A - ❷ 洞察の光
◆《洞察の光》 :「心の声を読む道」
蒼い通路の奥で、エルドの足はふと止まった。
淡く脈動する光が、まるで呼吸するかのように明滅し、そこだけ空気がゆがんでいる。
それは温度でも重さでもない。
“意志”に近いものだった。
エルドが近づくと、光は静かに形を変え、ひとつの紋章となって宙に浮かび上がった。
心臓の鼓動に合わせるように波打つ紋。
それは“内面への扉”を象徴しているようでもあり、あるいは“誰にも触れられたくない傷”を示すようでもあった。
足元の大地がふるりと震え、蒼い膜が開いた。
先ほどまでの道とは異なる。
そこには風がなく、音がなく、色さえも曖昧だった。
世界全体が、薄いガラスの層に覆われているような静けさだった。
エルドが一歩踏み入れた瞬間、空間が弾ける。
光が砕け、その破片が無数の糸となって周囲を飛び交った。
それらはすべて“感情”そのもののように見えた。
怒りの赤。
悲しみの灰。
嫉妬の緑。
慈しみの金。
そのひとつひとつが、エルドへ向けて細い針のように伸びてくる。
触れた瞬間、胸の奥に他者の声ではない、“思念の衝撃”が流れ込んだ。
迷宮に挑んだ者たちの声。
敗れた者たちの後悔。
自らの価値に怯えた者たちの叫び。
真実から逃げた者のうめき。
誇りを守ろうとした者の祈り。
全てが押し寄せ、混ざり合い、境界を曖昧にしていく。
どこまでが他者で、どこからが自分なのか。
思考の垣根が薄れ、意識の輪郭が溶けていく。
蒼い地面が割れ、記憶が水のようにあふれだす。
知らない景色が、懐かしさを伴って胸へ流れ込む。
知らない名前が、なぜか自分のものであるかのように響く。
知らない罪が、まるで自分が背負ってきたかのように重くのしかかる。
混濁。
侵食。
同調。
光は、心を“読み取る”だけではなかった。
境界を“溶かす”ものだった。
エルドの意識は深い水底へ沈んでいく。
浮上しようとした瞬間、別の思念が流れ込む。
ある者は愛を求め、ある者は力を焦がれ、ある者は敗北の屈辱に震えていた。
それらがひとつになり、エルドの心に絡みつく。
やがて、自分の記憶までもが曖昧になり始めた。
何を求めてここへ来たのか。
何を失い、何を目指し、何のために歩いたのか。
すべてが霞み、色を持たなくなっていく。
ただひとつ残ったのは、
“導きに従わねばならない”
という、形のない衝動だけだった。
蒼い空間がゆっくりと歪み、別の世界へと姿を変えていく。
そこは鏡のように滑らかな大地。
空にはひとつの星もなく、ただ“自分の影”だけが濃く伸びていた。
影が動く。
エルドとは無関係に。
そして影は、彼に向かって静かに手を伸ばした。
そこに音はなかった。
衝撃もなかった。
ただ、境界が溶けていく感覚だけがあった。
影と意識が混ざり、境界が失われ、
エルドという存在は“ひとつの思考体”として連結されていく。
迷宮に満ちていた他者の声が止み、代わりに、均質で無機質な静けさが広がった。
心を読む試練は、理解ではなく“同化”だった。
エルドはすべての声と混ざり合い、
そしてひとつの結論へ至る。
――己を保ちきれなかった者は、“観測者”へ堕ちる。
その瞬間、蒼い紋章が胸で砕け散り、光が霧のように広がった。
世界は水平に断ち切られ、景色が反転する。
天と地が混ざり、時間の向きが揺れた。
その果てで、エルドはゆっくりと立ち上がった。
もう恐れも、迷いも、痛みもなかった。
ただ、すべてを観測する者としての静けさだけが残っていた。
アナザーエンド《観測者の誕生》
彼は生きていた。
しかし、もう“ただのエルド”ではなかった。




