとてつもなくイイからだ。
サラサラの髪は生まれつき色素が薄くて、キレイな栗色をしてるし、顔のパーツは理想的な位置に収まってて、しかもその一つ一つが魅力的だ。
こげ茶の瞳はまるで貴石のようで、すっと通った鼻筋に、薄すぎず厚すぎない桜色の唇。肌も悔しいことにスベスベしてやがる。いわゆる白磁の肌ってヤツだ。
けっ、男のクセに。
ちなみにスタイルもイイ。身長は確か175くらいだったか。特に高いワケでもないんだけど、手足が長い上に、バランスもイイから、どんな服を着させても、さらりと着こなしてしまうのだ。
ダサい小豆色の学校指定ジャージでさえも、ヤスが着るとブランドデザインかと錯覚させられるほど輝いて見えるから、アーラ不思議。
スカウトに声をかけられたのも、一度や二度じゃない。
正統派美少年……のハズなんだが、今はただのいじけ虫だ。
ぶっちゃけ、ウザい。
「だから、そういうのは心の中で言ってよ。傷つくから」
「あらそー、ごめん遊ばせ?」
「全然悪いと思ってないよね?」
「まぁね」
あたしはヤスがみやげとして持ってきたアイスキャンディをなめながら、適当に返事をした。
ちなみに味はバナナ。あたしの一番好きな味だ。
なんせ小学校からの付き合いだから、お互いの好みはだいたい把握してる。
あたしとヤスとの関係を一言で言えば……なんだろう?
とりあえず最初は親分子分みたいな感じだったのかな。ヤスがあたしのことを『さん』付けで呼ぶのも、その影響だったりする。
この世の中ってのは不思議なもので、顔が良ければ必ずしも良いことばかりが起こるワケでもないらしい。
あたし、糸井睦は、そのことをこのヤスから学んだ。
どこに行っても否が応でも注目の的になって、道に落ちてるお金でも拾おうものなら、顔がイイくせに卑しいと後ろ指を指され、小テストでちょっとでも悪い点を取ろうものなら、顔はイイけど頭は空っぽという噂がマッハで広がるのだ。
特に男の美形は、同性の反感を買いやすいらしい。
それに子どもって異質なモノを露骨に排除しようとするから、ヤスは小学校の頃、いじめられてたというか、仲間はずれにされてた。
これで聖人君子だったり、孤高の存在になるだけの図太さを持っていたり、世渡りの才能があればかなり違うんだろうけど、生憎なことにヤスって外見はトップレベルなクセに中身は極めて地味だ。カリスマ性なんて、かけらもありゃしない。
当時の担任はクラスで浮いた存在になってたヤスをかなり心配していた。そこでクラスのリーダー格だったあたしが、ヤスの面倒を見てくれるように頼まれたってワケ。それ以来この八年間、あたしはヤスの相談役というか、お守役をしてる。
「ねぇ、睦さん。俺はなんでこんな顔に生まれちゃったんだろ。俺も睦さんみたいに平凡な顔に生まれたかったなぁ」
ヤスが人の顔を見て、ふざけたことを抜かしやがった。
「アンタね。それ、他の所で言ったら、確実にリンチよ?」
内心かなりムカついたけど、本気で言ってるのを知ってるから、大きなため息だけで済ましてやる。ほら、あたしって寛大だからね。
「今まで付き合ったコは、みんな俺の顔だけしか見ないで付き合おうって言うんだ」
「で、付き合ってる内に、実はアンタがヘタレで地味くさいってことに気づいて別れんのよねぇ。お気の毒さま」
ヤスはひんやりとしたフローリングに体育座りしながら、まだグチグチ言ってるけど、あたしは毎度のことだからとおざなりに相槌を打っておいた。
やっぱりヤスと違う高校を選んで正解だったな。高校に入ってまで、コイツの面倒見きれるかっての。……結局フラれたり、なんかあったりすると、ウチに来るんだけどさぁ。
で、その時は毎回何かしらみやげを持ってくる。相談料のつもりらしい。それが夏だと、必ずあたしの好きなバナナ味のアイスキャンディなんだよね。
「睦さん、聴いてた? 俺の話」
「あー、聞いてた聞いてた」
「じゃあ、俺が何の話をしてたか言ってみてよ」
「あー、今日もいい天気だなぁ」
「……聴いてなかったね」
だってねぇ、こんないいお天気で暑い日に、何が悲しゅうて野郎の愚痴なんか聞かなきゃなんないのさ。
全開にした窓から時折吹き込む風を感じながら、アイスキャンディをなめる。これこそ夏の正しい過ごし方ってモンでしょう。
「ねぇ、睦さん。俺って女運がないんだと思う?」
諦めきった表情で、あたしを見上げてくるヤス。
どうでもいいけど、男の上目遣いって微妙。
「アンタの場合はね、女運がないんじゃなくて、女を見る目がないんでしょ。告白されたからって、ホイホイ付き合ってるんじゃねぇ」
「だって、好きですって言われたら嬉しいよ?」
「あー。ホントに分かってないな。つーか、このダメ男め!」
「ヒドっ」
ヤスは傷ついたって顔してるけど、毎度毎度同じ間違いをしてる学習能力のない馬鹿に同情してやるほど、あたしは甘くも優しくもない。
ったく、ヤスの周りにいる人たちは、ヤスを甘やかし過ぎてんじゃないの?
……そういえば、ヤスの両親はふわふわしてる人たちだし、お姉さんもまたしかり。血と環境が揃ってんじゃん。そりゃ、こうなるわ。
もう高校二年生なのにこんなので、コイツはどうやってこの先の人生を生きてくんだろ。
顔がイイと、ちやほやされるからなぁ。特に年上の女どもに。
行き着く先は、若いツバメかヒモ? んー、そろそろ見捨て時かな?
