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エルド奇譚:迷宮の祠と真名の石  作者: VIKASH
第六の試練

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「中」―《武術家》

「中」―《武術家》


 白い霧が、わずかに沈んだ。


 夢影だったものは、もう揺らいでいない。上半身裸の肉体は静止し、呼吸の痕跡すら見せずに立っていた。皮膚の質感は人に近いが、温度だけが感じられない。まるで、形だけを借りた意志が、内側に詰め込まれているかのようだった。


 顔は依然として真白だった。目も、鼻も、口もない。ただ滑らかな面が、エルドの方向へ向けられている。


 拳が、ゆっくりと握られる。


 その瞬間、空気が歪んだ。


 音はなかった。しかし、拳の周囲だけが現実の密度を失い、霧が一拍遅れて引き裂かれる。殴ったわけではない。ただ「力を込めた」という事実だけが、境界を揺らした。


 腰元に残る布が、不自然な動きで波打つ。重力に従っているようで、従っていない。夢の法則と現実の法則が、そこで衝突しているのが見て取れた。


 エルドは、一歩だけ距離を取った。


 敵意は感じられない。だが、安心もできなかった。

 この存在は、守るために生まれたのか、壊すために生まれたのか、そのどちらでもない可能性がある。


 白い顔が、わずかに傾く。


 その仕草は、人が考え込むときのものに似ていた。


 次の瞬間、黒く染まった拳が前へ突き出される。


 空間が、砕けた。


 正確には、砕けたように“見えた”。拳が触れた部分だけ、世界が薄く剥がれ、奥に別の層が覗いた。そこには形も色もなく、ただ圧だけが存在していた。


 夢と現実の境界面が、殴り抜かれている。


 白い顔から、あの無機質な振動が漏れる。



――フ……フッ……



 それは満足でも、喜びでもない。

 ただ、「通った」という感触を確かめる音だった。


 エルドの胸の奥で、嫌な予感が静かに広がる。

 この存在は、武器を持たない。技も構えもない。


 それでも――


 境界そのものを壊せる。


 白い顔が、再びこちらを向いた。

 従うようでもなく、逆らうようでもない。ただ、隣に立っている。


 夢から生まれた肉体が、初めて一歩を踏み出す。


 足元の布が揺れ、世界がそれに合わせて軋んだ。


 この同行者がもたらすのは、守護か、破綻か。

 その答えはまだ、どこにも定まっていない。


 ただ一つ確かなのは――

《夢影は、もはや“影”ではない》ということだけだった。



---


α⁴分岐《制御の試行》


 エルドは夢から生まれた武術家に対し、意図的な指示を与える。立て、止まれ、拳を収めろ。言葉は届かないが、存在の揺らぎに微かな反応が生じる。命令ではなく「意志」に近いものが、白い肉体へ伝播していく兆しが見え始める。一方で、制御が成立するほど、この存在が「道具」に近づいていく感覚も否定できない。夢影を操ることは、夢そのものを縛る行為なのか。その問いが、次第に重さを増していく。


---


β⁴分岐《境界侵食》


 同行を続けるうち、武術家の無意識な動作が周囲に歪みを生み始める。歩くだけで空間が軋み、拳を握るだけで層が薄くなる。敵意はなく、暴力の意思もない。ただ存在するだけで、境界が耐えきれなくなっていく。夢から生まれた肉体が現実に馴染むほど、世界のほうが形を崩し始めるという矛盾。その異変は、やがて引き返せない段階へ近づいていく。


---


γ⁴分岐《対話不能》


 エルドは意思疎通を試みるが、返ってくるのは無機質な振動だけだった。声も感情も、意味として定着しない。白い顔は反応を模倣するが、理解には至らない。やがて明らかになるのは、この存在が「考える主体」ではなく、「作用そのもの」である可能性だった。語り合えない同行者と進む旅は、選択のたびに孤独を深めていく。信頼も拒絶も成立しない関係が、静かに続いていく。



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