第5章 便利という判断
刻印盤の前で立ち止まる時間が、短くなった。
以前は、誰かが条件を確認し、誰かが数値を読み上げ、誰かが迷う素振りを見せていた。今は違う。盤が起動し、必要な情報が揃った時点で、次に何が起きるかを、全員がなんとなく理解している。
「今回も、刻印は使いません」
誰かがそう口にしても、違和感はなかった。
それが“決定”ではなく、“確認”として受け取られるようになっている。
私は、その変化を、はっきりと自覚していた。
判断は、早くなった。
現場は、確かに楽になっている。
刻印を使うか使わないかで迷う時間が減り、その分、処置に集中できる。結果も悪くない。むしろ安定している。
「助かってますよ」
そう言ったのは、現場に長くいる人だった。
軽い調子で、悪意はない。
「判断が早いと、余計な確認が要らないですから」
誰も、その言葉を否定しなかった。
桐生さんは、その場にいた。
でも、何も言わない。
求められなければ、答えない。
それが、今の役割のようだった。
「基準は、前回と同じで」
会議では、そんな言葉が増えた。
“前回”が、いつの間にか基準になっている。
私は資料に目を落としながら、違和感の正体を探していた。
数字も、結果も、説明も揃っている。
問題点は見つからない。
それでも。
「判断が楽になる、って」
私は思わず、声に出していた。
隣にいたフィオが、小さく顔を上げる。
「はい?」
「いや……」
言葉を選ぶ。
「楽になるのって、いいことだよね」
「……はい」
フィオは一瞬迷ってから、頷いた。
「現場の負担は、確実に減ってます」
正しい答えだった。
私はそれ以上、何も言えなかった。
刻印盤は、今日も静かだ。
でも、その前を通る人の足取りは、前より軽い。
――便利だ。
そう感じてしまうこと自体が、
もう判断の一部になっている気がした。




