表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
53/62

橋が閉ざされる夜

※史実をもとにした創作作品です。

実在の人物・出来事とは一部異なります。

夜半。


橋へなだれ込む人の波は途切れない。

肩がぶつかり、袖が引きちぎられかけ、裾を踏まれて足がもつれる。

提灯の火がいくつも揺れ、赤い灯りだけが人の頬をなぞっていった。


「離さない」


家宣の声が、桜の耳の奥に残ったまま、

次の瞬間には喧噪に押し流されそうになる。


そのとき――


遠くで、触れ太鼓が鳴った。


――ド……ン。


一つきりの音が、闇の中で長く転がる。

人の声が一瞬だけ薄まり、波の頭が揃った。


――ドン。 ドン、ドン。


二度目、三度目。

近づくほど、音が増える。歩みといっしょに揺れ、同じ調子で叩かれているはずなのに、なぜか鼓動と噛み合わない。腹の底だけが遅れて震えた。


「触れ回りだ……」


家宣が低く呟く。


太鼓の響きに押されるように、提灯の列が闇から滲んで出た。

町奉行所の役人たち。

白い紙束が揺れるたび、灯りが人の顔を切り取っては捨てていく。


「これより先、江戸市中への出入りを禁ずる!」

「病者、怪異の疑いある者は、即刻留め置く!」


張り上げた声はよく通るのに、どこか平たい。

命令ではなく、判決の響きだった。


橋の両端に同心が並ぶ。

槍の穂先が提灯の灯りを拾い、ぬらりと光る。

その背後には浪人衆。刀の柄に手を掛け、最初から“斬る形”で立っていた。


――封鎖。


息を呑む音が波のように広がり、

次の瞬間、群衆の熱が一段上がる。


「待ってくれ!」

「子がいるんだ!」

「噛まれてねぇ! 見てくれ! ここを見ろ!」


腕をまくって傷を見せる者。

首筋を押さえて泣く女。

赤子を掲げ、声が枯れるまで叫ぶ者。


だが――誰も確かめようとしない。


確かめたところで、意味がない。

疑われた時点で、橋のこちら側に“置かれる”。


押し返され、押し返され、

人の波が橋のたもとで潰れ、また盛り上がる。


その混乱の隙間から、別の音が聞こえた。


――ぴちゃ。


橋の下。

川の暗さが、提灯の赤を薄く吸っている。


「飛んだぞ!」


誰かが叫ぶ。

裾が水に消え、白い手が一瞬だけ上がった。

助けを求める指――のはずだった。


だが水面に浮かんだのは、手ではない。


黒い背。ぬれた髪。

水を裂く音が、人の泳ぎと違う。速すぎる。


橋の影から影へ、“それ”が移っていく。


水面に残るのは波紋だけ。

波紋が提灯の赤を砕き、砕いた光が濁った水に沈んでいった。


桜は、喉が動かなくなった。


封鎖とは、門を閉めることではない。

逃げ道そのものを、この夜から消すことだ。


――ドン。


触れ太鼓が、合図のように一つだけ鳴る。

腹の底が、その一打で冷え切った。


橋は閉ざされる。

江戸は――こちら側ごと、見捨てられる。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

次話もお付き合いいただければ幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