顔を見たくないと言われたので、兜を被って登校します
「君の顔など、二度と見たくない!」
王立学園の中庭。紅葉が舞う噴水の前で、婚約者である第二王子カイル殿下は、わたくしに向かってそう言い放った。
彼の隣には、守ってあげたくなるような可憐さをまとった男爵令嬢リリィが、怯えた瞳で寄り添っている。
「いつも氷のような無表情で、私を見下すようなその顔! 愛嬌のかけらもない! 顔を見るだけで虫唾が走るんだよ!」
わたくし、公爵令嬢セシリア・フォン・シルフィードは、扇を広げることもなく、静かに一礼した。
「左様でございますか。殿下のお気持ち、しかと承りました」
「ふん、少しは身の程を知ったか」
カイル殿下は勝ち誇ったように鼻を鳴らした。
わたくしはシルフィード公爵家の娘。言われた言葉は、一言一句違わず守る。それが我が家の家訓である。
二度と見たくない。
ならば、二度とお見せしなければよろしい。
*
翌朝。
学園の正門をくぐったわたくしの姿に、登校中の生徒たちが息を呑み、静まり返った。
カション。カション。カション。
重厚な金属音を響かせながら歩くわたくしの首から上には、シルフィード公爵家に代々伝わる甲冑の一部――頭部を完全に覆う、純銀製のフルフェイス兜があった。
細いスリット状の覗き穴以外、素肌は一ミリたりとも見えない。
制服はいつも通り、淡いラベンダー色のフリル付きドレス。そこに、重騎士が戦場で使うような無骨な銀の兜が載っている。
「な、なんだあれは……?」
「歩き方はシルフィード様みたいだけど……」
「嘘だろ。頭部だけ重装歩兵じゃないか!」
ざわめく生徒たちをよそに、わたくしは背筋を伸ばして教室へ向かった。
扉を開けると、すでにカイル殿下とリリィが、取り巻きたちと談笑していた。わたくしが入室した瞬間、会話がぴたりと止まる。
カイル殿下が目を剥いた。
「なっ……!? き、貴様、何者だ! 不審者か!?」
わたくしは兜の顎紐を整え、スリットの奥から声を響かせた。兜の内側で反響して、少し低く、少し籠もってしまう。
「ご機嫌麗しゅう、カイル殿下。セシリア・フォン・シルフィードにございます」
「セ、セシリア……!? なんだそのふざけた頭は!」
「ふざけてなどおりません。昨日、殿下は仰いました。『君の顔など二度と見たくない』と」
「言ったが! そういう意味じゃないだろうが!」
「では、どういう意味でございましょう。わたくしの顔が視界に入るだけで虫唾が走ると仰るのであれば、顔を物理的に隠すのが最も誠実な配慮かと存じます」
「だとしても、兜を被ってくる奴があるか!」
隣でリリィが、怯えたように肩を震わせた。
「あの覗き穴から見つめられると、魂を吸い取られそうですぅ……」
わたくしは首を傾けた。装甲がカシャリと鳴る。
「ご安心くださいませ。内部には魔導通気孔と視界拡張レンズを備えております。授業にも支障はございません」
*
その日から、学園の風景は少しずつ変わった。
授業中、誰よりも背筋を伸ばしてノートを取る銀兜。
食堂では、下部の装甲を器用に三センチほど持ち上げ、隙間からストローを差し込んでスープを飲む銀兜。
体育のダンスでは、緊張のあまり足をもつれさせた令息を、鉄の手袋でしっかりと受け止める銀兜。
「大丈夫ですか」
兜の中から響く声に、令息は顔を赤くしてうなずいた。
最初は遠巻きに見ていた生徒たちも、数日経つころには違うことを言い始めた。
「近くで見ると、あの兜の細工は見事だな……」
「姿勢が完璧だから、兜を被っていても気品が隠せていない」
「落としたペンを拾ってくださったの。スリットの奥の瞳が宝石みたいで、私……」
いつしか女子生徒たちの間では、わたくしは「兜様」と呼ばれるようになっていた。
さらに、近衛騎士団長の子息や筆頭魔術師の令息など、質実剛健を好む生徒たちからも声がかかる。
「殿下の理不尽な暴言を、ユーモアと鉄壁の防御で受け流すとは。見事な胆力です」
「実にかっこいい。次の剣術の授業で、ぜひ手合わせを」
孤立していったのは、むしろカイル殿下だった。
「殿下の無茶な言いがかりが原因らしいぞ」
「あんなに才気も品もあるご令嬢に、あの仕打ちか」
「王族としての器を疑われても仕方ないな」
そんな噂が広まる一方、学園にはもう一つ、気がかりな話が流れていた。
リリィの実家である男爵家が、近隣の領地に不自然な融資を持ちかけているという。数字の合わない帳簿を、王家に近い商会へ押しつけているらしい。
「まさか、ただの噂でしょう」
そう言って笑う生徒もいたが、王宮の財務局が調査を始めたという話まで出ていた。
*
ある午後、図書室からの帰り道で、わたくしは第一王子エドワード殿下と顔を合わせた。
