読み切り『判断者、連れ出される』
「桐生さん」
その呼びかけに、桐生は反射で顔を上げた。
いつもの調子で、次に来るであろう「判断の確認」や「条件の整理」を頭の中で並べ始める。
だが。
「今日は、判断しません」
リーナが、にっこり笑ってそう言った。
「……はい?」
理解が追いつかない間に、左右から腕を取られる。
「え、ちょ、待ってください」
「待たないです」
フィオが即答した。
声音はいつも通り穏やかだが、手は容赦がない。
「本日の予定は、白紙です」
「いや、私は――」
「判断者は休ませる、って決めました」
リーナが言い切る。
その言い方が、あまりにも“判断”だった。
気がつけば、外だった。
街。
人。
音。
刻印盤も書類も、視界に入らない。
「……どこへ」
「遊びます」
「具体的には?」
「まず食べます」
「次は?」
「動きます」
「最後は?」
リーナは少し考えてから言った。
「へとへとになるまで」
桐生は、嫌な予感しかしなかった。
結果から言うと、
桐生はその日、一切判断させてもらえなかった。
どの店に入るか。
何を食べるか。
次にどこへ行くか。
すべて却下される。
「桐生さんは、選ばないでください」
「……条件確認くらいは」
「不要です」
フィオが静かに首を振る。
「今日は“引き受けない日”なので」
「そんな日があってたまるか」
「あります」
リーナが即答した。
「だって今、作りました」
気づけば、日が傾いていた。
歩かされ。
食べさせられ。
妙な遊戯に参加させられ。
理由もなく走らされ。
桐生は、完全に無言になっていた。
「……桐生さん」
フィオが、少しだけ心配そうに声をかける。
「大丈夫ですか」
「……判断が」
かすれた声。
「追いつきません」
「よし」
リーナが満足そうに頷いた。
「成功」
「何がですか……」
「考えなくてよくなったでしょ」
桐生は、そこで初めて気づいた。
頭が、静かだった。
条件も。
前例も。
責任の所在も。
何も考えていない。
ただ、疲れている。
「……」
桐生は、深く息を吐いた。
「……これは」
「はい?」
「非常に」
一拍。
「非効率ですね」
二人は顔を見合わせ、
次の瞬間、同時に笑った。
「でしょ」
「そういう日です」
帰り道。
桐生は、少しだけ歩調を緩めた。
「……ありがとうございました」
唐突な礼に、リーナが振り返る。
「何が?」
「判断しなくてよかった」
リーナは一瞬きょとんとして、
それから肩をすくめた。
「当たり前じゃん」
フィオも、静かに頷く。
「判断者が壊れたら、困りますから」
「……私は道具では」
「知ってます」
リーナが、少しだけ真面目な声で言った。
「だから引っ張り出したの」
桐生は、それ以上何も言わなかった。
へとへとだった。
でも、不思議と、嫌じゃなかった。
翌日。
桐生はいつもの席に座り、刻印盤を見る。
盤は、何も映していない。
「……さて」
小さく、独り言。
「今日からまた、引き受けましょうか」
その背中は、
昨日よりほんの少しだけ、軽かった。
完




