3-7
訓練場の入り口から、背の高い茶髪の青年が、無駄のない動きで静かに入ってきた。
ヒスイだった。
彼はその場で まっすぐ立ったまま深く一礼し、落ち着いた声で告げる。
「……お迎えに上がりました。
……様子を見に参りましたが、随分と賑やかですね」
ヒスイの視線の先にはーー
スティアとルカ、ローランの護衛騎士、訓練を切り上げて野次馬になっている騎士、さらには噂を聞いて覗きに来た新人騎士たち。
訓練場は、もうほぼ満員。
ノアはヒスイを見て、眉間に皺を寄せている。
「……こんなに人いたんだ」
ユキはちょっと恥ずかしくなった。
「お兄様の剣、初めて見ましたわ!騎士団にいらっしゃるのは本当なのですね!」
スティアが純粋な目で言う。
「二人共すっごかった!」
ルカは尊敬のまなざしを向ける。
「ここに来てから、ノエルが外に出た事が珍しいからね。みんな観に来るって。
やっぱりユキ連れてきてよかったー」
ローランは満足そうな顔をして言った。
コホン。ヒスイは軽く咳払いし
「お食事の準備が整っております。
では、食事室へご案内致します。どうぞこちらへ……」
初めて“従者モード”のヒスイを見たユキは、全身にぞわっと鳥肌が立った。
「……ちゃんと出来るんだ……」
チッ
わりとはっきりした舌打ちが聞こえた。
王家専用の小さな食事室。
長いテーブルの中央に温かい料理が並び、控える侍女と料理係が静かに待機している。
ノアとユキ、そして当然のようにあとをついてきたローラン、スティア、ルカの五人。
「……なんで付いてくんの?」
ノアは癖で、自分で椅子を引いて座った。
「だってお腹すいたし。一緒に食べよ?折角なんだしいいじゃん」
ローランは悪びれもせず、侍女に引かれた椅子へ当然のように腰掛けた。
スティアは緊張して、そわそわと落ち着かない様子のまま、ノアをじっと見つめている。
兄とこんな近さで話すのは、ほとんど初めてだから。
「……スティア、そんなに見る?」
ノアは気まずそうに目をそらした。
「あらっ……ごめんなさい。
お兄様の素敵な所を諦めずにちゃんと探さなきゃ、と思いましたの。
あ、でも椅子はご自分で引かないでくださいませ」
声は小さく、でも嬉しそう。
「………そうですか…」
ノアはテーブルに肘をつき、並んだ食器をなんとなく眺めながらぼそっと返した。
ルカは黙って会話を聞き、ニコニコと満面の笑みである。
フォローに入る気は無さそうだ。
ユキも席につき、周りを見回した。
「……なんか、俺、場違いじゃない?大丈夫?」
と、ノアに小声で聞いた。
「大丈夫……俺だけじゃ無理だし」
ヒスイが侍女たちを一度外へ下がらせ、扉を閉める。
椅子に座り、脚を組むと、閉めていた上着のボタンを外した。
「冷める前にさっさと食っとけよ」
「ちゃんとしてるとキモいんだよなー…まじで」
ノアがパンを齧りながらハッキリと言った。
「だろ?俺も気持ち悪ぃ。
“六年前に死んだと思ってた王子が生きて帰ってきた”ってんで、注目されてるからな。
右大臣が“従者らしく振る舞え”って煩いんだよ。
お陰様で今、色々叩き込まれてんだわ。
勉強なんて何年ぶりだよって感じ。
だからお前もちゃんとしてくれよ」
「……めんどくさいなぁー。俺は一般家庭の生活が好きなんですー」
喋りながら食事を進めていると、廊下から言い争うような声が聞こえてきた。
ヒスイが扉を少し開けて覗くと、第一王子レイと第四王子イチハの姿があった。
「兄様はノエルのこと、許容するの!? あんなに嫌ってたのに!
俺は今でも嫌いだよ、アイツ!
人間のくせに調子に乗りすぎじゃないか。
ただ帰ってきただけなのに、お父様からも特別扱いされてさ!」
イチハが怒鳴り散らしていた。
「落ち着けよ、イチハ。
あの時は確かにムカついて嫌いだったけど、今はそこまで嫌う理由もないだろう」
レイがなだめるように言った。
「兄様は氷だし、そりゃあ強くてカッコいいし綺麗だし!
俺は風で、なんも面白くも何ともない!
見た目だってブッサイクになってればまだマシだったかもしれないけど!
しかも騎士団にいて強いんだろ!?
恥かかせて早く追い出してやろうよ!
俺は兄様に国王になって欲しいんだ!」
「お前、まだそんな嫉妬してんのか。
魔法は変えられないし、国王に誰がなるかは父上が決めること。
俺だって国王になれるなら、なりたいさ。
でも……今回は自動的に王が決まることもなさそうだからな。
俺たちも生きてて良かったじゃないか。目も治ったし、騎士団に復帰して鍛えるつもりだよ。
イチハも、今後のことをちゃんと考えて行動しろ。
それに……」
「何さ。まだ何かあるの?」
イチハは不貞腐れた声を出す。
「左大臣アーノルド…父上たちはあいつを警戒している。
親族とはいえ、関わらない方がいい」
「……なんだよ。アーノルドは優しいよ。
兄様は俺の味方だと思ってたのに!
……なんか……幻滅した」
イチハはバッと背を向けて廊下を歩いていった。
すぐに、後ろをレガードが追う。
「まったく……イチハは成長しないな。
うるさくして悪かったな」
レイはヒスイの方を見もせずに言い、イチハも追わずにその場を去って行った。
ーー
「なんなんだよ!兄様は!」
イチハは自室で椅子を蹴り飛ばした。
「イチハ様。どうか落ち着きを」
レガードは穏やかな声で続ける。
「レイ様のご意見にも一理ございます。ですが……まだノエル様を暗殺しようとした者は野放しでございますからね」
レガードはイチハの目を見て話す。
イチハがピクッと動いた。
「これは例えば、の話でございますが……油断した頃、時間を置いて、急に仕掛けるかもしれません。
――敵というものは、そういうものです」
イチハは視線を逸らし、口を閉ざした。
「あぁ、ご安心くださいませ。
生涯をかけてイチハ様をお護りいたします」
穏やかに微笑む。
「それに……今まででしたら、レイ様が王になられるなら、イチハ様は処されていたでしょう」
レガードの冷静な声が響く。
「イチハ様がご健在なのは、とても喜ばしいこと。
もし……味方ではない者が“邪魔”でしたら」
イチハはごくりと喉を鳴らした。
「イチハ様が王となられるために、私はいくらでもお力になりましょう」
「……なんだよ。
兄様が俺の味方じゃないなら……他の奴らが王になるなら……絶対にイヤだ。
レガード。俺は……殺されるのもイヤだ」
「左様でございますね」
レガードは膝をつき、深く頭を垂れた。
「国王としての資質……私は、誰よりも信じております」




