(2)
その夜。布団に入ってしばらくたったころだった。
ケントは、ふと目を開けた。眠りに落ちかけていたのか、それとも浅い眠りから戻ってきたのか、自分でもよく分からなかった。部屋の中は暗く、窓から月の光が少しだけ差し込んでいる。静まり返った夜の中で、玄関の方から何か物音が聞こえてきた。そして引き戸がガラガラと開く音がした。
(ばあちゃん?)
こんな時間に、誰かが外に出ていく。胸がざわついた。ケントは慌てて布団から出て、玄関の方へ行った。足音を立てないように、つま先で歩く。玄関に着くと、開いたままの引き戸の向こうに、ばあちゃんの後ろ姿が見えた。
こんな時間に、どこへ行くんだろう。
みかんを取りに行くんだろうか。
理由は分からないけど、そうに違いないと思った。ばあちゃんは、ゆっくりとした足取りで、家の裏の方へ歩いていく。その背中は、どこか心細そうに見えた。
ケントが部屋に戻ると、マイもいつの間にか起きていた。布団から少しだけ顔を出して、じっとケントの方を見ている。目が合う。
「……行く?」
マイが小さい声で言った。ケントは行ってはいけないようにも感じたが、ばあちゃんが何か困っているのかもしれない。それに、マイを一人で行かせるのは心配だ。二人は布団を抜け出し、急いでばあちゃんの後を追った。玄関で靴を履いて、そっと外に出る。
外の空気は、昼よりは涼しくなっていた。肌に触れる風が、ひんやりとしている。夜露の匂いが、鼻をくすぐった。ばあちゃんは迷う様子もなく、まっすぐ家の裏の方へ歩いていく。月の光が、ばあちゃんの白い髪を照らしている。
家の裏には、小さな畑があり、その奥には大きな木がいくつかあった。昼間見たときは、ただの木だと思っていたけれど、夜に見ると、まるで何か別の存在のように思えてきた。黒い影が、静かにそびえ立っている。
ばあちゃんは奥の方へゆっくりと歩いて行った。二人もその後ろを、音を立てないようにしてついていく。マイはケントの服の裾を、ぎゅっと握って、ついてくる。
そして、ばあちゃんは一番奥にある、大きな木の前で立ち止まった。月の光で、枝の形がはっきり見えた。太い幹から、四方に伸びた枝。そこには、みかんは一つもなっていなかった。葉っぱもまばらで、ところどころ、枝だけになっている部分があった。
ばあちゃんは、しばらくその木を見上げていた。何かを待っているようにも、確かめているようにも見えた。小さく息をついた。その息が、夜の空気に溶けていく。ケントの胸が、きゅっとしめつけられた。
そして、ばあちゃんは家の方へ向きを変えた。
その瞬間、ケントが足元の小石を踏んでしまった。ジャリっと音がする。かすかな音だったけれど、静かな夜には、やけに大きく響いた。ばあちゃんはすぐに気づいて、音がした方を振り返った。
「あんたたち……」
ばあちゃんは驚いた顔をした後、少しだけ困ったように笑った。怒ってはいなかった。むしろ、どこか寂しそうな、でもどこか安心したような、複雑な表情だった。
「今日は、だれも思い出そうとせんかったんやね」
ばあちゃんの声は、いつもより小さかった。風に消えてしまいそうなほどだった。ケントは意味が分からず、たずねた。
「どういうこと?」
だれも?
何を?
ばあちゃんは何も答えず、二人の頭に手を置いた。その手は、いつものように温かかった。
「さ、もう寝よう」
そのまま、三人で家に戻った。帰り道、ばあちゃんは何も語らなかった。ケントも、マイも、何も聞けなかった。聞いてはいけないと思った。
ケントは布団に入っても、さっきの木のことを考えていた。あの木は何の木だったんだろう。ばあちゃんは、何を確かめに行ったんだろう。「だれも思い出そうとしなかった」って、どういうことだろう。
目を閉じると、あの木が、じっと、静かに、こちらを見つめている。
隣で、マイの寝息が聞こえる。ケントは目を開けて、天井を見つめた。
みかんの甘い香りが、まだ、うっすらと残っている気がした。




