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第九章【暁影と光の祭典】

沈黙――


《紅のヌルフィア》が崩れ去った後に残ったのは、平穏ではなかった。

それはむしろ、息を詰まらせるような圧迫感だった。


砕けた石片がユウの足元で音を立てる。

荒い呼吸。

口から滴る血。


灯火のように揺らめくオーラは、もはや消えかけの残光にすぎない。


壁にもたれ、胸を上下させながら呟く。

「……はぁっ、はっ……生きてる……? あの化け物……ほとんど俺を消し去るところだった……」

焼け焦げた石の匂い、灰の臭気。


《紅のヌルフィア》の残骸が散らばり、まるで神の宴の残飯のように床を覆っていた。

だがユウの身体は満身創痍。震える足、折れた骨。治癒の再生すら、今は遅々として進まない。

咳き込みながら、血の味を舌に感じつつ呟く。


「……どうして……いつもこうなんだ……」

拳を握り締め、皮膚が裂け血が滲む。


「一体につき……一フロア。しかも前のより確実に強い。村の狩人なんか絶対に勝てる相手じゃない。……アーカキム!」 目を吊り上げ、燃える瞳で虚空を睨む。


「このダンジョン、一体何なんだ……! 自然の迷宮なら群れで魔物がいるはずだ。なのに……まるで仕組まれてる!」 即座に響く無機質な声。


【アーキヴム:回答。照会受理。解析開始。】

脳裏に数字と計算が流れ込む。

【結論:各階層に出現する個体は単一の頂点存在。自然発生ではなく、人工構造物の可能性大。】


「人工……か。」

ユウの笑いは苦く、嘲りを帯びる。


「つまり舞台か。階層ごとの舞台演劇……俺はその血を流す役者ってわけだ。」


【アーキヴム:訂正。舞台の確定は不可。確率63%。しかし……上位次元座標からの観測反応検出。神的監視との相関、97%。】


「……やっぱりな。」

息を震わせながら吐き捨てる。

「ずっと見てやがったんだろ……! 俺が這いずり、血を吐く様を、退屈しのぎの見世物にして。」



拳を石壁に叩きつける。



「オモチャ扱いか……! ならいいさ。噛みついて壊すオモチャになってやる!」


しかし肩は落ち、口元の笑みは次第に力を失う。


「……でも、このままじゃ……あいつらの玉座に辿り着く前に終わっちまう。アーキヴム……正直に言え。どうすれば強くなれる……?」


【アーキヴム:回答。複数の経路を検出。分類:肉体強化、魔力拡張、戦闘技術最適化、環境適応。】


「……全部、言え。」


【アーキヴム:一、肉体強化。重力環境下での筋繊維肥大と骨格強化。ブラックホール操作を利用した訓練推奨。効率:人間基準比+32%。】


ユウは口元を歪めて笑う。

「つまり……自分の重力で身体をぶっ壊して、骨に進化を強要するってわけか。」

【アーキヴム:正解。】

「……だろうな。次。」


【アーキヴム:二、魔力循環の拡張。圧縮経路に魔力を強制流入。危険:血管破裂、神経損傷。利益:魔力量増大、オーラ持続強化。】

ユウは血を滲ませた唇で笑う。


「血管を燃やし尽くして……でかい川を流せるようになるまで焼き切る、か。」

【アーキヴム:正解。】

「上等だ。……次は?」


【アーキヴム:三、技能熟練。ブラックホール技術、不安定。極限状況下での繰り返し使用推奨。派生案:重力操作を鍛冶に応用。残骸素材に高魔力伝導性を確認。初の専用武器鍛造の可能性あり。】


