58話 ここで一番食べたいもの
【前エピソードのあらすじ】
クロエから部隊のことを聞いた翌日、フィナに歴史を学ぶことの重要性を説く。
そして、その日の夜も再びクロエを待つ。
扉を開けると、心配は杞憂だったようで、クロエはきちんと今日も来ていた。
昨日見たときに負っていた切り傷は、1日でだいぶ減っていた。
フィナも怪我の治りが速いし、魔法使いはそう言う体質なのか?
しかし、傷の数こそ減っているが、今日も薄暗いアパートの廊下の地面に、元気なく座っている。
「なんで、ご飯を持ってるのよ」
彼女と目が合った瞬間、食って掛かるような彼女の声が響く。
「作りすぎた」
「うざ。私は食べないから」
ご飯の方を見まいと目を逸らすクロエ。
「じゃ、捨てて来るか」
俺が率直にそう言うと、クロエは目を逸らしたまま言う。
「最低。世の中には食べられない人もいるのよ」
「クロエ、本当に助けてくれ、頼む」
俺ができる限り演技臭くないよう感情を込めて言うと、廊下に座っていたクロエはこちらを見て、ため息をついた。
「あなたのことはもう二度と助けないと、今決めた」
そう言いながら、クロエは俺の手からどんぶりを左手で取る。
そして、どんぶりの中に突き刺していたスプーンを手に取り、一口食べた瞬間。
「ん、美味し……」
と、言葉を漏らす。
食べ物を前にすると、クロエは少し素直になる。
それに、あんなに文句を言っていたのに、食べた瞬間に言葉が漏れるなんて、相当美味しかったのだろう。
俺も少し嬉しい。
当の本人はチラリとこちらを見た後、どんぶりの中に顔を隠すように埋めて、食べ続ける。
なんだか本当に、黒猫に餌付けをしている気分になる。
彼女の勢いは止まらず、今日も、5分足らずで食事を吸い込んだ。
食べ終えたクロエが満足げにどんぶりを俺に渡すや否や、俺はクロエに言う。
「そしたら、今日は俺から何個か質問させてくれ」
「は?」
クロエの表情は、ご飯を食べた後も昨日と変わらず、ずっと悩んでいるような表情のまま。
切れ長な二重が垂れ下がってしまっている。
「もう二度と助けないって言ったでしょ。質問は受け付けない」
「昨日の話を聞いて、俺も自分なりに質問を考えて来た」
「は? 勝手に始めないで」
今日は、昨日に比べ、やけにけち臭い。
どうやら、本気で俺を助けないつもりなのかもしれない。
「まず昨日の質問に答えてくれ。クロエが部隊に入らない理由を教えてくれ」
それでも強引に切り込んでみる。
「いや、待って」
予想外にも、クロエは急に神妙な顔で考えてから――、俺の目を見て言う。
「やっぱり、2つ、いや3つまで。質問して。その代わり……」
そこまで言い淀んで、長い沈黙が訪れる。
何やら、とても悩んでいることがあるらしい。
俺が気長に待っていると、1、2分後、ようやくクロエは口を開いた。
「あなたの意見を聞きたいことが、あって」
取引の提案か。
本来、取引の内容を聞いてから乗るべきだが――、クロエとの関係をつなぐことが最優先だ。
「分かった、じゃあまずは1つ目を答えてくれ」
「……、詳細は聞かないのね」
「ああ、意見を言うだけなら簡単だからな」
俺がそう言うと、クロエは静かに暗い住宅街の景色の方を見た。
その表情はどこか物憂げで――、悩みを抱いているような、そんな様子。
しかし、すぐに俺の方を向き直して言う。
「1つ目の質問に対する答えは――、誰かと一緒にいることが嫌だったから」
「魔女になりたいけど、だれも付いてこなかったわけではないのか」
「フィナじゃあるまいし……。言っておくけど、私は弱くないから」
まあ、それは事実だろう。
クロエは六門生筆頭で、合成詠唱? とやらを使える。
ラミアと言う魔法使い同様、フィナと同じ世代の未来の魔女の弟子の中で、隊長に擁立されてもおかしくない。
まあ……、性格は拗らせているが。
「それなら2つ目、クロエは何のために魔女候補生となり修行に出たかを知りたい」
クロエは怪訝な様子で俺の顔を見る。
が、俺は一切動揺せず、クロエの顔を見続ける。
「その質問といい、さっきの質問といい……、何が目的なの?」
「大方推察はついてるんだろ。クロエのことをそんなにバカだと思ってない」
「買いかぶりすぎね、全く分からないわ。あなたが私に興味を持ったとか?」
「ほぼ正解だ。俺は幻影の魔法使いクロエに興味があって、質問を3つまで許可されたから、尋ねただけだ」
クロエの表情は先ほどから少しも変わらない。常に悩んでいるような、重たい表情のまま。
「……理由は二つね。私は自分の魔法使いとしての実力を証明するため、そして、修行に出たみんなを守るため」
クロエは自分の魔法使いとしての実力を確かめるために修行に出た、ということか。
ん?
