第1話 哀
日は沈み、窓を叩く雨音が絶え間なく響く。部屋の中は闇に沈み、一人の青年が怯えるように身を縮めている。
「こんな人生……もう嫌だ……」
青年は準備したロープを握り締め、震える声で呟く。
立ち上がった足取りは頼りなく、ふらつきながら部屋の中心へと向かう……。
青年は椅子を持って来ると、それを足場にし天井のフックを弄る。
「これがあれば……」
ロープで輪っかを作り、フックに掛ける。
「……ふぅ。最悪な人生だった……」
そう呟いた青年の瞳には、すでに光はなかった。彼は虚ろな眼差しで床を見つめる。
「……来世は」
「魔王にでも成りたいな」
青年は椅子を蹴り飛ばした……。
――???――
青年は真っ白な空間で目が覚める……。
「……? ここは……?」前を見ると何者かが座っている……。
それは、白銀の髪を持つ中性的な存在だった。髪は絹糸の様に柔らかく揺れ、少女とも少年ともつかない整った顔立ちは不思議なほど無機質だ。しかし、目の下に刻まれた深いクマが、その神秘的な雰囲気を僅かに崩している。
「だ、誰ですか? ここはどこですか?」
青年は小刻みに震えながら、声を掛ける。
「私は貴方の様な死んだ人間をどうするか、それを決め、実行するだけの存在です。ここは死んだ人間が訪れ、するべき事を決める場所です」質問に対し、あくまでも機械的に答える。
「つ、つまり貴方は神様という事でしょうか? そしてここは天国に行くか地獄に行くかみたいな」
「はい、その通りです。貴方はどうしますか?」
「……僕はもう、生きるのはうんざりです。天国でも地獄でも良いので審判を……」青年はこう答えるが……
「……それは出来ません」
「……なっ!」予想外の返答に愕然とする。
「どうしてですか?! 僕は地獄でも良いです! だから……」青年は頭を下げて頼み込む……
神様は椅子の横にあるサイドテーブルから、一枚の紙を取り……
「岩波哀生。――年――月――日――――病院で産まれる。幼い頃から両親に虐待を受け続け、小・中学校時代ではクラスメートからイジメを受け、不登校となる。担当教師にも相談はしたが、事なかれ主義であったが故、解決には至らずに卒業をしてしまう。その後は両親から毎日暴言暴力を受け続けながらも、アルバイトをこなしたり、家事をしたりと、何とか生きながらえていた。そして、――――日。午前3時9分。18歳の時に首吊り自殺を遂げる」
神様は読み上げる……
「……それを知った上で、何故僕の願いは叶わないのですか?」
「貴方はこれまでの人生で徳を積みましたか? 善行を行いましたか? それが――」
「貴方はさっきまで何を見てたんですか?! 僕の人生を見れば分かるでしょう!? 募金だとか献血だとか出来る訳無いじゃ無いですか?!」哀生は神様の話を割って話す。
「はい、その通りです。貴方の人生にその様な事を行う暇は無いと言えます。しかし、これは決まりでありルールなのです。例外はありません」神様は極めて冷酷に答える。その様子は正に感情を持たない機械そのものだ。
「……それではどうしろと言うんですか?!」
「……貴方の願いを叶えるには、もう一度生き返り、善行を行うしかありません」
「……え? 絶っ対に嫌です! 生きるのが嫌で死んだのにどうしてまた生き返らないといけないんですか?!」
「別に貴方が元いた場所に生き返る訳ではありません」
「? どういう事ですか?」
「貴方が居た世界とは別の世界。つまり、異世界へと転移させて頂きます」
「異世界? 転移? どういう事ですか?」哀生は少しずつだが、興味を持ち始める。
「その異世界は、科学が発展した貴方の世界とは対照に、魔法が発展した世界です。剣があり、魔法があり、魔物が居る。そんな世界です。貴方の世界にもフィクションとしてですが存在しているでしょう」
「あぁ、確かにありますね。転移と言う事はこの姿のまま異世界に行くと言う事でしょうか?」
「はい、今の姿と状態で転移致します。ご不満があれば、多少の調整は出来ますが……」
「……そうですか……。それで、具体的に異世界で何をすれば良いのですか?」
