表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/3

後編:またごはんを作る日まで

さてさて、皆様お立ち会い。

この世には、腹が減ると力も出ぬ神様がおるって話、信じられますかい?

狐の神様と若きまかない人の、ちと風変わりな(えにし)の物語。

今宵はその結び、最後の一膳と参ります。


------------


琥珀が現れてから4ヶ月。時々小さな穢れを祓いながらも、一人と一匹?は比較的平穏な日々を過ごしていた。


異変は、春の終わりの夕暮れにやって来た。


社の空気が、音を立ててひび割れたようだった。境内の木々がざわめき、風もないのに葉が千切れて舞った。

湊は2カ月後に行われる、神事に使用する茅の輪を点検していた手を止める。


森の奥からねっとりとした瘴気が、じわりじわりと滲み出していた。


「……来たか」


社殿の屋根で昼寝をしていた琥珀が、ひと声うなる。耳がぴんと立ち、金の尾が膨らむ。


すとん、と湊の隣に降り立ち、静かに話す。


「あれが『穢れの核』じゃ。信仰が薄れ、忘れ去られた神域の、最後の毒……」


湊はうなずいた。これが終われば、本当に平穏が戻るかもしれない。


「しかし、今度の穢れはかなり強大な気配がするのう」


琥珀が鼻筋に皺を寄せながら低く唸る


「だ、大丈夫だよな?負けるとかそんな…」


湊が不安げに琥珀に尋ねる。


「ハン!わらわをなんじゃと思うておる?負けることなど万が一、いや兆が一にも無いわ!」


湊はほっと息を吐く


「ただ…」


「た、ただ?」


オウム返しに聞く湊に一瞥をくれ、琥珀が苦々しく呟く


「少しは本気にならねばいかんかも知れん。しかし、神格を取り戻せば、わらわはこの社に縛られぬ存在に戻る。」


湊がギョッとして琥珀に問いかける


「つまり、それってどう言うこと?」


「神格を持つ者は神界に戻る。それが神界の理じゃ。今はそちの飯で、この地に縁を持っておる。わらわは存外ここの暮らしが気に入っておる。最後まで、可能な限りそれで戦おう」


