アカデミーでの試練
シエルとレイは、武術の国のエリートたちが集うアカデミーへと入学した。各地から集まった武術のギフトを持つ若者たちは、入学初日に実力に応じたクラス分け試験を受ける。体力、武器の扱い、そして力の三つの項目が厳しく評価される。この日は、子供たちのこれまでの努力と、将来の道を定める大切な日。そのため、試験会場には、神具を持たない子供たちの家族や、シエルのような神具持ちを幼い頃から育ててきた乳母たちも、応援に駆けつけていた。
ロゼもその中にいた。燃えるような赤い瞳で、彼女はシエルの姿をただひたすらに見守っていた。他の乳母たちと一緒にいるが、彼女の視線は常にシエルへと注がれている。
そして、その群衆の中には、ひそかに目を凝らす一人の人物がいた。武術の国の二柱の神将の一人、武器術の神将セレスティアルだ。彼は、普段の華美な装いを隠し、質素なローブに身を包んでお忍びで試験を見に来ていた。表面上は冷静沈着で、感情を表に出さない彼だが、次代を担う子供たちの才能を見極めることは、神将としての重要な務めだった。
体力試験は、どれだけの距離を疲れずに走れるかで競われた。ギフトを持つ六歳の子供なら、五キロは軽く走り切れるのが当たり前らしい。レイは、その当たり前を遥かに超えていた。軽やかな足取りで他の生徒を置き去りにし、基準の二倍もの距離を駆け抜けたレイは、上位クラスへの道を確実にする。彼女の乳母や家族からは歓声が上がった。だが、シエルは違った。ロゼの特訓のおかげでなんとか走りきったけれど、その距離は基準の半分にも満たなくて、息も絶え絶えだった。ロゼの表情に、微かな不安がよぎるのが見えた。セレスティアルの視線が、一瞬シエルに留まる。
武器の扱いでは、剣と弓の技術が試された。レイは、特に剣術が飛び抜けていた。試験官相手にまるで舞うかのような剣捌きで、見事に一本取って、周りからは惜しみない賞賛の声が上がった。その一方で、シエルは、ロゼの献身的な指導と日頃の血の滲むような特訓の成果もあって、決して悪くない技術を見せた。彼の剣には、他の生徒たちも認めるくらい、泥臭くも確かな練度があった。その瞬間、隠れて見ていたセレスティアルの眉が、わずかに動いた。シエルの剣術の「型」が、彼自身の型とどこか似通っているように見えたからだ。かつてロゼはセレスティアルの師でもあった。自分の剣術は、ロゼの型から派生したものだ。シエルの剣に見覚えがあるはずだった。
だけど、最後の力のテストが、シエルの運命を決定づけた。どれだけの重さの石を持ち上げられるかを競う単純な試験だ。他の生徒たちが軽々と大岩を持ち上げる中、シエルが持ち上げられた石の重さは、誰よりも軽くて、彼は結局、この項目で最下位に沈んだ。
総合評価の結果が貼り出される。レイの名前は当然のように上位クラスの欄に、そしてシエルの名前は、武術の神具を持つ者としては異例の下位クラスへと振り分けられていた。
クラス分けが発表された瞬間、他の乳母たちの間から、隠そうともしない嘲笑や、シエルに向けられた憐憫の視線が突き刺さる。そして、遠くから聞こえる「ほら、やっぱりだ」という囁きが、彼の胸を締め付けた。レイは、悔しさに唇を噛み締め、すぐにでもシエルの元へ駆け寄ろうとしてくれた。だけど、シエルはそんなレイを制するように、下手くそな笑顔を浮かべた。
「大丈夫だよ、レイ。僕は僕のやり方で、強くなるから」
彼の言葉には、隠しきれない諦めと、それでも諦めないという覚悟が入り混じっていた。ロゼは、ただじっと彼を見つめていた。その赤い瞳には、悔しさや悲しみ、そして彼への揺るぎない信頼が、複雑に混じり合っているのがわかった。彼女は何も言わず、ただ、彼の小さな背中をその視線で包み込んでくれていた。
一方で、遠くからその光景を見ていたセレスティアルは、静かに目を細めていた。「体力も無く、力もないのに、あの剣術…か。そして、あの型。もしや…」
彼はシエルの異質な点に気づき、その存在に強い関心を抱き始める。あの少年は一体何者なのか。そして、彼の内に秘められた、見えない「何か」は何なのか。セレスティアルの知的な好奇心が、静かに燃え上がり始めていた。
アカデミーでの生活は、彼にとってさらなる苦難の連続となるだろう。彼の紋章は、新樹官の誤認によって「薄く光る赤色」だと告げられていた。彼はその言葉を疑うことなく、自分は**「赤の紋章」**、つまり武術のギフトを持つんだと固く信じていた。だからこそ、自分の成長の遅さは、単なる不器用さや才能のなさが原因なのだと、ひたすら自分を責める日々だった。時折感じる身体の違和感や、何かが足りないような漠然とした感覚も、「もっと努力が足りないせいだ」と、ひたすら自分に鞭打つ理由にしていたんだ。
だけど、そこには、武術のギフトを持つ者だけでなく、他のギフトの能力を持ちながら武術の国に留まるサポーター、あるいは、彼の「無色の紋章」の片鱗を引き出すきっかけとなる、運命的な出会いが待っているはずだ。