「人類を恐怖に陥れる邪悪な魔王を討伐する。それが貴方の使命です」
「………………」
「どうしましたか?」
「……嫌です」
「何がですか?」
「魔王を討伐するのは良いです。だけど、人類を救うなんて事はしたくないです!」
「どうしてですか? 貴方は人類でしょう?」
「だから! 僕の人生を見たんですよね?! なら分かるでしょう?! 人に騙されイジメられ! 助けを呼んでも裏切られ! 僕は人間が嫌いです!」
「……それもそうですね。ではこうしましょう」神様は新たな提案を出す……
「貴方の使命は魔王を討伐する為、魔物達を残虐に倒す人類達の英雄である、勇者の血筋を討伐する事です」
「……え? 勇者を討伐? ……冗談ですよね?」
哀生は乾いた笑いを漏らす。しかし、神様は無表情のままだ。
「……本気なんですね。……まぁ、良いでしょう」
「ところで、僕は魔法どころか剣すら握った事がありません。どうやって倒せと言うのですか?」
「それは自分で考えて下さい」
「えっ! 何を言ってるんですか?! 普通に無理ですよ! 右も左も分からない異世界でどうしろと?!」
「そこは大丈夫です。異世界語は習得した事に出来ます」
「イヤイヤ、言語が分からないって意味では無くて……」
「あぁ、そう言う事ですか。戦う為のスキルや能力が欲しいと言う事ですね?」
「そう! ずっとその事を言ってます! どんな能力が手に入るんですか?! 見ただけで殺せる能力とかが良いんですけど……」
「そうですね、丁度貴方にピッタリな能力が余っていますよ?」
「え? 余り物なんですか? 見ただけで殺せる能力?」
神様は再度サイドテーブルから紙を取り、哀生に渡す。
「え〜っと、これ何ですか? 色々書いてあって全部読むの大変だし、そもそも見た事無い文字何ですが……」
「そうでした、直ぐに読める様にしますね……」
(この神様抜けてる所多くない?)
心の中でそうツッコんでいると、いつの間にか一切知らない文字と文の内容が理解出来る様になっていた……。
「えーっと、この能力は……」哀生は一番大きく書かれている部分を見る……
「あらゆる生物と会話出来る能力」哀生は読み上げる。
「か、会話する能力ですか? な、何か思ってたより微妙と言うか……」
「何を言っているんですか? 勇者を討伐するには、魔物との協力が不可欠です。勇者に立ち向かうには、人間ではなく魔物の力が必要になるでしょう?」
「そこ! そこだよ! 会話するだけってさ、魔物達と会話が出来ても操れる訳では無いから、結局は交渉とかが必要な訳でしょう? 創作物の異世界転生・転移とかってもっと凄い能力とか手に入れるのが普通ですよね?」
「現実と創作物を一緒にしてはいけませんよ?」
「――知ってるよ! 他の能力は無いんですか?」
「……そうですねぇ。無いです」
「嘘ですよね?」
「はぁ……。全く。何を言っているんですか? 言葉がどれほど鋭く危険かは貴方が一番知っているでしょう?」
「……もう良いです。会話だけで無双すれば良いんでしょ? あ、1つ気になったんですけど、勇者を倒したら迎えか何かが来るのですか?」
「目的を達成出来ればその時点で直接脳内に話し掛け、再度願いを聞き、その願いを叶えて差し上げます」
「一応その時の意思を尊重するって事ですね? それで、今僕は死ぬ為に生き返ると言う、摩訶不思議な状況ですが、もし……」哀生は少し溜めて……
「目的を達成出来ずに死んでしまったら、どうなるんですか?」
「その場合は貴方の願い叶わないと言う事で……」
「もう一度人間として産まれて貰います」
「……それは。……絶対に嫌です!」
「何をそんなに嫌がるのですか? 失敗しても裕福な家庭に産まれる様に出来ますよ? 記憶も無くなります。人間として生きるのはどの生物よりも贅沢です。それを拒絶する何て……」
「嫌だからです。嫌がるのには理由が必要ですか?」
「……そうですか。意思は固い様ですね。それでは異世界へ転移させて貰います……」
哀生は息を吐いた。
「……まぁ、今さら後戻りも出来ないか」
目を閉じると、意識がゆっくりと沈んでいった……