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第7章【深淵が蠢く】

第11階層:


九十日。


九十日、骨を砕き、癒し、また砕き続けた。


九十日、魔物を斬り倒し、その死骸を足場にして進み続けた。


今のユウの身体は、この世界に迷い込んだときの頼りない躯ではない。重力に彫り上げられた筋肉。恐怖だけだった瞳には、刃のように研がれた光が宿っている。纏う気配は濃く、魔力も膨れ上がっていた。


拳を握ると、血管の中を魔力が奔る。


「……くそ。ジムを丸呑みしたみたいな見た目だな。痛みってのは家賃を払うもんだってことか。親父、喜ぶだろ。勉強してる間もジム行けってうるさかったし」


父の言葉を思い出し、ふっと笑みが温かく浮かぶ。


『息子よ、頭だけじゃ女は守れん。身体を作れ。ほら、俺の筋肉を見ろ』



「……あの人、ずっと自分の身体に誇り持ってたからな」


階段が一歩ごとに軋む。


第11階層が待ち受けている。


冷たい。湿った空気。目の前には浅く光る水を湛えた巨大な洞窟が広がっていた。


無数の生き物の気配が響く――カサカサ、ギャアギャア、シューシューという音。


闇から溢れ出す。半透明の肉を持つ狼型。脚が多すぎる這いずる者。割れた笛のような悲鳴を上げる翼付きのヒル。


「……わぁ。随分な観客だ。オレ、人気じゃん」


[コーデックス:敵性反応213体を検知。重力バーストで周辺を間引くことを推奨]


「二百越え?光栄だね。よし、オーケストラ――開演だ」


[スキル起動:ブラックホール――オーブ・グラヴ]


圧縮された球が咲き、魔物どもをゴミのように渦へと引きずり込む。肉は捩じれ、悲鳴は潰れ、やがて静寂。


だが、静寂は長くは続かない。さらに群れが押し寄せる。


ユウのダガーが閃き、足は舞い、呼吸は乱れない。爪が胸を掠める――量子治癒が即座に塞ぐ。身を屈め、回転し、重力で狼の頭蓋を石床に叩き割る。


「前より痛ぇじゃん」血に笑みを浮かべ、ユウが呟く。「いいね。オレも強くなってる」


その時、水面が揺れた。


ゆっくり。重く。異様に。


巨体が立ち上がる――肢体は蠢く触手で形作られ、その一本一本に幾何学の発光紋が刻まれている。中心には青い炎のように燃える巨大な眼。放たれる圧だけで海の底に沈められるようだ。


[コーデックス:警告。魔力密度はB級閾値を超過。推定ランク:高位B。対象分類:“深淵のルーン・タイラント”]


「……ルーン・タイラントね。名前はカッコいいけど、顔は最悪」


眼孔が開く。水が震える。


[敵スキル:アビサル・サージ]


水が百本の刃と化し、下から突き上がる。


「ちっ――安っぽい手品!」


[ブラックホール――マイクロ・グラヴ]


足元の重力を潰して錨にする。水槍が暴発する中、一本が太腿を裂き――即座に修復。頬も浅く掠める。


広すぎる。全部は避けられない……考えろ。圧のベクトル、崩壊の軌道……!


「コーデックス、選択肢!」


[次詠唱までの遅延:3.7秒。左弧下に盲点。成功確率:43%]


「43?それじゃ赤点だ。博打打つか!」


ユウは駆け、槍の雨を縫う。左の弧の下へと潜り込み、ダガーが閃く。鋼がルーンの肉を噛み、火花が水を焼く。タイラントが甲高く、濡れた洞窟を震わせる悲鳴を上げた。


触手が鞭のように奔る。


[敵スキル:アビサル・バインド]


光る肢が腰と腕を絡め取り、ありえない圧力で締め上げる。骨が悲鳴を上げる。


「くそっ――!肋骨が――!」


[コーデックス:提案――局所重力を外向きに増幅。自身の締め付けベクトルを崩壊させよ]


「……つまり――自分の力で自分を潰させるってことか。リスキーだけど――やる!」


[スキル起動:ブラックホール――グラヴ・インプロード]


