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夕暮れ、芝田修二とユナイテッド

 親父の五十日祭が明け、御霊屋に霊璽を移した。遺影をその脇に置いた。僕の机のある縁側から、常に親父が見てる。

 僕は東元のおいちゃんの元、長畑建設の事務員扱いで雇ってもらった。

 そして9月の半ば、まだ夏の匂いが一向に消えない夕方、僕はユナイテッドの練習場に足を踏み入れた。

「サッカークラブの方をとりあえず見て貰って、それで判断して欲しい、続けるか、何処かに譲るか畳むか」東元社長の言葉は重かった。

 今はどこもそうだが、田舎の土建屋に道楽のスポーツクラブなど、いっちょ前に運営出来る金も余裕も無い。正直事務室の書類を見て、千歳の顔など自分の頭から一瞬吹っ飛んだ。

 社会人チームは県リーグを突破して、九州リーグのチーム補充のためのプレーオフに向かうらしい。少年チームは全県のトーナメント本戦に進む。

 会社の役員待遇を断ったのも、ユナイテッドの代表を引き受けるのを決めきれない事も、あまりにもこれからの2つの運営は苦しい、と感じたからだった。


 一体親父は何考えて、ここまでやってきてたんだろうか


 地元運動場はただの土トラックの中に荒い芝が張ってあるだけだが、照明設備は昔から相変わらずしっかりしている。だが今日はここが練習場ではない。公営運動場に優先順位など無い。先に予約した者が勝ちなのだ。今夜は町内地区対抗のパパさんソフトボールが行われている。

 ユナイテッドの今日は、地元の川を挟んだ向こうの街の運動広場が会場だった。

 フェンスと芝はあるが、照明が無い。使用申請をした者が町外者だったというだけで、使用料2時間100円のはずが200円になってしまった。

 9月の夕方はもう薄暗い。粗末な簡易トイレ一つに水飲み台が一つ。運動場が広いのは救いだったが、子供と大人が合わせて40人近く集ってボールを蹴り合っている。ごちゃごちゃにしか見えない。

 こんな毎日を過ごして、よく県リーグを勝ち上がったもんだ。どうにも掴みようの無い気持ちで、芝生を区切った金網に近づいた時。

「長畑さん、お疲れさまです。芝田です」

 千歳が先月の葬儀後の広間に飛び込んできた時、必死に千歳を静止しようとしていた浅黒い男。

「どうも、ちょっと遅れました、すいません」

「社長が亡くなったって聞いた時はほんと、私達もう終わりだと思ったんですが、あなたが帰郷されたのを見た時に心底ホッとしました。やりますよ、うちのトップは」

 話がどうにも切り出しにくい。僕と同い年ぐらいか、いや相当に若く見える監督芝田は羨むくらいに目がキラキラしている。

 それにしても、この背のあまり高くない、今30代?40ちょい?で柴田、じゃなくて芝田って・・。

 田んぼに囲まれた、草の匂い立ちこめる蒸し蒸した運動場の中で、僕は暑さから来るものとは別の汗を感じた。


 フルコート1面分しかない運動場だが、なかなかみんな走っている。それぞれの選手は親父が頭を下げて、いろんな職場に放り込んだそうだ。

 大企業お抱えなら午前中仕事させて、午後はたっぷり練習生活が満喫出来るだろう。そんなクラブは、軽く考えても鹿児島ではまずお目にかかる事は無い。

 親父はとにかくそれぞれの職場での生活を優先させたそうだ。そして夕方の練習でとにかくボールを蹴らせて、走り込みは毎日朝早く起きて自主練習で行え、というのが掟だった。

 毎日走り込んだ距離、時間を日記につけさせ、監督に提出。やらない者は監督を飛び越して、親父が選手の会社に乗り込んでカミナリを落とす。僕がここで過ごしてきた昔と何も変ってないじゃないか。

 そんな生活を2年近く続けて、こんな場所でボールを蹴ってる男達は、そういうやり方を受け入れた人間なんだろう。ホントにみんなよく走れている。

 そして、芝田もとにかく声を出す、よく走る。運動場を選手に負けないぐらい走り続けて、全ての選手に声を掛け続ける。大人にも、子供にも。そして千歳にも。

 話をする時にくり出す大げさにも見えるジェスチャーが、やっぱり引っ掛かる。そして佇まいがどうしても体育会系じゃない。正直こんな田舎のクラブであんな若そうな見た目で監督だなんて、場違いな人に思えた。

 そして、僕の中で監督芝田は、確信のようなものに変った。大隅体大から浦和に進んだ、芝田修二じゃないのか。


「芝田さん。芝田修二ですよね」

「ですよ、長畑建設に預けてた名簿、間違ってましたか?今月更新したばっかりで」

「いや、の、大隅体大から浦和に行かれたですよね、自分が中学校の頃でした」

「あぁ、ですねぇ、だから私ここら辺の地理も詳しいんです」さらっと言うもんだ。

 出身こそ東京だったが、鹿児島の大隅体育大学で活躍し、天皇杯本戦でJの広島相手に2得点を挙げ、そのままJの浦和に進んだ。そこまではよく覚えてる。ただ、その後が・・。