銀の髪に、冷静な眼差し。次期国王と目される彼は、学園でも近寄りがたい存在として知られている。
殿下はすれ違いざま、わたくしの兜に目を留めた。
「それが、カイルの言った『ふざけた頭』か」
「はい。殿下のお望みに沿った装いでございます」
「なるほど。己の言葉に責任を取らせるわけか」
その声に、嘲りはなかった。
「殿下のお言葉は、軽々しく扱うものではございませんから」
「その通りだ」
エドワード殿下は短くうなずき、わたくしを追い越していった。
その背中を見送りながら、兜の内側で、わたくしは少しだけ笑った。
*
そして十月末。
学園伝統の「ハロウィン仮面舞踏会」の夜がやってきた。
生徒たちは思い思いの仮面や衣装をまとい、大広間へ集まっていた。この夜会には国王陛下と第一王子も臨席する。次期王妃としての資質を示す場でもあるため、華やかなだけでは済まされない。
カイル殿下は、羽飾りをつけた派手な仮面をまとい、リリィを連れて大広間の中心に陣取っていた。
「いいか、リリィ。今夜こそ父上と兄上にセシリアの奇行を訴える。あんな鉄頭女、誰が見ても正気じゃない。婚約を破棄して、君を新たな婚約者にしてみせる」
その言葉が周囲にも聞こえたのか、近くにいた貴族たちが、困ったように顔を見合わせた。
財務局の調査が始まったばかりだというのに、殿下はずいぶんと気が大きいらしい。
そのとき、大広間の扉が開いた。
現れたのは、黒を基調とした豪奢なドレスをまとった令嬢だった。
頭部には、夜会用に磨き上げた漆黒のナイトヘルメット。金と紫の魔導宝石が散りばめられ、頭頂には紫の羽根飾りが揺れている。
大広間が、歓声と拍手に包まれた。
「見事な仮装だ!」
「兜とドレスの調和が素晴らしい!」
「今年の舞踏会にふさわしい装いだな!」
カイル殿下は顔を真っ赤にして駆け寄ってきた。
「セシリア! 神聖な舞踏会にまでそんな鉄の塊を被ってくるとは、王家への侮辱か! いい加減、その兜を脱げ!」
わたくしはカシャリと首を傾けた。
「お言葉ですが殿下。今夜は仮面舞踏会でございます。顔を隠すことが推奨される場で、最も防御力の高い仮面を選んで何が問題ございましょう」
「屁理屈をこねるな! 私の命令だ。兜を脱いで、素顔を晒して謝罪しろ!」
殿下が手を伸ばした、その瞬間。
「そこまでだ、カイル」
鋭い声が響き、殿下の手首が空中でつかみ止められた。
銀のハーフマスクをつけた第一王子、エドワード殿下だった。
「あ、兄上……!」
「令嬢の装いに無理やり手をかけるとは、王族にあるまじき不作法だ」
エドワード殿下は、カイル殿下を冷たく見据えた。
「それに、『二度と顔を見たくない』と人前で侮辱しておきながら、今度は『顔を見せろ』と騒ぎ立てる。お前の言葉には、一片の責任も矜持もないのか」
「し、しかし兄上、こいつは私を愚弄するためにこんな姿を……!」
「愚弄だと?」
殿下はわたくしに視線を移した。
「理不尽な暴言を受け流しながら、学園での務めを果たし、公爵家の誇りを守り抜いた。私には、見事な気骨に見えるがね」
そう言うと、エドワード殿下はわたくしの前で片膝をつき、手を差し伸べた。
「麗しき騎士令嬢。もしよろしければ、この後のファーストダンスを私と踊っていただけないだろうか」
大広間が、黄色い悲鳴と歓声に揺れた。
わたくしは鉄の手袋を、殿下の手のひらに重ねた。
「喜んで、エドワード殿下」
*
舞踏会が最高潮を迎えたころ、国王直属の監察官がカイル殿下とリリィのもとへ歩み寄った。
リリィの実家が関わった不正融資について、帳簿と証言がそろったという。カイル殿下も、王家の名を使って調査を妨げようとした疑いを持たれていた。
「ま、待ってくれ! 私は何も知らない!」
「殿下の署名が複数の書類に残っております。詳しいお話は、王宮で伺います」
カイル殿下の王位継承順位は大きく引き下げられ、地方の騎士団で一から務めを学び直すことが決まった。
連行される間際、殿下はわたくしにすがるような声を向けた。
「セシリア! 悪かった、私が間違っていた! 頼む、最後に顔を見せてくれ! 君の笑顔が好きだったんだ!」
わたくしはエドワード殿下にエスコートされたまま、殿下を振り返った。
そして、兜のスリット越しに穏やかに告げた。
「『二度と見たくない』と仰ったのは殿下ですわ。それでは、ごきげんよう」
カシャン。
小気味よい金属音を立てて、わたくしは踵を返した。
エドワード殿下が、隣で悪戯っぽく囁く。
「見事な対応だったよ、セシリア嬢。ところで……二人きりになったら、兜を外していただけるのかな?」
「ええ、もちろんです。殿下になら、わたくしの笑顔をいくらでもお見せいたしますわ」
兜の奥で、わたくしはふわりと微笑んだ。
今度の声は反響することなく、ただ甘やかに響いたのだった。