ユウの身体から重力が爆ぜる。触手の締め付けはさらに強まり――限界を超えて弾け飛ぶ。黒い体液が飛沫を上げた。


ユウは膝をつき、荒く息を吐く。

「……気持ち悪ぃ。けど効く」


タイラントがのけぞる。眼はさらに燃え、紋は脈打ち、輝度を増す。


[コーデックス:敵、広域魔力放出を準備中。致死半径約40メートル。離脱は不可能]


「……最高。つまりオレはカラマリの唐揚げか。なんか案ある?」


[コーデックス:対抗スキルの創造を推奨。魔力周波数の干渉。提案:“レゾナンス・ブレイク”]


「干渉ね。物理の基本――波は波で打ち消す。よし――」


[スキル創造:レゾナンス・ブレイク Lv.1]

来襲する魔力波に対し、対位相振動を生成して撹乱する。


タイラントが核を解き放つ。


[敵スキル:アビサル・ハウル]


洞窟が震え、水は暴力的な衝撃波へと砕け散る。


「今日は却下だ!」


[スキル起動:レゾナンス・ブレイク]


ユウのオーラから対周波が悲鳴のように放たれる。衝撃波はぶつかり、せめぎ合い、砕け散る。洞窟は割れた玻璃のように鳴動した。


タイラントはのたうち、紋が明滅する。


ユウは血の間から笑みを見せる。

「へっ。科学、イカ魔術に勝利」


彼は躍り込み、重力で光るダガーを構える。


[スキル起動:ブラックホール――コラプス・フィスト]


拳が中心の眼を撃ち抜く。ルーンの光は砕け、黒い体液が洞窟一面に弾けた。


巨体が痙攣し、紋は翳む。水面を割って轟音とともに崩れ落ちた。


[魔物討伐]

[スキル獲得:アビサル・ハウル]


ユウはふらつき、胸を上下させ、全身の筋肉が悲鳴を上げる。顎から血が滴る。


「……はぁ……アンコールはそれかよ」唾を吐き捨てる。「悪くないぜ、カラマリ。けど立ってるのはオレだ」


[コーデックス:即興戦術の効率:62%。生存確率が上昇。スキル『レゾナンス・ブレイク』を兵装に追加]


ユウは弱く笑った。「はは……ホント、この喋るチートがいなきゃ死んでた。サンキュ、コーデックス」


[……訂正。私を作ったのはあなたです。あなたの思考は確率を超えて適応する。私は計算するだけ]


ユウは暗い水面を見つめ、荒い息を整える。そして、口元を吊り上げた。


「だったら、その確率、これからもぶっ壊していこう。フロアごとにな」


洞窟は再び静まる。だが、ダンジョンは耳を澄ませている。見ている。待っている。



第12階層:大聖堂図書館



階段はユウを吐き出した。そこは、これまで見たどんな光景とも違っていた。


大聖堂が天へと果てしなく伸び、壁は無数の本棚で彫り上げられ、天井には墨のように黒い星座が描かれている。シャンデリアからは蝋が滴り、肉で綴られた書物の表紙に落ちていた。歩みを進めるたび、その音は讃美歌のように響く。


そして中央に鎮座するのは、玉座すら矮小に思える巨大な講壇。


[コーデックス] 魔力飽和:極限。警告――概念的危険を確認。この階層は石ではない。経典そのものだ。


ユウは低く口笛を吹いた。

「……ついに来たか。地獄図書館ってやつだな。ありがとな、ダンジョン」


静寂を破ったのは――気品を帯びた、滑らかで貴族のような声だった。


「ほう……招かれざる放浪者が聖なる書架を汚すか」


姿を現したのは、重力さえ従えるかのように滑るように歩む存在。真紅に染まったビロードの法衣。肩からは薔薇が咲き、茨は刃のように輝く。顔の代わりに戴くのは――数え切れぬ牙の三日月の笑み。手には心臓のように脈打つ書を抱えていた。


「見よ」彼は優雅に一礼する。「我は“高貴なる司書”。禁断の頁を管理し、抹消の言葉を守護する者。そなたは脆き侵入者――すぐに線を引かれ消される注釈に過ぎぬ」


ユウは顔を歪めた。

「注釈?いや、てめぇの死亡記事を書いてやる作者だ」


司書は優美に笑った。

「反抗を震える墨で刻むか……良い。だが勘違いするな。才知と知恵は別物だ。少年よ、そなたは文――短く、拙く、すぐに忘れ去られる。我こそが書物だ」


彼が書を掲げる。頁が羽ばたくように揺れ、鋭く光を放つ。


[敵スキル:クリムゾン・フォリオ・スウォーム]

