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夜にみかんがなる木(仮題)  作者: アレックス・フクリー


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1/2

(1)

 ケントは小学五年生、マイは小学二年生。

 二人は、母と三人で暮らしている。父のことは、家の中ではあまり話題に出なかった。考えないようにしている、というほどでもない。ただ、いつの間にか、考えなくてもすむようになっていた。誰かが意識して避けているわけでもなく、自然と、三人の日常の中に父の話題が入り込まなくなっていた。それは悲しいことでも苦しいことでもなく、ただ、そういうものだった。

 平日、母は夕方まで、日によっては夜まで働いている。だから夕食をゆっくり味わうことはあまりなかったし、食後のデザートを楽しむこともめったになかった。


「今日は何にしようか」


 帰ってきた母は、疲れた顔でエプロンをつけて、冷蔵庫の中身を確認しながら独り言のように呟く。ケントは宿題をしながら、マイはテレビを見ながら、母の背中をちらちらと眺めていた。三人で食卓を囲んでも、会話は短く、食べ終わるとすぐにそれぞれの時間に戻っていく。そんな毎日の繰り返しだった。

 それもあって、家では、普段みかんを食べることはほとんどなかった。スーパーで見かけても、ケントもマイも、「食べたい」と言ったことはなかったと思う。欲しいものがあっても、口に出さない方がいいような気がしていた。母が困った顔をするような気がして。

 けれど、ばあちゃんの家に行くと、必ずみかんが出てくる。それは、当たり前みたいな顔で、テーブルの上に置かれていた。古い木の籠に、つやつやとしたみかんが五つ六つ、ころころと転がっている。いつ訪れてもそこにある。冬でも、夏でも、季節に関係なく。すごく不思議だった。ばあちゃんは、みかん農家でもないのに。


(どこから持ってくるんだろう)


 ケントは不思議に思っていたが、聞かなかった。聞いたら、みかんが出てこなくなるような気がして。魔法が解けてしまうような、そんな怖さがあった。


 夏休み。

 ケントとマイの二人は、ばあちゃんの家に一週間遊びに行くことになった。初日、母が仕事を休んで、ばあちゃんの家まで車で送っていく。朝早く、三人は車に乗り込んだ。一週間分の荷物は、トランクに詰め込まれている。

 車の窓の外の景色が、だんだんと緑色に変わっていく。高い建物が減って、田んぼや畑が増えて、空が広くなっていく。マイは窓に顔を押し付けて、目を輝かせながら外を見ていた。ケントは、持ってきたマンガを読むふりをしながら、ときどき窓の外を眺めた。運転席の母は、いつもより穏やかな表情をしている。ハンドルを握る手も、どこか軽やかだった。

 ばあちゃんの家に着くと、玄関先でばあちゃんが待っていた。日焼けした顔で、三人を見るとにこにこと笑った。深く刻まれた笑いじわが、さらに深くなる。


「大きくなったねえ」


 そう言って、ケントとマイの頭を撫でる。ばあちゃんの手のひらは、夏の陽射しみたいにあたたかかった。マイは照れくさそうに笑い、ケントは少しだけ顔をそむけた。でも、嫌じゃなかった。


「また迎えに来るから」


 母はばあちゃんと少しだけ言葉を交わして、車に乗り込んだ。二人は手を振って、母を見送った。車が見えなくなるまで。母の車が角を曲がって見えなくなっても、マイはしばらく手を振り続けていた。

 二人が家に入ると、すぐに、かごに入ったみかんが目に飛び込んできた。やっぱりある、とケントは胸の奥で思った。


「ほら、食べな」


 ばあちゃんがそう言って、二人にみかんを一つずつ手渡す。ばあちゃんの手は、働き者の手だった。少しごつごつしていて、指の関節が太い。でも、みかんを渡すその動きは優しかった。まるで宝物を手渡すみたいに、そっと、丁寧に。

 皮をむくと、甘い香りがふわっと広がった。マイは嬉しそうに、一つずつ丁寧に口へ運んでいる。ケントも一つ、口に含む。

 少しだけ酸っぱかったけど、甘いみかんだった。それ以上でも、それ以下でもなかった。ちょうどいい味だった。口の中にじんわりと広がって、喉を通っていく。果汁が舌の上で弾けて、甘さと酸っぱさが混ざり合う。ケントは、特別なことは何も考えず、みかん一個を食べきった。マイも食べ終わって、満足そうな顔をしている。小さな口の周りが、少しべたべたしていた。

 その日は、ばあちゃんと一緒に畑を見たり、川で遊んだりした。川の水は冷たくて、足首まで浸けると、夏の暑さがすうっと引いていくようだった。夕方になると、ばあちゃんが夕飯を作ってくれた。大きな鍋で煮込んだ野菜の煮物、こんがりと焼けた焼き魚、具だくさんの味噌汁。家で食べる夕飯とは違う、時間をかけて丁寧に作られた料理だった。


「もっと食べな」


 ばあちゃんは、二人が食べる様子をじっと見つめながら、何度も繰り返した。その目は、細く優しく笑っている。

 夜になり、二人は布団を並べて敷いてもらった。隣の部屋からは、ばあちゃんがテレビを見る音が小さく聞こえてくる。窓の外からは、虫の声がリズムを刻んでいた。家では聞かない音だった。ケントは目を閉じて、その音に耳を澄ませた。遠くで犬が吠える声も聞こえる。知らない土地の夜の音が、ゆっくりとケントを包み込んでいく。なぜか不思議と、安心できた。

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