❷ - α 《炎を代償とする者》
◆ Eルート《紅の道》α: “炎を代償とする者”
エルドが左手の三角紋へ足を踏み入れた瞬間、通路は音もなく閉ざされた。背後の紅霧は塗りつぶされ、戻る道は完全に消え失せる。前方に漂う熱風は生きもののようにうねり、壁面の紋様は呼吸する炎の筋肉のように脈動した。足元に広がる石床には焼け焦げた痕が幾重にも刻まれ、ここを通った者たちがどれほど多くの代償を払ってきたかが静かに語られていた。
やがて通路は緩やかな下降へ変わり、赤黒い光を帯びた洞窟のような空間へと続いた。天井は高く、そこから滴り落ちる炎のしずくが宙で形を崩して消えていく。炎は熱を持たず、むしろ冷たさを帯びていた。火でありながら凍えるような輝き――それは宝玉に由来する“精神を焼く炎”の性質そのものだった。
広間の中心に、ひとつの巨大な石環が立ち上がっていた。石環はまるで昇華した竜の骨のような質感を持ち、その内側には燃え盛る紋章が浮かんでは消えた。紋章はエルドの脈動に反応して形を変え、彼の心の奥底に潜む力と弱さを映し出す。強さを求めるほど石環は赤々と輝き、迷いを抱くほど光は黒へ傾いた。
エルドが一歩踏み入れると、大地全体が低く震えた。身体は熱に包まれたが、痛みはなかった。代わりに心の奥で、何かが徐々に削がれていく。決意が研がれ、恐れがひしゃげ、迷いが焦げていく感覚が襲った。力を求めるこの道は、肉体ではなく精神を代償とする――その真実が、灼けつく鼓動とともにゆっくりと理解される。
石環の内側に立つと、炎は渦を巻いてエルドを包んだ。渦の中心で、自身の影が揺れる。影は歪み、膨らみ、巨大な獣の輪郭を帯びた。過去に打ち倒してきたもの、恐れたもの、力として憧れたもの。そのすべてが混じり合い、ひとつの新たな“自分ではない何か”として形づくられていく。
この道の本質は“鍛錬”でも“加護”でもなかった。
それは“自我の破壊と再構築”を強制する、祠が最も過酷と認めた試練だった。
影はやがて霧散し、エルド自身へと溶け込んだ。身体は軽く、視界は鮮明で、感覚は研ぎ澄まされている。確かに強くなった。しかし同時に、胸の奥にぽっかりと空洞が生まれ、そこに何があったのか思い出せなくなっていた。恐れがひとつ消え、迷いがひとつ失われ、代わりに“強さのための空席”が生じていた。
広間の奥にもう一つの通路が開いた。そこには薄い炎の幕が揺れていた。進むたびに空っぽの感覚は深まり、失われたものの重さに気づけないまま、ただ力の輪郭だけが増えていく。
やがて通路の終点となる小さな洞室にたどり着いた。そこには、かすかな光を宿した鏡面石が立っていた。鏡はエルドを映さず、代わりに影だけを映していた。影は大きく、揺らぎ、どこか赤黒い輝きを灯している。炎の試練で得た力は確かに彼の中に宿っているが、それは祠の意志が与えた“未完成の強さ”にすぎない。
道を誤った証として、鏡はその姿を最後までエルド本人として映すことはなかった。
洞室の奥には出口らしき裂け目があり、そこからは別の階層へつながる冷たい風が吹き込んでいた。身体は強化されている。しかし心は空白を抱えたまま、満たされることのない欠落が微かな軋みとなって胸を刺激する。この欠落は後の階層で形を変え、必ず新たな試練として姿を現すだろう。
エルドは一度も振り返らず、揺らめく光の裂け目を抜けた。
こうしてαの道の試練は終わった。得たのは強さ、失ったのはその強さを支える何か。
誤った選択ではあったが、道は閉ざされず、ただ不完全なまま先へ続いていく。
紅の道はまだ終わっていない。