頁が離脱し、鋼をも断つ分子単位の刃となって襲いかかる。


嵐のような刃が吹き荒れる。


[コーデックス] 接近する連撃。提案:重力圧縮。


「了解!」

ユウは手を突き出す。


[スキル発動:ブラックホール――オーブ・グラヴ]

特異点が生まれ、紙の群れを吸い込み、塵へと潰した。


司書は上品に拍手を送る。

「愛らしい。重力の戯れ――粗野だが有効だ。だが問おう、墨が尽きる前に、あと何度書ける?」


書を閉じる音。赤い符文が大聖堂の床に流れ出し、血の鎖が噴き出す。


[敵スキル:バインディング・スクリプト]

血の墨が対象を絡め、四肢を封じ、魔力の経路を焼き尽くす。


鎖はユウの手首に巻きつき、腕を焼き、全身を蝕む。悲鳴が迸る。


「ふむ……その震える血管が証拠だ。消されるとはこういうことだ。力も意志も記憶すらも――抹消される」


[コーデックス] 対処法:魔力周波数の撹乱。


「任せろ!」ユウのオーラが脈動する。


[スキル発動:レゾナンス・ブレイク Lv.3]

血墨の鎖は粉々に砕け、光の塵となる。


歯を食いしばりながらユウは笑った。

「悪いな。オレ、糸は苦手なんだ」


司書の笑みはさらに広がる。

「素晴らしい……痛みをもっと叫べ。その声が終焉をより甘美にする」


――ユウの胸中。


コイツは爪じゃなく、概念そのものを斬ってる。もし本に書き換えられたら終わりだ。……符文を奪えば逆に乗っ取れる。危険だが賭ける価値はある。


[コーデックス] 訂正:奪取の成功確率――32%。躊躇すれば――0%。


「……へっ。司書から盗作かよ」


司書が空に符を描く。


[敵スキル:クリムゾン・ヴァース]

燃え上がる符文柱が現実そのものを焼き尽くす。


ユウは飛び込み、完成する前に符を切り裂いた。


[スキル発動:エコー・スナッチ]

[スキル奪取:ブラッド・シジル]

魔力の流れをわずかに操作可能。


司書は呻き、だが直ぐに笑いを取り戻す。

「我が詩を盗むか?大胆なことだ。だが盗賊の末路を図書館で知っているか?」


ユウは血に濡れた口元で笑った。

「お前が俺の痛みを楽しんでた時、ちゃっかり魔力をいただいてたんだよ」


司書が書を叩きつける。


[敵スキル:クリムゾン・カタクリズム]

書架すべてが燃え上がり、連鎖する爆炎で大聖堂を灰に変える。


ユウの目が見開かれる。

「フィールドごと爆破!?スピードラン放火かよ!」


[コーデックス] 対抗手順:コラプス・コア+レゾナンス・オーバーレイ+ブラッド・シジル転送。生存率49%。


「ゼロよりマシだ!やるしかねぇ!」


[スキル発動:ブラックホール――コラプス・コア]

[スキル発動:レゾナンス・ブレイク Lv.3]

[スキル発動:ブラッド・シジル]


炎は歪み、特異点に吸い込まれ、静寂の虚無と化す。


ユウは血を吐き、咳き込みながら立ち続けた。

「……まだ立ってるぜ。どうだ、“付録”の気分は」


司書の笑みが一瞬、震える。

「面白い……だが喜劇は悲劇に追いつけぬ」


二人は激突する。ダガーと書の衝突が書架を揺らし、シャンデリアを震わせる。


戦いの合間、司書はなおも気品を崩さない声で語る。

「気付いたか、子よ?知識は力、力とは支配。ここで読む頁も、盗む符文も――すべて我が所有物。反抗すら我が物語の一部」


ユウはかすれ笑いを上げた。

「なら俺は――お前の完璧な結末をぶち壊す誤植だ」


雄叫びと共に、彼はダガーを司書の脈打つ書へと突き立てた。


怪物は息を呑み、声はなお優雅に震える。

「不遜……無様な筆跡……だが……力とは……そういう……ものか……」


書が砕け、司書は薔薇と墨へと崩れ落ちる。


[魔物討伐]

[スキル獲得:ブラッド・スクリプト Lv.1]

