(7)
次の日の朝、母が車で迎えに来た。
ケントは、荷物をまとめながら、昨夜の木のことを考えていた。実がなっていなかったこと。ばあちゃんの言葉。それらは、夢だったのかもしれない。
本当にあったことなのだろうか。カバンに服を押し込みながら、ケントは何度も頭の中で繰り返した。
けれど、胸の奥には、確かな重さが残っていた。それは、嫌な重さじゃなかった。何か、大事なものを預かったような、そんなずっしりとした感覚だった。
部屋の窓から外をのぞくと、太陽が庭をしっかりと照らしていた。今日も暑くなりそうだ。蝉が鳴き始めている。いつもと同じ朝なのに、昨日までと何かが違う。空気の匂いまで、いつもと違うように思えて仕方がなかった。
玄関で、ばあちゃんは二人を見送った。いつもと変わらない顔をしていた。エプロンをつけて、少し腰をかがめて立っている。
「気ぃつけてな」
それだけ言って、しわの寄った手を振る。その手は、長い年月を生きてきた手だった。でも、どこかあたたかくて、力強い。
ケントは、少し迷ってから、口を開いた。
「ばあちゃん、げんきでね」
ばあちゃんは、ほほえんだ。目を細めて、うんうんとうなずいている。やさしい笑顔だった。
マイは、母の車に乗り込む前に、くるりと振り返った。
「みかん、ひみつだよ」
ばあちゃんは、一瞬だけ目を丸くしてから、こくりとうなずいた。それから、指を口に当てて、しーっとした。マイも、真似をしてにっこり笑った。二人だけの約束ができた気がして、マイはうれしそうだった。
車が走り出す。
ケントは、窓の外を見ていた。ばあちゃんの家が、小さくなっていく。玄関先で、ばあちゃんが手を振っている。その姿が、だんだん遠くなった。
ふと、視線をずらすと、家の裏のほうが目に入った。
そこには、あの木がある。
遠くて、よく見えないはずなのに、ケントには、なぜか分かった。
枝の先に、小さな丸いものが、ひとつだけついていた。
オレンジ色だった。小さくて、でも、確かにそこにある。太陽の光できらりと光っていた。
マイも、同じ方向を見つめていた。
何も言わなかった。でも、二人とも、同じものを見ている気がした。その小さな実を、二人とも、見つけていた。心の中で、同じことを思っていた。
車は、角を曲がった。
木は、もう見えなくなった。
それでも、ケントは、目を閉じなかった。窓の外を、ずっと見ていた。
あの実は、誰のためのものだろう。もしかしたら、また誰かが、会いたい人に会えるのかもしれない。そう思うと、胸の奥があたたかくなった。ふわりと、やさしいものが広がっていくような感じがした。
車は、ゆっくりと走っていった。空は青く晴れわたっていて、夏の日差しが、道をまぶしく照らしていた。