その言葉にユウの目が鋭く光る。

「……武器を……鍛えるだと?」


【アーキヴム:肯定。ヌルフィア鉱の破片を検出。特性:消滅耐性、強力な魔力吸収性、重力圧縮に耐える格子安定性。適切な鍛造法により剣の生成可能。】


ユウは血に汚れた指を見つめ、かすかに笑う。

「俺を消しかけた怪物の欠片で剣を……皮肉が効きすぎてるな。でも悪くねぇ。借り物の短剣に祈るよりマシだ。」

【アーキヴム:補足。現状での成功率4%。】


ユウの顔に獰猛な笑みが広がる。

「また4%か……アーキヴム、てめぇ占い機かよ。上等だ。4%あれば十分だ。」


瓦礫を引きずりながら、ユウは奥の暗がりへと歩いた。砕けた床、血の跡、崩れた石柱。だがその中に、紅と白の光をまだ放つ《ヌルフィア》の破片が散らばっていた。


「……こいつらで、俺の剣を作る。」

息は荒く、体はズタボロ。だが瞳だけは猛獣のように光っていた。指で触れると、破片は微かに唸り、手のひらから血を吸い取るように反応した。



【アーキヴム:警告。対象は高濃度魔力残滓を保持。人体に長時間接触すれば危険。】


「危険? ははっ、俺はもう何度も死にかけてんだ。今さら触ったぐらいでどうってことねぇだろ。」


【アーキヴム:解析。ヌルフィア鉱は耐消滅格子を有す。重力圧縮鍛造により武器化の可能性あり。ただし……】

「ただし、成功率は4%だろ?」

【アーキヴム:肯定。】



ユウは破片を積み上げ、洞窟の壁に残る溶岩の裂け目を見た。


そこから漏れる赤い光が、まるで炉の火種のように揺れている。


「……ここが俺の鍛冶場だ。神が舞台を作った? なら俺はここでシナリオをぶっ壊す。」


ユウは地面に膝をつき、両手を床に置いた。掌に小さな重力球を生み出す。


[スキル:ブラックホール ― 重力球]

重力が身体を押し潰し、肋骨が悲鳴を上げる。血が口から噴き出し、石床に赤い花を咲かせた。



「……ぐっ……! やべぇ……これ、笑えねぇな……!」


【アーキヴム:報告。骨格に限界応力到達。筋繊維42%断裂。継続で強制適応可能。】


ユウは地面に額を叩きつけながら笑う。

「……強制適応、か……つまり、壊して再生して、また壊せってことだな。地獄の繰り返しじゃねぇか……!」



肋骨が砕ける音。

背筋が焼けるような痛み。

だがユウは両腕で床を押し上げる。


「一回……二回……十回……! 折れろ、折れて進化しろ……!」

床に散らばる《紅のヌルフィア》の破片が、赤と白の微光を放っていた。

ユウは血まみれの手でその一片を掴み、苦笑を漏らす。


「……ここから始める。あの化け物の残骸で、俺の刃を作る。俺を消そうとした存在の骨を、俺の牙に変えてやる。」


【アーキヴム:解析。ヌルフィア鉱。特性――消滅耐性格子、高魔力吸収性。鍛造適性:存在。しかし条件過酷。成功率:4%。】


ユウは咳き込みながらも嗤う。


「4%……またかよ。お前は占い師か、アーキヴム。……だが十分だ。4%あれば足りる。」


掌に小さなブラックホールを生み出す。


[スキル:ブラックホール ― 重力球]