[スキル進化:レゾナンス・ブレイク Lv.4]

[スキル進化:ブラックホール(オーブ・グラヴ)Lv.3]


[コーデックス] 同化完了。拡張中――


その声は深みを増し、幾重にも重なる図書館の残響となる。

「我はもはやコーデックスにあらず。我は“アーキヴム”――永遠の書庫。禁断の書を喰らい、すべての詩を記録する。汝の心から、一頁も失われぬ」


ユウは顎の血を拭い、呻く。

「……今度は気取った図書館の亡霊が頭の中かよ……最高だな」


アーキヴム:訂正。汝は言葉の盗人ではない。汝は編集者。消し、書き換え、定義する者。


ユウは不敵に笑う。

「いいじゃねぇか。じゃあ――神のクソ本を書き直そうぜ」




第13階層:天空の深淵




階段は途切れ、石の床はなく、ユウの足は荒れ果てた断崖の岩肌を踏んだ。

世界は嵐の深淵へと開ける。雷鳴に裂かれ続けた山々。亀裂を這う蒼い稲妻の河。

空気は重く、肌にのしかかる圧。


沈黙を破ったのは――低く、金属質で、共鳴する咆哮。


嵐そのものから翼が広がる。降臨したのは巨鳥のごとき竜。羽は雷光を纏い、岩柱に舞い降りると、その爪が石を砕いた。質量によるものではなく、放たれる覇圧に屈して大地が割れるのだ。


[アーキヴム:対象確認――“ストームウィング・ソヴリン”。ランク:A]

[魔力量出力:490万単位。分類:高位頂点捕食者]


ユウの息が詰まる。

……オルカー以上だ。圧気だけで筋繊維が裂ける……。


ソヴリンが絶叫した。音が凝縮し、目に見える衝撃波となって断崖を吹き飛ばす。


[敵スキル検知:テンペスト・クライ]

[アーキヴム:広域振動打撃。被害半径200m。回避不能。対処必須]


「逃げられねぇ……なら、一択だ」


虚無を呼び出す。

[スキル発動:ブラックホール――オーブ・グラヴ]

波動は闇へと呑まれ、圧力は崩壊し塵へ散る。反動が骨を揺らし、唇から血が滲む。


竜は首を傾けた。声は低く、ノイズを纏った言葉。

「……重力……肉体に宿すだと……不可能……貴様、何者だ」


ユウは口元を拭い、吐き捨てる。

「今日ここで、お前に終わりをくれてやる者だ」


ソヴリンの姿が掻き消え、峡谷が裂ける。


[敵スキル検知:サンダーフォール・タロンズ]

[アーキヴム:接触=原子崩壊。被弾時生存確率:0%]


ユウの瞳孔が縮む。――なら、当たらなきゃいい。

電撃の爪が天より落ちる。


[スキル発動:マグネティック・リバーサル]

極性が歪み、稲妻は逸れ、遠方の断崖を爆砕。石を硝子の河へと変える。

逸らした衝撃の熱だけで腕が焼け焦げ、痛みが突き刺さる。歯を食いしばり、脚を踏みとどめる。……一度でも誤れば灰だ。


――連撃。


ソヴリンの胸が脈動する。羽が次々に輝き、嵐が轟く。


[敵スキル検知:ストーム・バラージ]

[アーキヴム:プラズマ弾48発。追尾方式=魔力共鳴]


「……連発かよ!少しは休ませろ!」


空が稲妻の槍で埋まる。


[アーキヴム:お前の魔力反応が錨だ。拡散しろ]


ユウは息を呑む。魔力を散らす……信号を分裂させるように……歪みで砕く!


[スキル創造:ブラックホール――ディストート・フィールド]

空間が歪み、魔力信号は分裂。半数の弾は逸れ、峡谷を爆砕。残りはなお迫る。


身を翻し、転がり、二発が脇腹を裂いた。肉が焼け、血が舞う。

「ぐっ……!」膝をつき――即座に立ち上がる。


[スキル発動:量子治癒]

