『高校生以下が知らない言葉の使用禁止』法、可決
短編です。楽しんでいただけると幸いです。
喫茶店『読み処』でマネージャーの溝呂木広志は困ったようにコーヒーを啜り、目の前にいる女流小説家の増田美知子に言った。
「つまりですね、増田先生。国の法律が変わってしまいまして、我々は今後高校生までが知っている熟語や単語で文章を書かないといけないというわけです」
「それは表現の自由の侵害ではありませんか?」
「法律で決まったことですので、もうどうしようもありません。ーー昨今の日本人は大人でも読めない単語や熟語があるし、外国人の移住も多い。ですのでより簡潔に、簡単に表現をしろ、とのことです」
溝呂木は溜息を吐き、またコーヒーを啜った。増田は最初こそ憤慨したが、溝呂木の様子を見て溝呂木も本意ではないのだろうと知り、あきらめることにした。
美和子は原稿を取り出した。
「では、私の原稿のどこがだめなのかを言ってください」
溝呂木は胸から赤ペンを取りだし、添削を開始した。
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20XX年、国会会議でとある決議が可決した。
それは『日本国民(永住権を持つ外国人含む)への言語の簡略化』というもので、要は小説などでしか使わない難しい単語や熟語は排除しようという話だった。どうせ使わないから、という理由で。
小説家や翻訳家は声をあげてこの法律の撤回に乗り出したが、無駄だった。現在、本を読む人口は減りに減っており、ほとんど意味をなさなかった。
小説家や小説を愛する者、そして翻訳家、辞書を作る者や言葉を愛する者は悲しみながらそれでも執筆を続ける者、もうそれなら書きたくはないと筆を折る者までいた。文学業界は波乱の渦に巻き込まれていた。そしてそれは小説家の美和子も例外ではなかった。
言葉というものは使い方によって美しくもなるし、恐ろしくもなる。想像力を搔き立てるものだ。柔らかい文章も硬い文章も書ける、生物のようなものだと美和子は思っていた。それを自らがパソコンで、あるいは万年筆で原稿用紙の上で踊らせるのが美和子にとっては究極的に快感でそして愉悦だった。彼女は言葉を愛していた。
しかし決まったものはもう仕方がない。美和子はあきらめ、溝呂木の添削を受けた。言葉を愛している分、言葉から離れることはできなかった。
「ーーできました」
溝呂木がそう言って原稿用紙を返すと、そこにはほとんど真っ赤になった原稿用紙があり、美和子は絶望を通り越して驚愕した。今の日本人はここまで文章が読めないのかと。
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「ーー申し訳ありません、これでもがんばったんです、これは使えるだろうと...しかし、」
「溝呂木さん、いいんです。とりあえず2人で確認していきませんか?」
今にも泣きだしそうに眼鏡に手をやる溝呂木に同情を感じ、美和子は溝呂木に提案した。もしかすれば高校生でも理解できる言葉があるかもしれない。
「たとえばこの『虚を突かれる』。これは教科書に載ってませんか?」
「載ってますが、理解しているかは不明です。国の命令で主に高校生が書いている小説サイトを確かめてみましたが、このような言葉は出てきません」
「ーーではどう直せばいいんでしょう?」
「『ユリコの予想外の行動にユズルは驚いた』に変えてください。それか『ポカンとした』で」
「.......わかりました」
「先生、この法律は進学校に通っている高校生ではなく、偏差値50程度かそれ以下に抑えてくれとのことです。ーーご理解いただけるでしょうか?つまり...」
「わかりました。ーー括弧をつけて意味を教えるのはだめですか?」
「できるだけそういうのは無しということで、というお達しです」
「世も末ですね」
「ええ、まったくです」
溝呂木と美和子は溜息を吐き、コーヒーを飲んだ。
それから1時間。
「溝呂木さん、この『これではまるでファシズムの再来ではないか』もだめなんですか?」
「ファシズムは歴史で習うはずですが、歴史の授業をきちんと聞いているかが問題です。ただ『ファシズム』は歴史的な思想ですので注意書きをかけば使えると思います。再来はーー...ああだめですね」
「再来すらだめなの?!じゃあどうすれば...」
「こうしましょう。『民主主義などを否定する独裁者、またはその独裁者が入っている政党が支配している状態ーー『ファシズム』が再びこの世界にやってきたとおじさんは叫んだ』と。もう全体主義まで説明すると面倒くさい。これでいいでしょう」
「だんだんライトノベルみたくなってきましたね」
