第3章 理由はいらない
三度目になると、空気はもう説明を必要としなかった。
刻印盤の前に立つ人の足取りも、視線の向け方も、最初よりずっと揃っている。
条件は相変わらず、問題ない。
むしろ前より整理されていた。
刻印を使えば、効率も成功率も上がる。数字は嘘をつかない。
「……確認します」
その言葉が出る前に、私は次の流れを予想できてしまった。
嫌な予感、というほど強くはない。ただ、分かってしまう感じ。
桐生さんは盤を見て、それから周囲を見渡す。
誰も意見を出さない。
待っている、というより、預けている。
「刻印は使わない」
言い切りだった。
一度目よりも、二度目よりも、さらに短い。
その瞬間、誰かが小さく息を吐いた。
緊張が解けた音だったのか、判断が出た安堵だったのか、私には分からない。
処置は問題なく進んだ。
結果も、記録上は良好。
刻印を使わなかった理由を、誰も改めて問わない。
盤が片付けられ、書類が回収され、場が解散しかけた、その時だった。
「一つ、よろしいでしょうか」
声を上げたのは、制度側の立場に近い人物だった。
口調は丁寧で、責める色はない。
だからこそ、場が少しだけ静まる。
「今回の判断ですが……刻印の条件自体は、満たしていましたよね」
「ええ」
桐生さんは、すぐに答える。
「では」
その人は一瞬、言葉を選んだ。
「記録上、判断の根拠をどう残しますか」
私は、その質問に少しだけ驚いた。
否定でも反論でもない。
ただ、形にしようとしただけの問い。
桐生さんは、刻印盤を一度だけ見た。
「根拠は残せます」
そう前置きしてから、続ける。
「条件と結果は、刻める」
少し間があった。
「ですが」
視線が、こちらに流れる。
私だけじゃない。周囲全体を含めて。
「責任と判断は、刻めません」
空気が、止まった。
誰も反論しない。
誰も納得したとも言わない。
「……承知しました」
質問した人物は、それ以上踏み込まなかった。
拒絶はなかった。
でも、完全に受け取られたわけでもない。
記録係が、少し迷うようにペンを動かし、それから書き直す。
何を書いたのかは、私は見ていない。
そのまま、場は解散した。
刻印盤は、今日も静かだった。
光ることも、何かを主張することもない。
――刻めないものがある。
その事実が、はっきりと言葉になったのは、これが初めてだった。




