シエルの幼少期:ロゼとレイ、そして遅れる成長
シエルは、武術のギフトを持つと誤認され、神具を授けられた「特別な子」として、生後間もなく家族の元を離れることになった。これは、神具を持つ者は千人に一人という貴重な存在であるため、その能力を最大限に引き出すべく、幼い頃から専門の育成環境で育てられるという、この世界の定めだった。
彼が託されたのは、武術の国でも指折りの乳母たち。中でも、燃えるような赤い瞳と、長くしなやかに流れる赤い髪を持つロゼは、シエルの心を強く惹きつけた。彼女は、武術の国らしい強さを秘めながらも、その瞳の奥には、どんな小さな命にも向けられるような、深い優しさを宿していた。かつて自身も神具を持つ武術の徒であり、神将の右腕として活躍したロゼは、シエルに惜しみない期待と信頼を注ぎ込んだ。
しかし、シエルは他の神具を持つ子たちとは明らかに異なっていた。6歳から始まる本格的な鍛錬に足を踏み入れても、彼の成長は驚くほど緩やかだった。基礎的な体術も、神具の扱いの習得も、他の子たちが難なくこなす中で、シエルだけは、どんなに努力を重ねても、一向に成果が出ない。彼の紋章は「薄く光る赤色」と見えたものの、それは決して濃くならず、期待された武術の才が花開く気配はなかった。
「あれでは、いくら鍛えても無駄でしょうね」
「本当に神具を持つに相応しかったのか、疑わしいわ」
他の乳母たちからの、隠そうともしない嘲笑や諦めの声が、幼いシエルの耳にも届いた。彼らは、シエルの真面目な努力を「無意味な足掻き」と見なし、その成長の遅さを露骨に軽蔑した。期待に満ちていたはずの彼女たちの視線は、いつしか冷たいものへと変わっていた。
そんな中、常にシエルを守り、信じ続けたのがロゼだった。
「何を言っているの! シエルは誰よりも真面目に努力している。今はまだ、その才能が目覚めていないだけよ」
ロゼは、シエルが他の乳母たちから嘲笑されるたび、毅然とした態度で彼らを咎め、シエルをかばった。彼女は、シエルの手を握り、彼の瞳を真っ直ぐに見つめて言った。
「シエル、あなたはきっと、誰よりも強い子になるわ。信じているわよ」
その言葉と、決して揺るがない温かい眼差しが、幼いシエルにとって唯一の救いであり、彼が諦めずに努力を続けられる原動力だった。ロゼの愛情がなければ、シエルはきっと、その重圧に押しつぶされていたことだろう。
そして、シエルの側には、もう一人、彼を護る存在がいた。幼い頃から共に育ってきた幼馴染の少女、レイである。レイは、シエルと同じく武術のギフトを持つ子で、明るく活発な性格をしていた。彼女は、いつもシエルのそばにぴったりと寄り添い、他の子供たちがシエルをからかえば、すぐに飛び出して守ってやった。
「シエルは、もっとすごいんだから!」
レイはそう言って、小さな拳を握りしめた。彼女にとって、シエルの成長が遅いことなど取るに足らない問題だった。ただ、シエルのことが、誰よりも大切で、大好きだったのだ。レイの無邪気な愛情と、真っ直ぐな信頼は、ロゼの庇護とはまた異なる形で、シエルの心を支え続けた。
シエル自身も、幼いながらにその差を感じ取っていた。どんなに頑張っても、他の子たちに追いつけない、むしろ差は開いていくばかり。ロゼの優しい眼差しと、レイの変わらぬ笑顔に応えたい一心で、彼は人知れず、人一倍の努力を重ねた。夜遅くまで素振りを続け、人に見えない場所で技を反復した。彼の小さな手には、マメが絶えることはなかった。この時既に、彼の内には、どんな困難にもめげない不屈の精神と、大切な人を守りたいという純粋な願いが育まれていたのだ。