表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

前編:狐火と卵焼きと、はじまりの夜

前中後編の3篇で10,000字程度のサクッと読めるお話です。

さてさて、皆様お立ち会い。

これはちょいとばかし山奥にございます、忘れられたお社での小噺。


信仰薄れりゃ神も痩せると申します。しかし、そこにはまだまだ灯火絶えず、ぬくもり残る暮らしもあったとか。


人と神様が一つ屋根の下で、まかない作って、ちょいとばかりのいくさもする。


そんな不思議な(えにし)から始まる物語。

どうぞ、湯気立つ一椀、お召し上がりなさいまし。


------------


雨の気配が、木々のざわめきに紛れていた。

今夜は冷えるな、と湊はつぶやいて日課である神饌しんせん=お供え料理を本殿に献上し、帰路につこうとしていた。

その時神社裏の茂みの奥で、何かの鳴き声が聞こえた。か細くて、切なげで、どこか懐かしい声。


「……ケンッ、ケェン……」


狐?いや、でもこの辺りで見るのは珍しい。子犬かな?

湊は生来の優しさから、捨猫や捨犬などを放っておけない性質だった。

声のした方面に近づいてみると、草陰に、小さな金色の毛玉が丸まっていた。


ネズミ捕りの罠にかかったようだ。前足に食い込んだ傷跡が痛々しい。


「……うちで手当てしよう」


自然とそう口にしていた。抱き上げた子犬の体は、軽くて、熱くて、何か大事なものを預かったような気がした。


社の隣にある自宅に戻ると、湊は手早く湯を沸かし、薬箱を引っ張り出してくる。

野良猫やタヌキの手当てをしたことはあるが、犬の手当ては初めてだった。


ーーまぁ、そんな変わらないだろう


湊は子犬の身体をお湯で拭いて、布で包んで寝かせる。それだけで、自分の心までほっとするから不思議だ。


ーーグゥ…


そう言えば神饌作りの最中に味見したくらいで、夕食はまだだった。少し考えて、湊は台所へ向かった。


「卵がまだ残ってたよな」


そう言って立ち上がり、台所に向かう。

冷蔵庫から卵を三つ取り出す。

買ってから少し時間が経っているが、殻はしっかりしている。掌にぽんぽんと転がして、ボウルにコン、と割る。


黄身が艶やかに揺れて、透明な白身と混ざり合う。

菜箸を持ち、手首のスナップでカシャカシャとリズムよくかき混ぜる。


泡立てすぎないように、空気を抱かせながら…このくらいが、ふわっと仕上がるんだ。


出汁は先にとっておいた。昆布を水から煮出し、鰹でひいた、ちょっと濃いめのやつ。


そこへ薄口醤油をひとたらし、みりんを気持ち多めにする。じいちゃん直伝の分量。それを卵液に混ぜ入れる。


フライパンに米油をひいて、煙が立つ手前で一度火を止める。油をキッチンペーパーでならし、再び中火に戻す。


ーーじゅっ。


おたまひとさじ分の卵液を流し込むと、油が踊るような音を立てた。ふわりと鼻をくすぐる香りが立ちのぼる。


ぷくり、ぷつぷつ、と表面に小さな気泡が浮き、湊は手際よく端から巻いていく。


焼き色はほどほど、でも中はとろっと柔らかく。ひと巻き目が決まると、息をつく暇もなく次の卵液を流す。


ーー巻いて、流して、巻いて、流して。


その間ずっと、湯気の向こうから出汁の香りが湧きあがり、部屋の中をふわりと包んだ。

夜の冷気をやさしく溶かすように、しみじみと温かい匂い。


最後のひと巻きが終わる。きつね色のふっくらした卵焼きをまな板に乗せ、包丁を入れるとじゅわっと中から出汁が染み出す。


断面は層が重なって、まるで小さな地層みたいだ。


手前の一切れを口に運んでみる。


