セレスティアルの指令
クラス分け試験が終わり、アカデミーの広場から生徒たちが散っていく中、セレスティアルは静かに人影のない回廊へと足を踏み入れた。彼の背後には、いつの間にか一人の女性が音もなく立っていた。
「アーチェ」
セレスティアルが名を呼ぶと、彼女は深々と頭を下げた。アーチェは、彼の右腕として絶大な信頼を置かれている存在だ。流れるような黒髪と、獲物を狙う鷹のような鋭い眼差しを持つ彼女は、武器全般に精通し、中でも隠密行動においては右に出る者がいない。常に漆黒の装束に身を包み、その気配を完全に消すことができるため、彼女がそこにいると気づく者はほとんどいない。セレスティアルとアーチェは、互いの全てを知り尽くした、絶対の信頼で結ばれた関係だった。彼女もまた、神将に次ぐ力を持つ神具を所持している。
「先ほどの少年について、あなたに一つ頼みたいことがある」
セレスティアルは、シエルが向かった方角を見据えた。彼の言葉には、いつもの冷静さに加え、微かな好奇心が滲んでいた。
「先ほどの下位クラスの少年…シエルと申しましたか」
アーチェは、すでにシエルの情報をつかんでいるようだった。その洞察力は、セレスティアルの期待を決して裏切らない。
「ええ。ロゼ師の育てた少年です。体力も力もありませんでしたが、彼の剣術には、何か特異な光を感じました。私の型に通じる、しかしそれだけではない、何か未知の可能性を秘めているように見えたのです」
セレスティアルは、思考するように顎に手を当てた。
「彼が神具を持つ者でありながら、あの成長の遅さ…新樹官の誤認か、あるいは別の理由があるのか。私は、彼の紋章が真に何色であるのか、確かめたい」
アーチェは、無言で主の言葉に耳を傾けていたが、やがてその鋭い瞳をセレスティアルに向けた。
「セレス様。なぜ、あの子をそこまで気にかけるのですか? 彼のような成績の者では、いくら神具を持っていても、いずれは切り捨てられる運命。そこに、何か価値があるとお思いで?」
セレスティアルは、アーチェの問いに静かに答えた。彼の声は穏やかだが、その言葉には揺るぎない確信が宿っていた。
「彼の剣術は、私の剣術と同じです。この剣術は、ただ身体能力が高いだけでも、力任せに振るうだけでも習得できるものではない。ましてや、あの体力と力で、あの練度の剣を振るうことは、通常では考えられない」
セレスティアルは、一瞬目を閉じ、再び開いた。彼の瞳の奥に、深い洞察の光が宿る。
「彼が、武術のギフトしか持たぬのならば、あの動きは不可能だ。神具の力だけでは補いきれない、根本的な差異がある。きっと…彼は、別のギフトも授かっているはずです。そうでなければ、あの剣術が成り立たない。新樹官が気づかなかったのか、あるいは何らかの理由で隠されたのかは不明ですが…彼の紋章には、我々の知らぬ秘密がある。そして、その秘密こそが、世界を揺るがす『報せ』と関係している可能性を、私は捨てきれません」
アーチェは、セレスティアルの言葉に微かに息を呑んだ。それは、神将である彼にしか気づき得ない、深遠な真実だった。
「承知いたしました、セレス様。彼のあらゆる動向、見逃さぬよう、影から見守らせていただきます」
アーチェは深く頭を下げ、その身は音もなく闇に溶け込むように消え去った。セレスティアルは、ただ一人、静かにその場に残された。彼の瞳の奥には、シエルという小さな存在が、世界の均衡を揺るがす可能性を秘めていることを予見するかのような光が宿っていた。