圧力が身体を押し潰し、肋骨が悲鳴を上げる。ユウは床に叩きつけられ、血を吐きながら歯を食いしばった。


「……ぐっ、はぁっ……これ、笑えねぇぞ……!」


【アーキヴム:報告。骨格負荷120%。筋繊維損壊率47%。継続で強制適応可能。】

「強制適応……つまり、壊して治して、また壊せってことか……!」


両腕が折れる音を響かせながらも、ユウは押し上げる。


「一回……二回……十回……っ、壊れろ……そして進化しろ……!」




五十回目で崩れ落ち、全身が痙攣した。


【アーキヴム:観測。肉体耐久値、微増。適応開始。】

「……っは……当然だ……俺は……星の重さにだって耐える……」


交差座に座り、血管を膨らませながら無理やり魔力を流す。


鼻から血が垂れ、目の血管が破裂して真っ赤に染まる。



【アーキヴム:指令。魔力循環を強制拡張。血管破裂限界まで押し上げろ。効率:魔力量増大+29%。危険:失敗時、即死。】


「……はっ、アーキヴム……言うだけは簡単だな……!」

胸が破裂しそうなほど膨張し、全身が痙攣する。

皮膚が裂け、赤黒い血が滲む。だが《量子治癒》が組織を繋ぎ直す。



「ぐぅっ……っ! まだだ……まだ流せる……!」



空気がねじれ、破片が宙に舞い、渦を描いた。


【アーキヴム:報告。魔力量増加。循環系適応率63%。】


ユウは倒れ込み、笑いと嗚咽を混ぜて声を漏らす。

「63%……か……半分以上なら十分だ……!」

ユウは残骸を両手に抱え、額から血汗を垂らしながら立つ。


「……そろそろ試すか。アーキヴム、鍛造手順を出せ。」


【アーキヴム:回答。ヌルフィア鉱を重力圧縮し、格子構造を変形。補助:魔力加熱。危険:失敗時、爆散。】


「爆散? 顔が吹っ飛ぶかもってか……はっ、上等だ。」


[スキル:ブラックホール ― 重力球]

[スキル:量子圧縮]


破片が悲鳴を上げ、赤白の光をまき散らす。汗が滝のように流れ、腕の血管が裂ける。


【アーキヴム:圧縮安定率24%。】


「……やっぱりすぐには刃にならねぇか。」




次の瞬間――破片は爆ぜ、閃光と共にユウの腕を裂いた。血が飛び散る。



「……爆散一回目だな。記録しとけ、アーキヴム。」

ユウの身体は筋肉が削ぎ落とされた鉄のように硬化し、オーラは黒い霧となって揺らめいていた。


「……短剣じゃ足りねぇ。俺の刃が要る。アーキヴム、最短で完成させる方法は?」


【アーキヴム:回答。重力鍛冶炉を構築。多重ブラックホールを重ね、疑似炉心を生成。内部でヌルフィア鉱を圧縮融合。】

「鍛冶炉……俺の心臓と同じ仕組みってわけか。潰して耐えて、また潰す……シンプルだな。」


四つのブラックホールを召喚する。


[スキル:ブラックホール ― 重力球(×4)]

部屋全体が唸り、石片が渦を巻いて飲み込まれる。破片を核に放り込み、光が悲鳴を上げた。



【アーキヴム:成功率12%。】

「12%……上がったな。十分だ……!」


血と苦痛の果て。

最後の融合で炉心が爆ぜ、眩い閃光が空洞を照らした。



現れたのは――黒き剣。



まだ粗く、不完全。しかし確かに刃だった。


赤と白のルーンが脈動し、獣のように震えていた。

ユウは膝から崩れ落ち、震える手でその柄を掴む。涙混じりの笑い声を漏らす。



「……やっと……俺の剣だ……」

【アーキヴム:報告。未完成の武器を確認。暫定名称:《暁影ダウンライン》。特性:魔力吸収、消滅耐性、適合率64%。】



ユウは血に濡れた顔で笑い、嗤う。



「64%……未完成でも十分だ。これが俺の牙……神ども、覚悟しろ。次は俺が喰らう番だ。」



オーラが嵐のように渦巻き、空洞にその誓いが響いた。

王の間には、重苦しい沈黙が満ちていた。


ただ、壁の向こうに眠る《大いなる光の結晶》の低い鼓動だけが響く――街にとって第二の心臓のように。


アルディウス王は長い大理石の卓の端に腰掛け、冠を頭にではなく両の手に抱いていた。

握り締めた拳は白くなり、深い皺と眠れぬ夜の影がその顔に刻まれている。


そこにあるのは王の顔ではなく――すでに敗北したのではと怯える、一人の男の顔だった。



「……ヴァレリア」

声はかすれ、囁きに近い。


「もし私が外に出て……民に見られたらどうする? この震える手を、この目に宿る重さを……王が恐れていると気づかれたら?」


卓の向こうに立つのは、紅き炎のような髪を鎧に流す司令官ヴァレリア。


腕を組み、鋭い眼差しでありながら、その声は剣よりも柔らかかった。


「――なら、見せて差し上げればよろしいのです」

アルディウスの頭が驚きに上がる。

「恐れることは、恥ではありません」


彼女は一歩踏み出し、静かに告げる。


「恐れを知らぬと言い張る者こそ、無謀なる愚か者。ですが陛下――民がついていくのは、揺るがぬ石のような王だからではない。震えてなお立ち上がる、“人”としての陛下だからです。その姿を、示して差し上げてください。震えながらも、冠を支えるその強さを。」



