第9章 誰が判断したか
名前が、先に呼ばれるようになった。
「今回の件ですが」
会議の冒頭で、そう切り出される。
その次に来るのは、条件でも結果でもない。
「前回と同じ判断で、問題ありませんよね」
“前回”が、いつの間にか
**“誰の判断だったか”**と結びついている。
私は、その流れを、もう見逃さなくなっていた。
「……条件は、少し違います」
そう言うと、視線が集まる。
驚きはない。
ただ、続きを待つ顔。
「数値は似てますけど」
資料を指でなぞる。
「前回と同じ判断をするなら、理由は確認したいです」
一瞬の間。
誰かが、私ではなく、別の方向を見る。
その視線の先が、もう一つしかないことを、私は知っていた。
「桐生さんは、どう見ますか」
その名前が出た瞬間、
場の空気が落ち着くのが分かった。
桐生さんは、少しだけ視線を上げる。
「条件は違います」
短い答え。
「前回と同じ判断をするなら、読み替えが必要です」
それだけだった。
誰も反論しない。
誰も深掘りしない。
「では」
誰かが言う。
「今回は、桐生さんの前例を参照して――」
私は、思わず口を開いた。
「それ、今の判断じゃないですよね」
声は、思ったよりはっきりしていた。
場が、少しだけ静まる。
「今の判断は、今の条件で決めるべきです」
言い切ってから、胸が少しだけ早くなる。
間違ったことは言っていない。
でも、場の流れには逆らっている。
「もちろんです」
すぐに、そう返ってくる。
「ただ、参考として」
“参考”
その言葉が、どこか逃げ道みたいに聞こえた。
結局、判断は下された。
結果も、悪くない。
でも、記録に残ったのは、
判断者の名前だった。
「……また、ですね」
会議の後、フィオが小さく言う。
「うん」
私は頷く。
「名前があると」
フィオは続ける。
「安心する人が、増えました」
「そうだね」
私は、苦笑する。
「考えなくてよくなるから」
フィオは、否定しなかった。
刻印盤の前を通り過ぎる人たちは、
もう盤を見ていない。
見るのは、人だ。
誰が決めたか。
誰が責任を持つか。
刻印は、使われていない。
でも、判断は確実に“使われている”。
私は、ふと立ち止まった。
――これ、いつまで続くんだろう。
その問いに、答えは浮かばなかった。
ただ一つ、分かっていることがある。
名前が、力を持ち始めた。
そしてその力は、もう戻らない。