「睦さ〜ん」
「何?」
「全部口に出てる」
「あらま」
家に居ると油断して、口から思考が垂れ流しになっちゃうんだよね。外じゃ気をつけてんだけど。危ない人になっちゃうからね。
「でもさぁ、ホントにそろそろ自立してよ。あたしだっていつまでもアンタの面倒見れるってワケじゃないんだしさ」
それにヤスと親しくしてると、コイツを好きな奴らに目の敵にされるんだよね。
中学まではあたしが先生に頼まれて面倒見てるのを皆知ってたから、そうでもなかったけど、今はそんなこと知らない奴らの方が多いし。
最近、昼間でも一人で外を歩くと身の危険を感じる。なんか男の視線もあるっぽいけど。コイツの美貌は、男女問わず簡単に人を惑わせるらしい。
「今度こそ、見た目に惑わされるんじゃなくて、ちゃんとヤスのこと見てくれる人を探しなよ」
「……睦さん」
ヤスが膝立ちになって、あたしと目線を合わせた。ヤスは泣きそうな顔をしてる。あたしも顔をしかめた。
また余計なことを口に出して、ヤスを傷つけた?
「睦さん、睦さんが小学校の担任の先生に頼まれて、俺の面倒を見てくれてたのは知ってる。それでも嬉しかったよ。ねぇ、睦さん。俺が睦さんの所に来たら迷惑かける?」
ヤスは迷子の子どものような、何かにすがるような顔で言う。
あたしはその問いに答える代わりに、ずっと気になってたことを尋ねた。
「ねぇ、ヤス。ヤスにとって、あたしって何?」
「え?」
ヤスがきょとんとした顔をした。
あー、それは考えたこともなかったって顔だね。
眉間にシワを寄せて、一生懸命考えてる。そして答えが出たのか、ぽつりとつぶやいた。
「お母さん?」
あたしは問答無用でヤスの整った顔を殴りつけた。ついでにソファから立ち上がって怒鳴りつける。
「あたしはアンタみたいな、でっかい子どもを産んだ覚えはない!」
「ヒドイよ! 今のパンチ、ぐーだったよ、ぐー」
ヤスがほっぺたを押さえながら、尻餅をついてる。あたしはそれを仁王立ちで見下ろしながら、鼻を鳴らした。
「ふん、アンタはそんなんだから、長続きしないんだよ。デリカシーないんだから」
「ううう……あっ、睦さん、アイスキャンディが!」
目元に薄っすら涙を浮かべて落ち込んでたヤスが、目聡くあたしの持ってるアイスキャンディが溶けてることに気づいた。
いきなりアイスキャンディを持った右手を掴まれる。咄嗟のことで、振り払うっていう選択肢は出てこなかった。
そして、あろうことか、ヤスは当の本人の了解も得ずに、あたしの指についた溶けたアイスキャンディをぺろりと舐めたのだ。
ちらりとのぞいた舌は、滑らかで扇情的な赤。
その舌が指を這う感触に、思わず声にならない悲鳴を上げてしまう。
それに気付いたヤスは、見当違いなことで謝ってきた。
「あっ、ゴメン。べたべたするから、洗った方が良かったかな」
「〜〜〜っ、そうじゃなくて!」
叫びながら、自分の顔に血液が集まってくるのが分かる。
コイツ、本気で解ってないな! この天然スケコマシめ!
あたしはそんなことを今度はしっかり心の中で叫んで、呼吸を整える為に大きく深呼吸をする。
「睦さん?」
ヤスがきょとんとした顔で、あたしの名を呼ぶ。けれどあたしはそれに応えられない。
動悸が治まらず、どくどくと自分の心音ばかりが大きく聞こえた。
ヤバイ。絶対にヤバイ。
コイツの容姿が特殊な嗜好を持ってない限り、かなり魅力的に映ることは知ってた。だからこんなことにならないように、細心の注意を払ってきたっていうのに。
冗談じゃない。この先も進んで苦労する気なんて皆無だ。
静まれ動悸! コイツは特に考えてやったワケじゃないんだ! 『たれたら床が汚れちゃう』くらいの感覚でしかないんだから! 大体コイツはあたしのこと、『お母さん』って言ったんだよ! 落ち着け! 早まっちゃいけない!
あたしはもう一度大きく深呼吸してから、ヤスのことを殴り倒した。もちろん、体重を乗せた右ストレートで、だ。
「痛っ、何で殴るの!?」
「うるさい! アンタが悪いのよ! アンタが!」
「俺、なにもしてない!」
「うっさい! 帰れ! 二度と来るな!」
「えぇっ、何で! ヤダよ、睦さぁん!」
残り一口になったアイスキャンディを口に放り込んで、ヤスを無理やり家から追い出す。
乱暴に玄関の扉を閉めて、しっかりカギとチェーンキーをかけた。
扉の向こうでヤスがまだ何かわめいてるけど、そんなことを気にしてる余裕なんてない。
扉に手をついたまま、ずるずるとその場に座りこんでしまった。
「マジでヤバイかも……」
鉄製の扉に体温を奪われた冷たい手を、自分の頬にあてる。頬はいつもよりも、熱を持ってる気がした。
名前をつけようもない関係に、終止符を打とうとしたのはあたし。ヤスを見捨てようとしたのもあたし。あたしに頼ってすがりついて来たのは、ヤスの方だ。
でも……。
アイスキャンディ一本で囚われてしまったのは、もしかしたら、あたしの方だったのかもしれない。