脈打つ夜
※史実をもとにした創作作品です。
実在の人物・出来事とは一部異なります。
焚き火は、まだ生きていた。
炎はもう高く跳ねず、赤い舌が炭の表面を舐めては消える。炭は時おり、内側から脈を打つように赤く光って、ぱち、と小さく弾けた。
桜は少し離れた場所に、膝を寄せるようにして座っていた。背中をまっすぐにしようとしても、どうしても丸くなる。夜気が汗の引いた肌を撫で、首筋が薄く冷えた。
眠れない。
目を閉じるたび、昼の感触が戻ってくる。
刃が肉に沈んだときの鈍い重み。骨に当たって止まった瞬間の硬さ。引き抜いた指に残った、ぬるい粘り。
あれが“犬”だったことよりも、「終わったはずのものが、まだ動く」という事実のほうが、今は胸の奥に引っかかっている。
襦袢の下で、痣が熱い。
昨夜より輪郭がはっきりしている気がした。疼きが、夜のどこかを指し示すみたいに、微かに脈を打つ。
(――私は、変わり始めている)
そう思いかけて、桜は息を飲み込んだ。認めた瞬間に、何かが決まってしまう気がした。
そのとき――
焚き火の外で、気配が揺れた。
静かではない。静かにしようとして、しきれない重さ。草を踏む音、砂利が沈む音が、遅れて耳に届く。
桜の体が先に反応した。
刃は手元にないのに、肩が固まり、指が“握る形”を作りかける。心臓が強く鳴って、痣がじくりと痛んだ。
振り向く。
赤い光の縁に、男が立っていた。
――家宣さま。
……いや。家宣。
胸の中でそう呼びかけてしまって、桜は自分に驚いた。
昼の威厳ある装いではない。簡素な着物に、緩い帯。刀を膝の横に置いたまま、疲れがそのまま肩に落ちている。警戒が消えたわけじゃないのに、どこか“戦の外側”に降りてきた人間みたいだった。
桜は、見慣れないその姿に、一瞬言葉を失った。
夜は、
終わっていなかった。
焚き火の火は弱まり、
炭がまだ赤く脈打っている。
桜は、
膝を抱えるでもなく、
ただ寄せたまま。
眠れない。
目を閉じるたび、
血の感触が蘇る。
その時――
気配があった。
足音を殺しきれない、
重い歩み。
振り向くと、
そこにいた。
家宣。
昼間の紺の羽織ではない。
簡素な着物。
帯も緩め、
刀を膝の横に置いたまま。
力の抜けた肩が、
焚き火の赤に照らされている。
見慣れない姿だった。
⸻
「……起きていたか」
低い声。
いつもの、
整えられた調子ではない。
「……眠れません」
桜は、
正直に答えた。
家宣は、
しばらく黙った。
そして、
焚き火を見つめながら言った。
「俺もだ」
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
次話もお付き合いいただければ幸いです。




