β³ 《灰の道》
◆ β³ ― 《灰の道》―退きながら進む、裏の正規ルート
― レッドリザーバ喪失ルート ―
右の灰色の通路は、他の二つとは明らかに異なる静けさを湛えていた。紋様はなく、霧も薄く、ただ淡い灰の層が漂うのみ。まるで祠が“感情”を抜き取り、そこにただ形だけの世界を置いたような無機質さがあった。
エルドは一歩踏み込んだ瞬間、手にしていた《レッド・リザーバ》の脈動が弱まるのを感じた。鼓動は遠ざかり、内側の炎のような揺らぎも細くなっていく。まるでこの通路が、宝玉そのものを拒絶しているかのようだった。
足元はわずかに湿っており、灰色の砂が踏むたびに柔らかく散る。壁は岩とも霧ともつかない曖昧な材質で、触れれば吸い込まれそうな冷たさが走る。通路はゆるやかに曲がり、曲がるたびに光が一段と薄れていった。
やがて、背後から深い音が聞こえた。鼓膜ではなく、胸の奥に直接響くような低い拍動。エルドは振り返ることなく進む。通路は細く伸び、歩を重ねるごとに、祠の中心から離れていく確かな感覚があった。
その離脱の最中、手の中の宝玉が微かに震えた。赤い光が最後の灯りのように揺れ、その輝きが次第に曇りへと変わっていく。
――ここは、“正規”ではあっても、“核心”から外れた道。
祠の意思が最小限しか干渉できない領域。
その理が、空気の冷たさとして肌に染みてくる。
さらに進むと、視界が突然開けた。そこは巨大な灰の空洞で、天井も壁も溶けたように滑らかで、方向の概念が曖昧になるほど均一な空間だった。中心には、灰に沈むようにして大きな窪地があり、底では赤い霧が渦を巻いている。
その霧は、明らかに《レッド・リザーバ》に反応していた。宝玉は強く震え、一瞬だけ赤い光を放った。しかし、その光はすぐに霧のほうに引かれるように弱まり、ゆっくりとエルドの手から浮き上がった。
エルドは伸ばしかけた手を止めた。止めたというより、その場の空気が彼の意志を鈍らせた。灰の空洞全体がひとつの“意志”として、宝玉の返還を求めているのが分かった。
宝玉は霧の渦へと向かっていく。赤い光は、重い灰の空間の中で唯一動く炎のように揺らめき、やがて渦の中心に吸い込まれた。
霧が深く沈む音が響く。
それは大切な記憶を封じた宝玉が、再び祠の層へ戻る音だった。
エルドの掌には何も残らない。
温度も、鼓動も、意味さえも。
その瞬間、空洞全体が静かに明滅した。灰色の壁に流れた波紋のような光は、ゆっくりと通路の奥へ吸い込まれていく。まるで宝玉の喪失を確認し、次の通路を開いたかのようだった。
エルドはただ一度だけ、灰の渦を見下ろした。そこに後悔はなかった。ただ、胸のどこかに、宝玉が持っていた“誰かの記憶の温度”が抜け落ちたような空白が生まれていた。
その空白は、痛みではなく、冷たく澄んだ静寂だった。
通路を進むと、暗がりの隙間から細い赤い線が現れた。それはまっすぐ伸び、階層の深部へと続く一本の道となる。正規ルートであることを示す、最小限の紅の痕跡。
その道に足を踏み入れた瞬間、背後の灰色の空洞が徐々に形を崩し始めた。音もなく、霧のようにほどけて消えていく。
祠は、宝玉を失った者に対して、新しい“負債”を与える構えを見せていた。必ず、後の階層でこの選択の影が形を変えて訪れる。それは逃れた試練の再来であり、必ずしも同じ姿とは限らない。
エルドは深く息を吐き、前を向いた。
灰の道は確かに正規ルートだ。だが、代償は静かに積み重なる。
薄明の霧が揺れた。
通路の奥から、低い風音が響く。
「……進む」
そう呟いた声だけが、この灰の領域で唯一の生きた音となり、すぐに霧の中へ溶けて消えた。
祠の深層は、宝玉のない者に何を見せるのか。
灰の道は静かに、その答えへとエルドを誘っていった。
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◆《灰の道》の先に現れる三つの分岐