皮膚は塞がれ、骨は繋がる。痛みは残れど、彼は立つ。


「アーキヴム、弱点を」

「アーキヴム:72%のプラズマ出力は主翼の羽根に依存。それを削げば火力低下」


ユウの眼が鋭く細まる。――なら、翼を削ぐ。


重力を折り畳み、脚を弾丸の如く跳ね上げる。刃がソヴリンの翼を裂き、羽三枚が落ちる。落下と共に光の火花を散らして。


嵐が乱れ、咆哮が轟く。

「……我が飛翔を汚すか……風すら貴様を忘れるまで、肉を砕き尽くす」


ソヴリンが急降下。爪を広げ、覇圧が石を粉に変える。


[アーキヴム:魔力量残存89%。三連携スキルでの勝率34%]


ユウの胸が静かに上下する。

「34%……十分だ。地獄の修練は伊達じゃねぇ」


跳躍。


[スキル発動:レゾナンス・ブレイク Lv.4]

[スキル発動:マグネティック・リバーサル]

[スキル発動:ブラックホール――コラプス・コア]


特異点が収束し、雷が己を呑む。共鳴が砕け、衝撃波が奔る。融合の刃がソヴリンの胸を抉った。


一瞬、嵐鳥は凍りつき――羽は火花となり崩壊。やがて巨体は谷へ墜ち、蒼炎のクレーターを刻む。


――静寂。


[魔物討伐:“ストームウィング・ソヴリン”]

[スキル断片獲得:テンペスト・クライ]

[スキル断片獲得:ストーム・バラージ]

[スキル創造:マグネティック・リバーサル]

[魔力量上限+17%]


ユウはよろめき、オーラが目に見えるほど濃く溢れ出す。

「……階層を下りるごとに……こんな怪物が待ってやがる……」声は低く、震え、しかし揺るがない。


「アーキヴム:訂正。待つのではない。淘汰しているのだ。この世界は、生き残りを炎で鍛える。ユウ、お前は鍛え上げられている」


ユウは深淵を見下ろし、呟く。

「なら、鋼だけが残るまで燃え尽きてやる」


遠く、崖の彼方で階段が脈動する。

彼はそこへ歩み出した。




第14階層:沈黙の千手




階段が開けた先に広がっていたのは――静寂だった。

安らぎの静けさではない。祈りがすべて枯れ果てた教会に踏み入ったような、息の詰まる静寂だ。


黒い柱が高くそびえ、壁面には紫に光る符が刻まれている。中央に、足を組んで座る怪物が浮かんでいた。

影に包まれた身体は高く浮き、顔は蠢く黒い混沌の魔力に呑み込まれている。背中から伸びる無数の腕はぴくりと震え、爪が覗き、一本一本が紫の輪で縛られていた。その瞳――ではなく、二条の赤い裂け目のような光が、ユウの足が床に触れた瞬間に彼を射抜いた。

礼拝堂が軋む。符文が脈打つ。


[アーキヴム:対象識別――名称未確定。仮称:サウザンドハンド・レイス。ランク:A]

[魔力量出力:560万単位。特性:呪詛構築、全方向制御]


ユウの唇が開く。息が震えた。

「……獣じゃねぇ。地獄の司祭みてぇだ」


怪物が片手を上げる。空中に円環の紋が拡がった。

[敵スキル検知:ヘックス・バインド]


[アーキヴム:結縛呪。物理ではない。宿主の魔力循環を攪乱、命中時はオーラ流通麻痺を保証]


「最悪だ」ユウは呟き、手をぐっと握る。

「触れもしねぇのにグラップラーかよ」


紋が弾けた。紫の鎖が床を這い、走る。


[スキル発動:ブラックホール――オーブ・グラヴ]

鎖は曲げられ、歪められ、彼の重力井戸へ吸い込まれた。だが全部ではない。二本が胸を縛り、筋肉が固まる。オーラの流れが止まる。

ユウは片膝をつく。「くそ――魔力の流れがロックされる。治癒が通らねぇ…!」


[アーキヴム:緊急対処法――量子治癒で流れを反転、呪縛のラッチ点を撹乱せよ]


歯を噛み締め、ユウは技を押し込む。


[スキル発動:量子治癒]


激しい電流のような衝撃が静脈を逆流する。鎖が割れ、灰へと崩れ落ちた。胸が荒く上下する。

「……はぁ…今のはマジで焼かれるかと思った」


レイスは顔なき頭を傾け、重なり合う囁きのような声で言う。

「重力の子よ。汝は呪詛の間に踏み入った。歩むたびに肉は腐り、呼吸のひとつひとつが我がものとなる」


十の手が上がる。十の紋が花開いた。

[アーキヴム:検出――同時詠唱。呪詛格子形成中。推定結果:オーラ内面崩壊]


