3-8
チュンチュン…
朝日が眩しい。
昨晩は窓を閉め忘れて寝てしまい、夜中にかなりの雨が降ったのだろう。
窓のカーテンがずぶ濡れ、床には水溜りができていた。
はぁ……やらかしてしまった…。
髪をかき上げ、ため息をついた。
これはヒスイに怒られるやつ……。いや、城に来てからは怒られてないか。
「……なんか、このままじゃダメな気がする」
ポツリと呟いた。
恐らく、父様が根回ししているのだろう。
時々、ユキ、ハル、アキの誰かがわざわざ城まで来て話し相手をしてくれている。
多分、三人でシフト組んでる。
北エリアのハルは一番城まで遠いし。
そこまで迷惑をかけたい訳じゃないし…。
コンコン。
「どうぞー」
ガチャリ。
入ってきたヒスイは、室内の水溜りを見た瞬間、顔を引きつらせた。
「起きてたようで……って!窓!お前まさか……」
慌てるヒスイを横目にノアが聞いた。
「ねぇ、俺どうしたらいい?ハル達にこれ以上負担かけたくないんだけど」
「はぁ……床、汚ったねぇなぁ……。普通気づくだろうがっ!」
「負担かけすぎて疲れさせちゃったら嫌じゃん?
アキは近いからまだマシかもだけどさ、ハルは一番遠いからさ…女の子に無理させるの心配じゃん?」
マジでコイツ人の話聞かねぇな……!クソが!
と、言いたい言葉を飲み込んだ。
濡れた床を見ながら、やれやれと頭を掻くしかない。
「……そうだなぁ。国王様から直々に、三人頼まれてるからな。
国王様としっかり話してくる事じゃん?これはお前以外無理だろ」
「だよねー……。やだなー怖いなー……」
思い返しても、いつも“今は忙しい“以外の返事を貰った記憶が無い。
廊下でいくら待っていても、部屋から出てくる事も無かったから、そのうち行くのをやめた。
「いつまでもジメジメしてんなよ。鬱陶しい。
恐らく、今は仕事で執務室にいるはずだよ。
腹括ってさっさと行ってこいよ。文句も全部言ってきな」
ヒスイは着替えをノアに投げつけた。
とぼとぼと一人歩くここの廊下だけは、同じ建物なのに異常に冷たい。
執務室の前に着いた瞬間、ノアは足を止めた。
扉は重く、まるで巨大な壁のようにそそり立っている。
幼少期、中に入った事もない、いくら待っても開かなかったあの扉だ。
手を伸ばそうと思っても、動けない。
扉の前、衛兵の視線がじわじわ刺さる。
「……殿下?どうぞ」
促されても、腕が上がらない。
「ノック、しましょうか?」
「いや、いい。自分でやるよ」
ノアは深呼吸をして、ノックをした。
静かな廊下に音が響く。
「入れ」
その声と共に、重い扉が開く。
執務室の奥では、国王が山積みの書類に目を通していた。
「急用か?」
落ち着いた声が飛ぶ。
視線だけを上げ、入ってきた人物を確認した。
「ノエル……」
一瞬、驚いた表情をしつつもまた国王の顔に戻っていた。
「皆、下がれ。しばらく…誰も近づけるな」
国王の低い声が静かに響く。
文官たちは驚いたように一瞬動きを止めたが、すぐに頭を下げて退出していく。
静かな室内に残されたのは、国王とノアだけ。
「さて。ノエル、座るといい」
「……廊下じゃなくて良かったよ」
ノアは嫌味っぽく言い、大きなソファに腰を下ろした。
飾りの刺繍が多く、座り心地はあまり良くない。
しばらくの沈黙の後、国王が先に口を開いた。
「…何か言いたくて来たんじゃないのか?」
「………まぁ、そうだけど…。
ハル達に余計な負担かけたくないし、無理に来させないでほしい」
ノアは靴を脱ぎ、ソファで膝を抱えながらつぶやいた。
「そうか…分かった。ちょっとシルヴィア呼んでいいか?
色々話したいだろうから」
「え?」
ノアは顔を上げた。
国王は電話をかけ、すぐに切った。
そして、ノアの近くまで歩いた。
「あの時、俺は国の立て直しに追われていて……お前が一人でいることに気付いても……目を背けていた。
今思うと、間違っていたと分かるけどな。
許せとは言わないが、これからはもう……目を背けることはしない」
ノアは抱えた膝に顔を伏せる。
「ふーん……」
パタパタと廊下を駆ける足音が聞こえてきた。
扉が開き、シルヴィアが息を切らしながら飛び込んできた。
入ってくるなり、いきなりノアを抱きしめた。
「ちょっ…!」
「私ね…弱い姿を見せられなくて、正面からあなたを見れなかったの。
本当はそんなこと、どうでも良かったのに。
ごめんなさい……」
父はそっと扉を閉めた。
「まぁ、そういうことだ。決してお前が邪魔だった訳ではない。
大事な世継ぎだからな」
「……別に。謝って欲しかった訳じゃないし。
それに俺、継ぐ気無いよ?落ち着いたら籍抜く予定だもん。
こんな堅っ苦しい生活なんて無理」
ノアは目元を拭ってそっぽを向いた。
「ノエル…お前、そんな事言うなよ…」
国王の肩が明らかにしょんぼりした。
「だって父様も母様も大変でしょ。
家庭より国とメンツ優先じゃん。
俺はエリックさんのところで普通の生活見て過ごしてたの。
家庭菜園とか、森で遊んだり……ああいう家がいい」
「………」
父も母も黙ってしまい、何か言葉を探している様だった。
「ルカでいいんじゃない?
今、必死に勉強してるんでしょ?ルカはここに嫌な思い出無さそうだし。
俺は……嫌な思い出しかない」
ノアは畳み掛けるように言い放った。
国王は苦そうな顔をして、とっさに話題をそらした。
「と、とりあえずだな、この話は保留にしよう。
それと……もうじき十六だろう。もう成人だ。
“父様、母様”呼びは……少し幼いな。
“父上、母上”がいい。
うっかり正式の場で言ったら恥ずかしいぞ」




