74話 或る奴隷少女の過去 前編
【前エピソードのあらすじ】
未来の魔女の魔法詠唱を聞いた途端、俺はある少女の主観で、まるでそれを追体験するかのように、断片的な映像を見る。
周囲を不幸にする「不幸を呼ぶ奴隷」と呼ばれていた少女は、シェーミーという名の奴隷少女と出会う。
が、数秒後、小さな声でポツリと。
「クロエ」
すると、そのツインテールの女の子は言う。
「合ってて良かった。私はシェーミー、よろしくね!」
そう言うと、シェーミーは手を差し出してくる。
が、視線の主は動かない。
「ほら、握手しよっ!」
「あくしゅ?」
「友達の印!」
そっと手を差し出すと、シェーミーと名乗った彼女はがっつくようにそれを掴む。
「これで友達!」
手を掴んだシェーミーは輝くように笑った。
その顔を、ぼーっと見つめているのだろう。
視線がまったく動かなくなる。
が、シェーミーの顔は、やはりピントが合っておらずはっきりと見えなかった。
「お前もとっとと働け!」
ピシャリ!
鞭の音が響く。
この男、屋敷の中なのに、周囲も水にあんまりにも鞭を振り回している。
酔っているようにすら見える、酷い姿だ。
「はいっ! さーせんした!」
そんな鞭男に、シェーミーはお辞儀をしてから即座に地面を拭き始める。
彼女は拭きながら、ニコッとクロエと呼ばれた視線の主に笑いかけた。
気づけば――、無表情のまま流れていた涙がスッと引いた。
・
映像が流れるにつれ、俺は確信を持った。
視線の主は、おそらく幼い頃のクロエで……、おそらくこれは、彼女の過去の映像らしい。
クロエは奴隷のように、ずっと働かされていた。
そして、この家が4つめの主人の家。
俺は普通がわからないので何とも言えないが、クロエは奴隷として買われた貴族に何度か売られて、家を転々としていたらしい。
その4つ目の貴族の屋敷での生活。
別棟として設置された、物置小屋のような小屋で、たくさんの同じような境遇の女の子と共同生活をしているようだ。
狭い小屋に、10人ほどのボロ布を着た少女たちが収容されていた。
布団もないし、家具もトイレもない。
ただのがらんとした物置に、物が置かれるように少女たちが押し込まれている。
「今日から私たちの家族になる、クロエちゃんです!」
薄暗い部屋の中、視界の端でシェーミーはそう言って手を叩く。
すると、視線の先で、他の少女たちは手をパチパチと叩く。
しかし、視線の主はそれらの言葉を意に介さないよう、トボトボと歩いて部屋の隅で座る。
「ちょっと! クロエ!?」
そう言ったのは、シェーミー。
しかし、視線の主は部屋の隅で座って、俯いて動かなかった。
鳴っていた拍手は止まり、みんながひそひそと話し始める。
その声が聞こえないようにするためか、視線の主は耳を塞いだ。
耳を塞いで、目を瞑って俯いて、部屋の隅っこで小さく丸まった。
と、その時。
耳を塞いでいた手を、無理やりどかされる。
「ひっ……」
恐怖が籠った、幼いクロエの小さな声。
そして、本能的に目を開いたのだろう。
その瞬間、目の前にあったのは……、シェーミーやみんなの心配そうな顔だった。
「クロエ、大丈夫!?」
「痛いところあるの!?」
「シェーミーがいきなり自己紹介させようとするから、恥ずかしかったんでしょ?」
「深呼吸して」
口々にそう言って、視線の主を取り囲む少女たち。
しかし、そんな彼女たちに対し、クロエの微かな声が響く。
「痛いこと……、しないで、ください」
その言葉を聞いた少女たちはポカンと口を開ける。
しかし、シェーミーだけは違った。
一瞬の出来事だった。
シェーミーの身体が目の前にあって、背中に腕が回って、視界には、シェーミーの横顔。
きっと、抱きしめられたのだろう。
「大丈夫。大丈夫だよ」
静かに、耳元で囁くような言葉。
そして、なぜかその言葉は、涙声だった。
「どうして、泣いているの」
視線の主がつぶやくと、抱きしめたシェーミーが言う。
「クロエと会えたことが、嬉しくって」
その言葉を聞いた瞬間、だった。
ぼーっとしていた視線にピントが合っていく。