「あの、・・すいません。浦和におられてから、あまり知る機会がなくて・・。今までどこに、っていうかなんでこんなとこにおられるんですか」一気になんか緊張してしまった。元Jがいる。こんなとこに。いや聞き方もちょっとばかし失礼過ぎて・・しまった。

「あぁ・・。社長に拾われたんです」


「2年目の時に売ってもらったんです。南米に」

 芝田修二の入団した当時の浦和は未だ低迷期だった。親会社の不祥事もあり、資金力も苦しくなる。それでも浦和のネームバリューだけは輝いていたから、即戦力で活躍出来ない選手は移籍の名目のもと、浦和の運転資金となるべくお金に換えられた。

 芝田も例外ではなかった。下位クラブとはいえレベルの高いフォワード陣を押しのける事叶わず、サテライトとベンチの往復の日々だった。そして新天地への辞令を受け取る事になる。

 そこは日本ではなかった。アルゼンチンはリオネグロ州、ビエドマという州都のクラブ。

「私海外組なんですよ、すごいでしょ」にこにこと向いて笑う。

「選手を他クラブに放出し過ぎて、サポーターも結構頭に来てたんですよね、んで国内移籍じゃ角が立つからって、アルゼンチン。活躍はなかったけど、あん時の浦和のフランコって選手の家族がビエドマに私を紹介してくれて」

 半分は芝田の実力、もう半分は親会社の影響力。南米での安定経営のためのPRをかねた、レンタルという道だった。

「給料安かったけどおもしろかった。ジュニアーズともやったし。すぐに2部に堕ちちゃったから、マスコミも食い付かなかったけど。んで何とかレギュラー穫って1部に向けて、って時に。足が壊れた」

 復帰まで1年、その後の活躍は未知数。よほどの名選手でない限り、ましてレンタル選手に手厚い庇護は行き届くほど、南米は甘くない。

「向こうのクラブハウスでクビって言われて、浦和も突き放しちゃったからどうしようって。考えてたら、監督に救われて。選手じゃなくてもメシは喰えるぞ、どうする?って。やるに決まってるでしょって」

 元アルゼンチン2部の日本人は所属クラブの監督の推薦を得て、同じ語圏は本国スペインで指導者を目指した。

「南米での出場数が効いてね、監督の口利きもありがたかったんです。8年間、向こうでサッカー場の芝生管理の手伝いしながら、何とか喰い繋いで、スペインでレベル3ってヤツまで取ってきて」

 最上位ライセンス。おそらくは日本協会のAかS級にも相当するんじゃないか、日本で認められるかどうかはわからないが。

「まぁ、それでも日本人がスペインでコーチやるって口はなくて、東京に戻ってもなんかなぁって、んで大学のあるここに戻ってきてたら、社長に会って。んで今こうしてると」

 親父は千歳だけじゃなかった。芝田と言う海外経験選手まで引き取ってしまっていた。

「社長の言ってる事がおもしろくて。居場所のない流れ者を集めて、田舎から日本中のサッカークラブに勝つって」 

「んで、長畑潤って音信不通の息子にユナイテッドをイヤでも見せつけて、田舎に連れ戻すんだって」


 !?

「社長は、サッカーしたくても出来ない人間とか、居場所のなくなった人間にね、ちゃんとここでサッカー出来るぞって、ふるさとはあるんだよって。そういうのを作りたかったんだって」

「それで、長畑さんにも、サッカーを諦めてもサッカーが出来るって場所とか世界があるっ、て見せてやりたかったって。私もそれに載っかってね、今やってるんです」

「長畑さんがちゃんと帰ってきたら、このクラブは譲るんだって」

 監督の顔を見られなかった。練習している選手の姿を見られなかった。

 さすがに声を出せなかったが、立ち上がる事が出来なかった。タオルが生温かく、じっとりと湿った。


 ハタから見れば、スポーツクラブなど只の道楽。今の僕には仲違いし続けた父親のたった一つの形見。

 そんな話聞いて、どうしろっていうんだ。潰せるはずないじゃないか。

 何の面白みもない、なんか不釣り合いなクラブの名前は、ユナイテッド。

 拠り所をなくした人間達が自分達で居場所を作るためのクラブ。どんな境遇に置かれようとも、サッカーを諦めなくていいクラブ。そんな人間が集まるチーム、鹿児島ユナイテッド。


 それはみなしご千歳のためだけじゃない。行き場のない元プロのためだけじゃない。サッカーのプレーを諦めたことで、全てを諦めた僕が、ちゃんともう一度サッカーに顔を向けられるための、最後の場所だ。


 ひとしきり体から水を出して、まだまだ風は生温いが、手足も首もとも涼しい。

 僕は15年ぶりに、サッカーとちゃんと向かおうと思った。

 千歳にここのジャージを着させ続けようと思った。

 千歳はフェンスの側で、長身選手の股をドリブルで抜きさった。


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