手の中の太陽金の冠から力が抜けていく。アルディウスは静かに息を吐いた。


「……お前はいつも、真実を突くな、ヴァレリア。」


彼女はわずかに笑みを浮かべた。

「それが私の務めです、陛下。剣を振るうだけでなく……“王であることは石になることではない”と、思い出させることも。」


頷き、立ち上がるアルディウス。



震えは消えぬまま、しかしもはや支配されてはいなかった。

バルコニーの扉が開き、黄金の光が夜気に流れ込む。

冠を戴いた王の姿は高く、だがその一歩一歩には幾夜もの疲労の重さが滲んでいた。


その眼下に広がるのは、民の海。



灯された提灯が街を彩り、喉や手首や額の刻印が淡く光る。

彼らの瞳には恐れが残っていた――「まだ我らは安全なのか」と。



王はしばし沈黙する。手が欄干を強く掴む。


だが次の瞬間、彼のオーラが広がった。

眩しすぎぬ光――しかし確かに“夜明け”の太陽のごとき強さで。


「――ソラリスの民よ!」

その声は大広場を震わせ、マナに乗って一人残らず胸に響く。


「私は偽りで慰めるつもりはない。噂は耳にしていよう。真実も知っているはずだ。荒野の《使徒》が国境を越え、村は血に染まり、家族が泣いた。――皆、思っているだろう。“我らは耐えられるのか”と。」



群衆は息を呑み、静まり返る。


「私は告げよう――耐えられる、と! 壁が絶対だからでも、結晶が揺るがぬからでもない。 理由は一つ。汝らが“ソラリス”だからだ。夜明けの炎を血に宿す者たちだからだ!」


広場に集う人々の刻印が、彼の言葉に応えるように淡く光り始める。


「私は見てきた。干ばつに耐える農夫を。素手で硝子を形作る職人を。歌で夜を屈服させる歌姫を。そして――隣人のために血を流す兵を。これが我らだ。これこそソラリスだ! 私が息をする限り、汝らを護ろう。汝らと共に息づく限り、ソラリスは決して滅びぬ!」


群衆の間に波紋のように広がる安堵の声、嗚咽、そして歓声。

王の声はさらに高まり、オーラは重く熱く、人々の背筋を自然と伸ばさせる。


「我らは独りではない! 我が傍らには“槍”がある――この国最強の刃たちが! 背には女神の加護を繋ぐ神官たちが! そして目前には――何よりも強い、どんな闇よりも眩い、“我が民”がいる!」



歓声が爆発する。涙が光を帯び、笑顔が夜に咲く。 だが王が手を挙げると、すぐに静寂が訪れた。 その瞳は優しく、静かに告げる。



「言葉だけでは恐れを癒せぬことも知っている。傷跡は消えぬ。だから今宵は約束ではなく、“光”を捧げよう。戦の象徴ではなく、調和の象徴を。 心を癒すために――そして、我らを繋ぐ“歌”を思い出すために。」


その瞬間、


鐘楼が重く鳴り響いた。


祭壇の下で、司祭と巫女たちが杖を掲げる。


マナが迸り、天上の音楽が広場を包む。

ただの音ではない。


黄金の光が夜空を泳ぎ、星座のような文様を編み出していく。 古より伝わる聖歌が響き渡る。旋律は心を撫で、闇を溶かし、悲嘆をほどく。


拳を固めていた男たちは隣人の手を取り、子供たちは笑い、光のリボンに戯れる。女たちは涙を流し、それは絶望ではなく解放の涙だった。



ソラリスの広場は、生きた星空となる。



人々の身体に刻まれた紋様が共鳴し、一つの鼓動のように街を輝かせる。



アルディウスは高みに立ち、ただ見守った。

言葉はもう不要だった。人々は再び輝いていたのだから。



聖歌が最高潮に達したとき、ヴァレリアが小声で囁いた。



「……ご覧になりましたか? 陛下。民は信じております。恐れを知らぬからではない。恐れながらも立つ王だからこそ。」


アルディウスの唇に、誇りに満ちた小さな笑みが浮かぶ。



「――ああ。今宵、ソラリスは再び息を吹き返した。」

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