ユウの目が見開かれる。

「十個いっぺん!?一つでも当たれば終わりだ。だが同時に詠唱するってことは――集中が分散されるってことか」


彼は突っ走った。紫の焔の波を避けつつ、重力強化の脚が身体をぶれさせる。爪が振るわれ――彼は屈み、滑り、刃が石を弾く。

[スキル発動:ブラックホール――ディストート・フィールド]

呪詛は逸れ、紋は割れた硝子のように散る。

刃を一腕に叩き込む。黒い膿が噴き出し、怪物が悲鳴を上げた。


だが別の腕が空中で彼を捕らえ、柱へ叩きつける。石が砕け散る。

「ぐっ—!!」肋が折れるような音がした。


[スキル発動:量子治癒]

骨は繋がり、痛みは鈍る。顔は血に濡れながら、ユウはよろめいて立ち上がる。


「アーキヴム、弱点、今だ」

「アーキヴム:各腕は独立した魔力核を内包。腕を切断し並列詠唱能力を低下させよ。推定:腕12本切断で完全不安定化」


「十二本……か。いいだろ、一本ずつもぎ取ってやる」


握りを強める。オーラが周囲に溢れ、濃く、煙のように渦巻く。


レイスが吠え、同時に数十の呪詛を放つ。

[敵スキル検知:アビサル・クワイア]


[アーキヴム:重層化された忌呪。効果――認知の腐敗、狂気誘導。対処法:アイアン・ウィル]


千の囁きがユウの脳裏を引っ掻く。「声が……頭の中が……」


アーキヴムは拒絶モード入力を促す。

「核心目的に集中せよ」


ユウは歯を食いしばる。

「聞きに来たんじゃねぇ。殺しに来たんだ」


[スキル発動:アイアン・ウィル Lv.3]

声は遠ざかり、視界がクリアになる。彼は飛び込んだ。刃を振るい、腕がひとつ、またひとつと落ちる。

斬るたびに皮膚が反動で焼かれ、呪いが神経を切り裂く。しかし彼は止まらない。

「八本……九本……来い!」


レイスは悲鳴を上げ、紫の血が礼拝堂に噴き散る。


残る多数の腕が寄り合い、ひとつの巨大な紋を編み上げる。

[アーキヴム:壊滅的呪詛検出。効果――オーラ体の消滅。被弾時生存確率:0%]


ユウの呼吸は乱れる。

「なら、当たらねぇだけだ」


彼はすべてを圧縮した――重力、歪み、共鳴を一点に凝縮する。


[スキル発動:ブラックホール――コラプス・コア]


紋はまるで無に引きずり込まれるように砕け散った。反動がユウの肉を引き裂く。腕は骨が見えるほど裂けた。だが同時に――彼の刃がレイスの首を断ち切った。

静寂。腕は糸の切れた操り人形のように崩れ落ちる。


アーキヴム通知

[魔物討伐:サウザンドハンド・レイス]

[スキル断片獲得:ヘックス・バインド]

[スキル断片獲得:アビサル・クワイア]

[コーデックスアップグレード:呪詛構造解析解除]

[魔力量上限+22%]


ユウはよろめき、胸を荒く鳴らす。オーラは嵐のように煮えたぎっている。体は戦闘と痛みでまた造り直された。

「……この階層は……ただの獣じゃねぇ。司祭だ。処刑人だ。そっか、気づいたぜ。どの階にも強い奴がいる。弱い群れなんて見つからねぇのは、最強のやつらが食らってるからか?このダンジョン、やっぱ謎だらけだな」


「アーキヴム:訂正。彼らは裁定者だ。汝の存在価値を試す。だが汝は耐えた。このダンジョンは百層あり、各層に一体の強敵がいる。弱小群は稀だ。彼らは強者の食糧であり、ボスはさらに強大だ。やがて神格に近い獣と対峙する可能性がある。汝はまだ準備が整っていない」


ユウは暗い刃を再び握りしめ、下の階段を睨みつける。オーラが暗闇で炎のように滲んだ。

「わかってる。でも気にしねぇ。何度でも耐えてやる。どれだけ道が厳しくても、家族を取り戻すまでは、神をも斬るつもりで行く」

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