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第6話:桜

 高さはおよそ三十三尺。立派な桜だが、樹皮はひび割れ枝は力なく垂れ下がり、満開の時期なのに薄桃色の花びらは一枚もない。あまりにも悄然とした痛々しい姿に、菖蒲は言葉を失ってしまった。明臣もまた、先祖から受け継ぐ“鬼桜”を思うと表情が硬くなる。

「見ての通り、いつ枯れ落ちてもおかしくない状況なんだ。大事な桜だから枯らしたくはないのだけど……もう難しいかもしれないね」

「そんな……」

 菖蒲は物悲しい思いで鬼桜を見上げる。流れる春風に揺れる枝は今にも折れそうだ。眺めていると、ふと菖蒲は思った。

「明臣様、この桜は異能に蝕まれている可能性はあるでしょうか」

「……異能に?」

「もし異能が原因なら、私の力で弾けるかもしれません」

 菖蒲はそっと鬼桜に触れる。力強く触れたら皮膚を傷つけるほどにガサついた樹皮が、菖蒲の手を迎える。“死”の気配を色濃く感じ、菖蒲の胸に不気味な冷たさが訪れた。彼女がこの感覚を覚えるのは初めてではない。今から九年前にも……感じた。

 ――……瑞樹の死。

 脳裏には、瑞樹の弱る日々が鮮明に思い出される。間近で過ごした菖蒲は、本人も知らないところで“死の感覚”に鋭い感性が築かれた。意図せず辛い記憶が蘇り、菖蒲の額にはじっとりと脂汗が浮かぶ。

「あ、菖蒲、大丈夫かいっ? 無理はしちゃいけないよ。もうやめなさい」

「いえ……やらせてください。明臣様の役に立ちたいのです。このような私を妻に迎えてくださった明臣様のために……」

「菖蒲……」

 明臣は彼女を鬼桜から離そうと、伸ばした手を下げる。菖蒲の気持ちに、心が打たれた。

 ――明臣様が大事な物は、私にとっても大事な物……。

 九条家に来てまだ数日も経っていないが、菖蒲には明臣の優しさがすでに十分伝わっていた。自分を見守る穏やかな視線、緊張を解すような温和な声音……。内薗家で虐げられ壊れそうになった心を、優しく優しく癒してくれた。自分も明臣の不安や心配を、少しでも和らげたい。いつしか、菖蒲は思うようになっていた。鬼桜のひび割れた樹皮に両の掌を当て、元気になれ……と菖蒲が強く念じたとき、彼女の手から白い波動が放たれた。瀕死の桜の幹全体に広がり、梢まで伝わる。菖蒲が驚き思わず手を離す寸前、最後の超常が鬼桜で起きた。樹の全体から漆黒の靄が弾けるように放出され、空中へと霧散したのだ。

「あ、明臣様、今のはいったい何でしょうか……」

「異能が弾かれたんだよ……。菖蒲の力によって……」

 詳しく話す間もなく、菖蒲も明臣も、そして凛も鬼桜の変貌に目が奪われる。

「うそ……」

「信じられん……」

 樹皮はみるみるうちに潤いを増し、枝は力強さを取り戻し……満開の桜が咲き誇った。春風に舞い、桜の豊潤な香りが中庭を満たす。華やかな香りに誘われ、屋敷から大勢の使用人が顔を出した。みな、満開の鬼桜を見て、感動で言葉を失う。

「奥様が鬼桜を甦らせてくださいましたよー! 奥様の異能で鬼桜は復活したのですー!」

 凛が良く通る声を張り上げると、たちまち屋敷中は大歓声で包まれた。菖蒲が急いで彼らの興奮を静めたかったが、明臣がそうさせなかった。

「ありがとう……ありがとう、菖蒲!」

「あ、明臣っ!?」

「調べてみないとまだわからないが、おそらく妖の異能により枯れかけていたんだよ。菖蒲が弾いてくれたから復活したんだ」

 明臣は身体的な接触を控えるという自分で決めた取り決めをすっかり忘れ、菖蒲を力の限り抱き締める。

 鬼桜が枯れかけた原因は、概ね明臣の予想通りであった。今から半年ほど前、明臣や屋敷の者たちが知らぬうちに、一匹の小さな妖が“木を枯らす異能”を鬼桜にかけた。弱い異能ではあったが、年月を重ねるうちに鬼桜を蝕んだのだ。

 いつの間にか凛も二人の近くに来ており、舞い散る花びらをせっせと集めては桜吹雪のように撒いていた。菖蒲は辛うじて腕の隙間から顔を出し、凛に懇願する。

「凛さんも桜吹雪を止めていただきたく思うのですが……」

「いいえ、なりません! 愛でたいことは祝わなければ!」

 明臣の腕で顔を赤らめる菖蒲の髪に、何枚もの桜の花びらが舞い降りる。

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