ぼやけていた部屋の様子や、周囲の女の子たちの顔が、鮮明になっていく。
「私と、会えて、嬉しい、の?」
「うん! 私も嬉しい!」
後ろからそんな声が口々に聞こえると、一人の女の子が、頭をわしゃわしゃと撫でる。
そして、抱きしめているシェーミーは泣きながら言う。
「相当、辛かったんだよね……」
抱きしめる腕に力が入ったのか、身体がシェーミーに近寄った。
しかし、視線の主は、拒絶するようにもがき始める。
「私は、嬉しくない」
と、同時に視線が再びぼやけ始める。
「え」
後ろの女の子たちがきょとんとすると、視線の主は小さな声で言う。
「私に近づかないで」
そう言ってシェーミーのことを突き飛ばす。
「痛っ!」
シェーミーの声が響くと、周囲のみんなはシェーミーに寄り添う。
「大丈夫!?」
視線の主は冷たく言う。
「私は悪魔。私に近づくと、みんな不幸になるんだって」
その声に、怯えたような表情になる少女たち。
視線の主は、再び部屋の隅で座って、目を閉じて、耳を塞ごうとした。
「だから、近づかないで」
そう言って、全てを拒むような小さくなろうとした、その時だった。
「じゃあどうして?」
シェーミーの声が聞こえる。
もう一度突き飛ばそうと考えたのか、視線の主の目が開いて、視界が開ける。
と。その瞬間。
「私は今、クロエと会えて幸せだよ」
動き出そうとした身体がピタリと止まる。
泣きながら笑っているシェーミーの顔は、とても柔らかくて、美しくて、全てを許すような雰囲気。
その顔を見ていると、視界が潤んだ。
「そうだよ! 私も幸せ!」
「早く、一緒に遊ぼ!」
「クロエがいると10人だから、ちょうど遊べるじゃん!」
そんな声が響く中、視線は地面に落ちた。
その優しさを受けてなのか、地面にポタポタと涙が落ちていく。
「クロエ、ようこそ」
その言葉に、彼女は下を向いたまま動かなかった。
と、涙声のシェーミーはみんなに向けて言う。
「クロエは1番新参者だから、みんなで守るよ!」
・
映像が切り替わる。
ぐぅーっと、お腹がなる。
視線の主のお腹の音だろう。
薄暗い景色。
「ご、ごめん。みんな……」
視線の主の声が変わった。
無機質だった声音に、ほんの少し感情がこもったように感じる。
少し時間が経過したのか、それとも、環境が変わって雰囲気も変わったのか。
「良いって! 気にしないで、」
そう言いながら、頭を撫でてくるシェーミーも身長が少し伸びている。
「……みんなは私を助けてくれるのに、私はみんなの足を引っ張ってばかり。いっつも、連帯責任になっちゃって、みんなを不幸に……」
涙声で放たれたその言葉を聞くと、目の前の少女は近づいて、頭を撫でてくる。
「私たちは家族だよ?」
「だって! 今日だって私が間違えて壺を拭いたせいで、みんなの夜ご飯が無くなっちゃった……」
そう言った視線の主、クロエ。
しかし、その言葉を聞いた全員が笑い、狭い小屋の奥の方から声が響く。
「はっはっは! 私も昔やらかしたよ!」
「あの壺、みんな一回は間違えるもんね!」
そして、シェーミーはこちらをまっすぐ見て言う。
彼女は今のクロエのように、長めの黒髪だった。
「ほら、泣かずに笑って! いつかみんなでここから出て、クロエも一緒に、楽しくて自由な暮らしをしよっ!」
柔和な口元や優しげな表情は一切変わっていない。
すると、視線は地面に落ちて、ぽつりとつぶやく。
「みんな……、どうしてこんな私のこと、優しくしてくれるの?」
ぽつりと言葉が放たれる。
周囲が一気に静かになるが……、ぽつりと、シェーミーの言葉が響く。
「そっか。クロエの次は、まだ、誰も来てないからね」
シェーミーはそう言うと、歩み寄って来る。
ボロボロの床を見つめている視界の隅に、黒くボロボロになったシェーミーの裸足が見える。
「みんな、クロエと一緒。それだけだよ」
「一緒……?」
「そう。私も、初めてここに来た日は、クロエと一緒だった」
その言葉に、視界の主は思わず顔を上げたらしい。
目の前でニコッと笑ったシェーミーと目が合った。
次回の投稿予定日は2026/1/1(木)です。