コハクは目を細め、珍しく真面目な顔で答えた。


湊はぐっと唇を噛み、台所へと駆け込んだ。

最後になるかも知れない、まかないを作るために。


------


台所に立った湊は、深く息を吐いた。

心を落ち着け、まずは五穀米の支度。もち米を主体に、うるち米、大麦、あわ、黒米、ひえをそれぞれ計量して研ぐ。白米と違い水分量が少ないため、水に充分さらしておく。


水に浸した雑穀は、ほどよく膨らみ、瑞々しい香りを立てる。炊飯釜に移すと、湊は椎茸の戻し汁を加えた。


具材は前の晩から準備しておいた。戻した干し椎茸は厚めにスライス。

甘辛く炊いた油揚げを短冊に切る。次に塩もみしてアクを抜いた蓮根を小さな花型に抜く。

最後に蒸した栗をほぐして加え、彩りに人参も薄切りで散らす。


釜の中で炊かれる五穀米は、香ばしく、甘く、どこか懐かしい香りがした。


ごはんを炊く間に山菜汁に取り掛かる。


山から分けてもらった、こごみとぜんまいは、丁寧に下茹でをする。筍は薄く切って香ばしく焼き目をつける。そして、舞茸は手でほぐし、香りを立てるように乾煎りする。


鍋に張った出汁は、昆布と干し貝柱からじっくり取ったものだ。澄んだ金色のだしに山菜を泳がせ、醤油と味醂をほんの少し。

味の輪郭を引き締めるため、山椒の若芽を指でちぎって散らす。


火を止める直前、香りが一気に立ち上った。春の山が、そのまま中に溶け込んだような匂いだった。


そうこうしている間に、ごはんが炊き上がる。蓋をする前からもう、台所中にたまらない香りが満ちていた。


しゃもじを入れると、もち米のもっちりとした弾力と、雑穀のぷちぷちとした歯ごたえが混ざる音がした。

ほかほかの湯気の中、栗の黄色と人参の朱、黒米の紫が映えて、まるで宝石箱のようだった。


朱塗りの椀に五穀米をよそう。奉書紙を敷いた神事で使う三方に椀を乗せる。

山菜汁を漆塗りの黒椀につぎ、同様に乗せる。


そして湊は懐から、白布に包んだ小さな盃を取り出した。

土の匂いのする素焼きの盃、それは祖父が生前、祭礼のたびに使っていたものだ。


その中に、ひと垂らしの澄んだ酒を注ぎ、神前に捧げる。


その隣に添えるのは、白木の柳箸。祖父の手作りで、湊が子どもの頃、山の桜の枝で削ってくれた物だ。いまでも箸先を砥石で整えて使っている。


湊は膳を整え、神前にそっと差し出した。


「……琥珀。おかわりも、あるぞ」


琥珀はひとつうなずき、ニヤニヤしながら茶化す。


「柳箸か。わらわは手は使わぬが、心はいただいておこうかの」


------


おかわりを2回して、神饌を全て平らげると、琥珀は神気をまとって飛び上がった。体が、光に包まれ、九つの尾が花のようにひるがえった。


白銀に輝く、神の姿。


「そちの供物、しかと受け取った! いざ、穢れを祓わん!」


神と人との共闘が、始まる。


------------


社殿の空を、瘴気が黒く渦巻いた。

空間そのものが歪むような轟音とともに、穢れの核が姿を現す。

黒い粘膜のような塊の中に、ぎらつく無数の眼ーーそれは忘却そのもの。

過去も、絆も、名も、すべてを飲み込む闇が形を成していた。


『祓え……祓え……すべてを忘れよ……』


声とも呻きともつかぬ低音が空間を満たすたび、地を這う瘴気が草木を枯らし、社の柱が腐蝕し始める。

湊は眉をひそめ、額から滴る汗を拭う暇もなく、祝詞を高らかに唱えた。脚をもつれさせながら四方の柱を巡り、結界を描くように札を打ち込んでいく。


一方その上空では、琥珀が疾風のように駆けていた。

尾を翻した瞬間、風が唸りを上げ、白銀の毛並みに焔が走る。

神気が形を取り、狐火が幾重にも炸裂する。まばゆい光が夜空を裂き、穢れの核に迫る。


「吼えろ、忘却の鬼よ――わらわが祓う!」


穢れの核が応じるように、太さ数メートルを超す巨大な触手を何本も生やした。

それは過去に人々が封じたはずの「記憶」の成れの果て。嫉妬、憎悪、後悔ーーそのすべてを含んだ穢れの具現が、獲物を嬲るようにのたうつ。


一撃で精神を崩される。


そう直感した湊が思わず息を呑む中、琥珀は宙を舞った。

九本の尾が一気に展開し、風が咆哮となって触手を引き裂く。

尾の一振りで空気が爆ぜ、次の一瞬には狐火が火焔竜と化して敵の体を焼いた。


「まだまだじゃぞ…!」


瘴気の奔流が社殿をなぎ払い、石灯籠が弾け飛ぶ。土塊が雨のように降り注ぎ、木々は根元から引き千切られ、夜の森が狂乱に包まれた。


それでも湊は立ち上がる。膝を突きながらも札を叩きつけ、次の祝詞を絞り出すように唱えた。


「……道を開け! 神、降り立つこの場に――!」


その声が響いた刹那、穢れの核が爆ぜた。

黒い触手が乱舞し、毒気が奔流となって夜空を飲み込もうとしたーーその中心へ、琥珀は真っ直ぐ飛び込む。


「そちがくれた力、今ここに示す!」


天空を裂く一閃。九本の尾がすべてを広げ、琥珀の全身が銀光に包まれた。

白銀の火花が夜空に散り、空気が音を立てて震える。神格の解放――この世にあってこの世の理を超える、一柱の“神”が完全に目覚めた瞬間だった。


 「我が名は琥白火日女命(こはくびひめのみこと)。この地の守り神なり! 穢れよ、今こそ祓われよ!!」


最後の一尾が振るわれた瞬間、天を割るほどの狐火の刃が放たれた。

それはただの炎ではない。湊が差し出した神饌、その想い、その祈りすべてが宿った清めの一撃。


穢れの核は声を上げることすらできなかった。

ただ、全身を引き裂かれ、霧散する。黒い霧は浄化されるように空へと消え、社に静寂が戻った。


------


湊が駆け寄ったとき、琥珀の身体はすでに透明になりつつあった。


「……やっぱり、消えちゃうんだな」


涙を浮かべながら湊は琥珀に言う。


 「うむ。だが、忘れぬぞ。そちがくれた飯、そちの心ーーわらわにとって、何より尊き供物であった」


淡く微笑みながら、琥珀は顔を上げる。月が雲間から姿を見せ、その光が、彼女の白銀の輪郭を優しく照らした。


「…て言うか、何だよ「こはくびひめ」って。女神様だったのかよ…ジジ臭いからジジィだとばかり思ってたのに…」


湊は琥珀の白銀に光る体毛に顔を埋める。


「うん?なんじゃ?わらわはぴちぴちの乙女じゃぞ」


琥珀がニヤリと笑いながら続ける。


「さよならじゃないぞ、湊。供える心がある限り、神はここに在るーー」


その言葉とともに、琥珀の姿は光に溶けていった。風が吹き抜け、ただひとつ、暖かさだけが残された。


------------


夜が明けて、湊は縁側で一人、卵を割った。白ごはんの上にとろりと落ちる黄身。醤油をひと垂らし。


「……また、作るからな。次に来たときも、ちゃんと、あったかい飯、出すから」


ひとくち食べると、なぜか涙が出た。だけど、顔は、笑っていた。


------------


さてさて、これにて一席お開きと相成ります。

狐の神様とまかない人、縁も味も、これにてごちそうさま。

けれど、いつかまた腹の虫が鳴くころにゃ、どこぞで湯気の立つ飯が、ふたりを呼ぶやもしれません。


その時はまた、お立ち寄りを。

それまで、ごゆるりと……。

ここまで読んで頂きありがとうございます!湊と琥珀の物語はいかがだったでしょうか?長編も投稿していますので、お暇があれば是非。

https://syosetu.com/usernovelmanage/top/ncode/2781343/

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