……うん、今日のは、ちょっと甘めだけど悪くない。じいちゃんに作った味に近い。


記憶の味、懐かしい匂い。誰かに食べてもらいたいーーそんな気持ちになる味だった。


子犬が、ぱちりと目を開けたのに気づいたのは、玉子焼きを皿に移し終えた時だった。


「……うまそうなにおい、じゃのう」


「うわっ!!!い、犬が、しゃ、喋った!?」


思わずフライ返しを落としそうになった。


子犬はけだるそうに首をもたげ、どこか誇らしげに尻尾を揺らす。


「ぬ?わらわを犬など下等な物と間違うでない。わらわはかつて、この社に祀られし狐神――名を琥珀と言う」


子犬改め子狐が、フンと鼻を鳴らしてふんぞり返る。


「……神様って……キツネで?」


湊は頭に「?」が沢山浮かびながらも、琥珀と名乗った子狐に質問を返す。


「以前は人の姿にも成れたが、いまはこの通り力も細うなってしもうた。人の信仰、まことにありがたきものよ……ところで、そちの名は何と申す?」


琥珀はしみじみと語ったあと、湊の名前を尋ねる。


「あ、すみません。綾瀬 湊と申します。じいちゃんの跡を継いで、宮司、見習いをやって、いや、やらせて貰っております。まだ高校生なんで」


神様と聞いて、湊は言葉遣いを改めようとするが、不慣れなせいで変な口調になってしまう。


「そんなに畏まらないで構わんぞ、わらわは寛大じゃからな。さて、飯じゃが。そちは料理の才に恵まれておるのぅ」


琥珀の言葉にホッとし、ご飯と問われたことに思い至る。


「え、あ、うん……食べる?」


「うむ。神の務めの前に、まずは腹ごしらえじゃ」


湊は苦笑しながら、卵焼きを切り分けて小皿に盛る。

琥珀はくんくんと香りを嗅ぎ、ひと口食むなり、目から星が溢れるかの様な顔で驚嘆の声を上げる。


「ほおお……これは、天上の味じゃ……っ!」


湊はハハと笑いながら、琥珀の皿に自分の分の玉子焼きも移し替える。


「普通の卵焼きだよ、出汁はちょっと濃いめにしてるけど。そんなに美味しいならこっちも食べていいよ」


琥珀はガツガツと湊の分の玉子焼きまで全て平らげる。


「湯の温もり、塩梅、だしの深み……そち、料理で世を救えるかもしれぬな」


そのとき社の奥、本殿の方から、ごうごうと風を切る音が響いた。

灯籠がゆれ、供え物の餅がひとつ、ぽとりと落ちる。


「なに、風……?」


「……違う」


琥珀の耳がぴんと立った。

その尻尾が、青白く燃えはじめたのを見て、湊は言葉を失う。


「穢れ、じゃ。よどみ、淀み、忘れられし神域に集う禍の気。ここを狙っておるな……!」


社の方を睨みながら警戒を顕にする琥珀に、湊は不安が募る。


「待って、どうするの!?」


「元来であれば祓うのは造作ないことなんじゃが、いかんせんわらわの力は戻りきらぬ。共に行くぞ、湊」


尾の炎がふわりと湊に触れた瞬間、彼の手にひと振りの短刀が現れた。

刃文は波打ち、柄には白鈴が揺れている。肌に馴染む、不思議な神器だった。


琥珀が一歩、社の外へ踏み出す。


「この社は、そちが守ってきた場所じゃ。今度は、わらわと共に、守るときぞ」


湊は短刀を握りしめ、深く息を吸った。

その先にあるのが恐怖か、使命か、まだわからない。でもーー


「……わかった。行こう、琥珀」


------------


かくして、狐神様と一人の少年――いや、料理人見習いが、ちいさなお社を舞台に、神と妖と腹の虫が交錯する日々を始め申した。


いくさあり、飯あり、ちょっぴり涙もご愛嬌。

さてさて、この先何が煮えるやら。

おあとがよろしいようでーー

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