「ライトノベルの方がまだ難しい言葉使ってますよ。これは一種の高校生までの子どもたちへの侮辱にもあたります。ライトノベルの作家の方も頭を抱えています。あっちはとにかく心に響く主人公やキャラクター、胸躍る展開、そしてキャラクターの言い回しが肝ですから。それがこの法律で使えなくなって泣いています。『慟哭』もだめだと言われたそうです」
「なんて不憫な...」
畑は違えど、言葉を愛して小説を書いている者同士、美和子は心から同情した。ライトノベルは設定がファンタジーやSFであることが多く、神話や叙事詩も取り入れる。そして魅力的なキャラクターを際立たせる台詞が多い分、主人公やライバル、ラスボスの言葉が肝になってくる。それを封印されるとは...とここで美和子は気づいた。
「あの、溝呂木さん、『封印』は大丈夫なんですか?」
「ああそちらは大丈夫です。なにせアニメでよく使われてますから」
「アニメが羨ましい...」
アニメや漫画は視覚から入る分、多少の緩和はされているようです、という溝呂木の言葉にコーヒーのお代わりをして美和子は頭を抱えた。どうしろってんのよこの直しの量。ああこうやって歴史は繰り返すのね、と男子が漢詩を読むことを止め、小説を読み始めたと嘆く太宰治のことを美和子は思い出し、落ち込んだ。こんな気分だったんでしょうね、太宰先生。
「溝呂木さん、この『葛藤』も...」
「だめですね『ジレンマ』かあるいはもっと分かりやすく『心の中でやるかやらないかの感情がぶつかりあい、ユズルはどっちにしようか迷っていた』に変えてください」
「高校生が可哀想すぎる!」
美和子はついに天を仰ぎ嘆いた。
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そして計4時間の添削の末、美和子は一冊の本を出版した。それはこういう内容の本だった。
『青空の先に』
『ユズルとユリコは幼稚園の時からの友達で大学を卒業してもたまにスマホで連絡をする仲だった。そのユリコがユズルに「テレビを見て」とある日急に電話をしてきて、ユズルがテレビを見るとこの国の政党(国会議員が5人以上集まる団体のこと)が1つ、圧倒的な力を持ち、ほかの政党を支配していた。
それからこの国は今までの民主主義をやめてその政党の独裁者・ナカタの手によって変えられてしまうことになった。毎日変わる法律ーーたとえば近所の人に怪しい動きはないか、と気をつけてみることや、噂話、変質者を見かければ国が新しく建てた『特別B課』というところへ行き、そこにいる人たちに教えなければならない法律、などだ。をすることになる。
ある日、我慢の限界が来たユズルのおじさんが「これでは独裁者がまたやってきたようなものだ!」とさけび、外に出て行き、彼は特別B課に誰かに言われて、悪い人が入る刑務所とは違う収容所という、独裁者の敵やおじさんのように法律に我慢できなかった人、噂で悪く言われた人が入るところへ行き、日々、大変な労働と少ない食事で働かされることになった。
ユズルはこの状態が許せなくなり、立ち上がった。仲間を集めて、独裁者と戦う決意をした。こうして秘密組織を結成し、ユズルとユリコはそこに入り、独裁者と銃や武器を持って戦うことになる。』
「こんなの小説じゃない...」
「先生、皆そう思っています。皆自分の書いたものに不満を持っています。でももうどうしようもないんです...」
溝呂木は原稿を読み、溜息を吐いて美和子を励まし、会社に戻って行った。増田美和子といえば社会派ドラマを書かせれば一級で、本当はこれだってこんな単語や熟語の規制さえなければ情報戦や心理戦を駆使した重厚な人間ドラマになっただろうに、と文章で使えないからと設定を変えて武力行使に出た主人公たちの小説を見てまた涙が出そうになった。
ーーー後に、言葉を愛する者たちが立ち上げた会員制サイト『言葉の救済』で美和子も含めあらゆる小説家や小説を愛していた大人たち、漫才師にコント師、構成作家、国文学者、言語学者、俳人に落語家に脚本家に映画監督、歌手やラッパーまでもが集まった。
自分の本来書きたかった小説を書き、ある者は詩を書き、ある者は俳句や短歌を書き、造語を作る者もいれば、古語となった言葉をまとめあげる者もいた。
それが密かに盛り上がりを見せ、進学校に通う高校生や意外にも普段本を読まないと思われていた偏差値65から50程度の高校生に中学生、ギャルと呼ばれる若者や今まで小説を読まなかった者たちや移住してきた外国人までもがそのサイトによって日本語の言葉の奥深さに魅了され、隆盛を誇るようになったのは皮肉な話である。
読んでいただきありがとうございます。




