中編:穢れ、祓い、そしておにぎり
さてさて、続きと参りましょう。
狐神様と社守の若造、出逢い頭にいきなり共同生活、しかも神力まで借りたとなりゃ、そりゃもう静かにゃ済まぬのが世の常でございます。
今宵のお話はーーそう、
ちょいと腹の虫と禍の気とが、同時にうごめく夜。
油断すりゃどっちが恐ろしいか、分からないってもんでさぁ。
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闇の中、短刀を手にした湊は、自分の鼓動をやけにうるさく感じていた。
火のついた琥珀の尾が、暗がりをやさしく照らしている。
社の奥、本殿の注連縄が、ぎしぎしと揺れていた。
「……本当に、出てくるのか」
半信半疑の様子で湊が琥珀に尋ねる。
「出てくるぞ。禍の気は弱った神域に巣を張る。餌は…人の想い。うかつに近づけば、心まで喰われる」
琥珀の声は静かだが、ただ事ではない緊張がにじんでいる。
ーーぐじゅり
土を這うような音と共に、それは現れた。
黒く、うねり、半透明の粘土のような形。顔はない。ただ何本もの手のようなものが地面から伸びている。
「来るぞっ!」
湊が身を引いた瞬間、黒い腕が地面を裂いた。
反射的に短刀を振ると、白い鈴が澄んだ音を響かせ、刃先から薄い光の波が放たれた。
ぼとりと腕が地面に落ち、まるで千切れたトカゲの尻尾のようにのたうち回り、どす黒い液体を断面からまき散らす。
「うげぇ、気持ち悪いなあ…」
湊の言葉とは対照的に、琥珀は嬉々としている。
「おお……!やるな、そち。やはりただの料理人ではないの」
「全然“やるな”じゃない!怖いし、当たったのかすらわかんないし!」
琥珀が笑う様に言う。
「じゃが、鈴の音が鳴った。神気が通じておる証じゃ。少なくとも、今のそちは、祓い人の片鱗を持っておるぞ」
湊の与えた傷口からしゅうしゅうと煙が出ており、黒い異形の塊はプルプルと小刻みに震えながら動きを止めている。その隙に琥珀が前に出る。
尾の炎がぱっと大きくなり、輪を描いて宙を飛ぶと、禍の気にまとわりついた黒煙が焼き払われるように溶けていった。
「ーー式焔、解放!」
琥珀の尾が九本に分かれ、空中を駆ける火狐となって異形に襲いかかる。
じゅうじゅう…びゅるるるる…
高音に焼かれ、鉄板焼のなま物が焼ける様な音を立てながら、異形がグニグニと動いている。
暫くすると動きもおさまり、それと共に炎も鎮まっていく。残滓のような黒煙が、ぱち、ぱち、と燃えては消えた。
やがて社には、沈黙が戻った。
ただ、静かで……温かい夜の気配だけが、息をひそめている。
「……終わった?」
湊が琥珀に尋ねながら視線をやり、ギョッとする。
「うむ。今宵の穢れは、退いた」
フフンと胸を張る琥珀だが、中型犬ほど有った身体が、チワワくらいまで縮んでいたのだ。
「な、なんか縮んでるよ…?!」
「ふむ、先程九尾の力を使ったからの。燃料切れじゃ」
そう言うと同時に、琥珀の腹が、ぐぅぅぅぅ……と鳴った。
「ほれ、供物を捧げよ、先ほどの"たまごやき"で良いぞ!」
琥珀は小さな口から舌を出し、ジュルリと舌なめずりをするのだった。
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戦いを終え、湊はぐったりと膝をつきかけながら、それでも台所へ向かった。
「さっき食べたばっかりなのに…食いしん坊の神様だなぁ…」
電灯をつけると、白い蛍光灯の明かりが、心なしかあたたかく感じる。
冷蔵庫を開けて、残っていた卵、九条葱、ちりめんじゃこ、梅干しを確認。引き出しからだしパックと味噌を取り出した。
「俺の分も一緒に作って食おう……梅とじゃこ、混ぜおにぎり……それと、だし巻き卵……」
湊は手を洗い、息を吐いてから、飯を炊き直すことにした。
米びつから2合すくって研ぐ。冷えた水に指を差し入れ、しゃっしゃっ、と手早く洗う。
米を研ぎながら、無事でよかったと少しだけ思う。神様と、社と、自分自身のこと。
水が白く濁り、米が掌で跳ねる。研ぎ終えた米に、ほんの少しの昆布だしと塩を加えて、炊飯器にセットした。