部隊に入らないのは、誰かとつるむのが嫌だから。
けど、クロエはみんなを守るために修行に出た。
この違和感、気のせいだろうか。
「けど、みんなには歴史に名を残す魔法使いになりたいって言っていたかしら、みんな、目標が高いから。あ。あと……、この世界の食事に興味があったこともある」
食事の話を言う時、ほんの少し、クロエの声のトーンが上がる。
「食事? 飯に興味があったのか?」
「それ、3つ目の質問?」
「いやいい。明日からは面白い食事を用意しよう」
「ふん。もうここには来ないし」
クロエはただ夜の景色を見ながら、呟くようにそう言う。
しかし、本当に来てくれないのなら困ったな。
「じゃあ3つ目、クロエが一番食べてみたい料理はなんだ?」
クロエはきょとんと俺の顔を見る。
「質問個数が余った」
俺が正直にそう言うと、クロエは一瞬、油断をしたように顔が緩んだ。
ようやく、彼女の重苦しい表情を崩すことができた。
「くだらない。余ったならさっき使えばよかったじゃない」
「いや、こっちの方が気になった」
「もう少し真剣に考えなさいよ……」
クロエは呆れた様子で俺を見るが、俺は視線をそらさずクロエを見続ける。
と、クロエは観念したように言う。
「ま、いいわ。私が一番食べてみたいのは、すき焼きね。この世界の人は、家に専用の鍋を持っていて、地域ごと――、いや、家ごとに具や味が違うと聞いたわ」
すき焼きなんて料理が、魔法使いの世界に知れ渡っているのか。
「すき焼きは、簡単には作れないな。鍋も持ってない」
「だから食べてみたいのよ。家で作れる高級料理なんでしょう?」
「ああ、高級料亭でもすき焼きはメニューとして存在する」
「へえ、お店でも食べれると言うのも、本当なのね」
クロエは俺の目を見つめて、その黒い瞳をキラキラと輝かせて言う。
なんだ、この純真な瞳は……。まるで憧れを語る子供のような瞳。
俺は不意を突かれたので、思わず目を逸らし、羽虫が集まっている廊下の蛍光灯を眺めながら考える。
あんな目を見せるなんて、クロエは相当なグルメらしい。
「でも、私はお店ではなく家で食べてみたいの。余った出汁でいろいろアレンジもできると聞くし……。ちなみに、あなたは食べたことがあるの?」
「もちろん」
「どんな味? 茶色の甘いスープに、薄く切った牛肉や細い麺、野菜、きのこを入れて食べるんでしょう?」
「美味しいぞ。ただ、すき焼きをするときの注意点は良い肉を使うことだ。良い肉じゃないと、鍋全体に肉の臭みが移ると、本に書いてあった。だから、すき焼きは高級料理なんだろうな」
「な、なるほど……。家でも店でも、中途半端なすき焼きはダメってことね」
いや、それもすき焼きではあるが……。
「……はあ」
突然、クロエは俺の前でため息をついた。ので、俺はクロエの表情に視線を戻す。
彼女は油断をしたのか、俺に対して心底つらそうな表情を見せてしまっている。
ため息も深くて重い。
そして、数秒の沈黙。
意外だ。俺の前で弱みを見せるような奴には見えない。
不機嫌になられても困るので、俺は黙っていると、クロエはまた、重たい感情を押し殺すような表情に戻って、俺から目を逸らし、呟くように言う。
「さっきの話なんだけど」
クロエは話を切り出した。
突如、クロエの表情に光が差し込んだので、空を見た。
今日の月は、下弦の月に近い形。
雲に隠れていたそれが、顔を出したらしい。
「俺の考えを聞かせて欲しいって話か?」
「……ええ。誰にも口外しないと約束できる? 特に、フィナには」
「ああ。そのくらいなら」
微妙な沈黙。
何か、深い事情があるような気はする。
と、その直後、クロエは無理やり立ち上がりながら言う。
「それなら明日、私について来てほしい。現場を見てもらった方が良さそうだから」
いろいろ気になるが、余計なことを言ってクロエの気が変わることは避けたい。
「分かった。いつ、どこに集合すればよい」
「明日、いつでもいいわ。明日は朝から、ここで待ってるから」
俺は頷くと、扉に戻る。
クロエは俺が扉をくぐる瞬間、彼女は立ち上がってどこかへ向かった。
・
俺は玄関から家に戻り、洗い物を始めようとした。
その時だった。
ガラッ。
隣の部屋の窓が開く音。
俺がそちらを見ると、黒色のワンピース姿で、むっすーっと膨れたフィナが立っていた。
はぁ、どうするか。疑って起きていたらしい。
「フィナ、起きてたのか」
俺がそう言うと、フィナは明らかに不機嫌な声音で言う。
「ずいぶん、クロエちゃんと仲良くなってるじゃん」
フィナは、頬をぷーっと膨らませ、両目をジトッと下げて俺を睨んだ。
次回の投稿予定日は11月19日(水)です。