BD / BE / BF
灰の道を抜けた直後、祠は“宝玉を持たぬ者にのみ提示される三つの影の分岐”を静かに展開する。
霧は灰ではなく、淡い黒へと変わり、壁面の紋はすべて沈黙していた。
祠は観測している――
“宝玉を捨てた者が、何を選ぶのか”を。
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■ BD ― 《狭間の道 (リフト・エリア)》
――“失われた記憶の影が形を取り、試練として蘇る”ルート
灰の道を失い、宝玉を手放した結果、
祠の深層はエルドの不足を読み取り、欠落を補うための「記憶の影」を作り出す。
通路は黒い水面のように揺らぎ、歩を進めるたびに足元へ波紋が広がる。
壁には形を成す直前の“影の人影”が無数に揺れていた。
ここで現れる敵は、祠の記憶ではなく――
エルドが自覚していない、自身の“未然の欠片”。
まだ起こらなかった未来、まだ積み重ねられていない記憶、
その“失われた可能性”そのものが敵として立ちはだかる。
倒しても消えない。
倒すほど濃くなる。
まるで、自分の影を踏んで進むような試練。
この道を最後まで抜けると、
エルドは「本来選ばなかった未来の断片」を一つだけ得られる。
能力ではなく、“見える世界が少しだけ変わる”ほどの微細な変化。
祠はそれを“補正”と呼ぶ。
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■ BE ― 《虚声の道 (エコーライン)》
――“祠が語る真実とも虚偽ともつかぬ声”を受け取るルート
通路は細長く、遠くから微かな音が響く。
誰の声でもない、しかし誰かの呼び声にも聞こえる、
複数の声が折り重なった無方向の囁き。
この道では敵は出ない。
代わりに、祠が持つ膨大な記憶が音のエコーという形で
エルドに語りかけてくる。
しかし語られる内容は――
真実 70%
虚構 30%。
この不安定な比率は祠が意図した罠であり、
聞くほどに“自分の判断力”が試される構造になっている。
どれが嘘で、どれが祠が守る真意なのか。
どこまで信じてよいのか。
選べなければ道は閉じる。
最後まで進むと、
エルドは祠の“目的”の輪郭を一部知るが、
代わりにひとつの“誤解”を植え付けられる。
その誤解は後の階層で、
重大な誤判断を生む可能性がある。
しかし、正しく使えば
祠の核心にたどり着く“最短の鍵”にもなる。
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■ BF ― 《断絶の道 (ディスコンティニュア)》
――“すべての干渉を断ち切り、独自ルートへと分岐する”道
通路に入った瞬間、祠の気配が完全に消える。
空気は重くなく、霧も存在せず、音もない。
ここは祠が“観測できない領域”。
レッドリザーバを失った者にのみ与えられる、
祠の外周をさらに外側へ外れた“無干渉の領域”。
ここでは記憶の影も出ない。
敵も出ない。
声もない。
ただ、歩き続けるほどに――
エルドの周囲から“世界の規則”が少しずつ削れていく。
重力の感覚が不安定になり、
壁の距離感が変わり、
歩いたはずの地点にいつの間にか未踏の床が広がる。
これは祠が意図的に作った道ではなく、
祠の“外側の裂け目”だ。
この道を進み切ると、
通常ルートとは別の
“異界型サブルート”が開く。
祠の試練は続くが、
内容は本来のものと完全に異なり、
祠自身もその影響を予測できない。
祠から外れた道を歩く者は、
本来の試練では得られない
“独自の力”
を手にする可能性があるが――
同時に、
“祠の原理”そのものとの相性を失い、
後半で祠から排除される危険も孕む。