火を入れた鍋からは、鰹と昆布のだしが湯気を立てる。その香りが立ち昇るだけで、腹がもうひとつ鳴った。
九条葱を小口で刻み、小皿に取る。
湯気の横で、卵を3つ割る。ボウルに落としてだしと砂糖を加え菜箸で手早く混ぜる。
淡い黄金色のたまご液に、刻んだ葱を落とし入れ軽く混ぜる。
熱しておいたフライパンを濡れたふきんで一度冷まし、油をひいて火にかける。たまご液を流し込むと、じゅっという音が狭い台所に弾けた。
一層目をくるりと巻く。ふんわり柔らかい層を包むようにたまご液を流し入れ、二層目を巻く、そして三層目。
巻くたびにじわりとにじむ出汁。湯気が顔を撫で、琥珀の声が後ろから聞こえる。
「この香り、たまらぬな……」
琥珀がふんふんと鼻を鳴らす。
「さっきと少し味を変えてあるよ。もう少しだから、おとなしく待ってて…」
湊は真剣に卵を巻く。手首のスナップ、油の音、香ばしい香り。
仕上がりは、ふっくらと厚みのある金色の一本。包丁で切ると、中から出汁がじゅわりとあふれ、たまごの甘い香りと、葱の香りが食欲をそそる。
ご飯が炊きあがった音が鳴る。
炊飯器のふたを開けると、湯気と一緒に米の甘い香りが立ち上った。つやつやで、粒が立っている。
炊きたてのご飯をボウルに移し、刻んだ梅干しとじゃこ、白ごまを混ぜる。
ヘラで切るように混ぜながら、最後に醤油を少し垂らす。
ご飯を掬い取ると、その熱が指先をじんわりと包み込み、海苔の香ばしさと相まって、口の中がもう満たされてしまいそうだ。
握ったおにぎりは、ふたつずつ。丸くて素朴で、温かい。
だしに味噌を溶かし、油揚げとわかめ、残っていた豆腐を放り込み、味噌汁を手早く準備する。
湯気の中に、しみじみとした香りが広がる。
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食卓に並べられた、炊きたてご飯で握ったおにぎり、葱入りふわふわだし巻き、そして湯気の立つ味噌汁。
「ほれ、狐様。腹、減ってるんだろ」
「……ふむ?先程とは少し違う匂いじゃの」
琥珀が並べられた食事の匂いをふんふんと嗅ぐ。
「神様にも食事は必要なんだろ?オレも、もう限界だけどな」
湊はおにぎりを手に取り、口に運ぶ。
琥珀も同じくおにぎりを一口かじる。耳がぴんと立ち、尾をブンブンと揺らす。
おにぎりの香りが、ふたりの間にふわりと広がる。
「……んんっ……!梅が……!じゃこと白胡麻、絶妙に香ばしい! これは……罪深き米じゃ……!」
「ははっ、狐なのに語彙力が人間っぽいな」
「神じゃぞ!? ただし、これは……神のまかないと申して差し支えあるまい……!」
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食事を終え、皿を片付けながら湊が琥珀に尋ねる。
「……なあ、さっき、祓い人って言ってたけど……オレのこと?」
琥珀は満足そうに目を細め、毛づくろいをしながら答える。大きさは中型犬くらいまで戻っていた。
「いずれは、な。料理人は人を生かすことにかけて、最も清き力を持つ。」
前足の爪をガジガジと噛みながら続ける。
「そちのような者こそ、穢れを祓い、神を癒す資格があるのじゃ」
琥珀の隣に腰を下ろし湊が呟く。
「そんな大層なもんじゃないよ。オレはただ、今日も食べて、明日も食べて……」
くは、としあわせそうに欠伸をしながら、続きを湊に伝える。
「それでよい。神も、人も、生きるは食に通ず。忘るるなかれーー」
くるりと身体を丸め、眠そうに言う
「美味い飯が何よりの幸福じゃて」
「うん、それは同意するよ」
ふたりは笑った。ささやかな、夜のまかないの時間。
それはまたひとつ、絆を深める食卓となった。
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お後は白米、炊きたてで。
狐神様と社守の若造、初の共闘も無事済んで、心と腹を満たす夜となりました。
神と人とが共に戦い、共に喰らう。
これはなにより尊きまかないにございましょう。
さてさて、次は何を祓って、何を握るやらーー
続きが気になりゃ、是非またお越しを。