第二章:毒女 x 毒女 x 毒女(4)
「ああしなければならない状況であったのですが、わたくしがうまく立ち振る舞えなかったばかりに、アルバート殿下にもハリエッタ様にもご迷惑をおかけしてしまって」
「それでは、あのときの奥様のお姿は本来のお姿ではないと?」
ネイサンの質問に対する答えは難しい。あのときのクラリスは、アルバートたちを陥れようとする者たちを威嚇するときの姿であるから、間違いなく本来の姿の一つ。威圧するような態度をとり、アルバートやハリエッタに怪しげな人を近づけないようにしていた。
「それもまた難しいところではございますが。少なくともここにいる間は、あのような失態をお見せしないように努力いたします」
嘘とはならない言葉を選んで答えた。
「奥様はいろいろと謎があるようですね」
「二年間のお付き合いですから、こちらも手の内をすべてさらけ出すわけにはいかないのです。ですが、こちらでは旦那様にご迷惑をおかけしないように振る舞っていくつもりです」
歩きながらネイサンは、何かを考え込むかのように、顎に手を当てた。
「ユージーン様が変な提案をしてしまい、申し訳ありません。離婚前提の結婚って、考えてみればおかしな話ですよね?」
「いいえ、そのようなことはありません。わたくしは誰とも結婚するつもりがありませんでした。ですが、陛下からあのように命令されてしまっては断れません。旦那様まで巻き込んでしまって、心苦しく思っております。だから、離婚前提で結婚すればいいと提案されたとき、この方、天才なのではないかと思ってしまったのです。旦那様のおかげで、このように前向きにこの地に来ることができました。旦那様には感謝しても感謝しきれません」
あのときハリエッタは、クラリスにぴったりの男性を知っていると言っていた。どのような男性であるか不安な面もあったが、今ではハリエッタにも感謝している。いろんな意味でぴったりの相手だった。
「わたくしのわがままで温室まで用意していただいて。本当に感謝しかありません」
「その温室なのですが……」
なぜかネイサンの歯切れが悪い。
「ユージーン様が手紙にも書かれていたかと思うのですが。まあ、ずっと使っていなかった温室でして。少しは整備したのですが、場所も場所なだけに……」
そうやって話をしているうちに、温室に着いた。
外から見ただけではいたって普通の変哲のない温室である。ただ、裏にはうっそうと繁った森がある。
「まあ、素敵なところですね」
クラリスは両手をパチンと合わせ、うっとりとした様子で温室と森を見た。
「え、えと。奥様?」
「温室の場所が理想です。こちらは日当たりが良いのに、裏は木々が生い茂ってじめじめとしている。二つの世界を同時に味わえるような場所ですね」
「え、と。まあ、そうですけれども……他の場所に温室を用意するとユージーン様がおっしゃっておりましたので。少しの間だけこちらで我慢していただければ、と」
「そんな、我慢だなんて。わたくしはこの場所がとても気に入りました。早速、準備を始めてもよろしいでしょうか? あと、森の中にも入ってみたいのですが」
クラリスは右手でビシッと、木々がさわさわと揺れる森を指差した。見るからに太陽の光が届かないような、うっそうとした暗い場所。
「奥様。森は危険です。絶対に入らないでください」
「え、どうしてです? あそこは理想の場所です。王都にはなかった場所なのです」
「そうです。あのような危険な場所はここにしか存在しません。誰も近づかないようにと、ここで働く者たちにはきつく言ってあります」
それでもクラリスは、ネイサンをじぃっと見つめた。おもちゃをねだる子どものように「行きたい、行きたい、行きたい」と、その気持ちを視線で訴える。
「奥様。そのような顔をしても駄目なものは駄目です。王都と違って、ここは頻繁に魔獣が現れます。その魔獣に対抗するためか、生き物や植物が……」
「キャァアア!」
どこからか、女性の悲鳴が聞こえてきた。
クラリスはネイサンと顔を合わせ、頷き合う。二人は、声がしたほうへと足を向けた。
スカートの裾をバサバサと翻しながら走るのははしたないとされていても、クラリスにとって今はそれどころではない。
悲鳴があがったというのであれば、それは予想外の何かが起こったということ。それが好ましいほうの予想外であればいいのだが、今の悲鳴を聞く限り、悪いほうの予想外だろう。
「恐らく、地下だと思います」
城の地下は倉庫になっており、外からも中からも出入りできるつくりになっている。外から地下へと続く扉は開け放たれたまま。
『キャ……あっち行って』
ネイサンの予想とおり、悲鳴の主は地下にいるようだ。ネイサンは迷いもせずに階段を降りるが、もちろんクラリスも後に続く。
地下室は地上に半分だけ出ている採光用の窓から明かりを取り込んでいるため、まだ日の高い昼間はランプをつけなくても十分に明るい。
いろいろとものが並んでいる棚の奥。壁を背にして一人の女性が座り込んでいた。隣では同じように座り込んだ男性が苦しそうに手首を押さえている。
「……蛇か? 噛まれたのか?」
座り込んでいる二人の前で蛇がとぐろを巻いていた。これは蛇が警戒している証拠だ。男女と蛇の距離は二メートルほど離れているかいないか。
ネイサンの呟きが聞こえたのか、女性はこくこくと頷いた。
「ネイサン。蛇はわたくしに任せてください。あの蛇は毒をもっておりますので、すぐに治療を。解毒薬はメイが持っておりますから」
「え、いや。しかし。奥様、危険ですからお下がりください。すぐに兵を呼んできます。彼らは魔獣討伐を専門としているため、こういった生物を駆除するのも彼らの役なのです」
「わたくしは、表向きは薬師です。蛇の動きを鈍らせるような薬も持っておりますから」
クラリスは常に、危険生物を駆除したり手懐けたりする薬を持ち歩いている。危険生物は魔獣とは異なり、人に向かって水や火を吐かないものの、体内に毒をため込んでいる。だからその危険生物に人が噛まれると、毒によって侵される。さらに、場合によっては人の体内に卵を産み付け、孵化した幼虫が人の内臓を食い散らかすような人食い生物と呼ばれる生き物も存在するため、魔獣とは違った意味で人々の生活を脅かしている。
そんな危険生物たちであるが、クラリスにとっては特に毒を持つ危険生物はまたとない獲物であった。
「いいですか? ネイサン。わたくしがあの蛇を引き寄せている間に、あの人たちを地上へと連れていってください」
「ですが、奥様」
「わたくしはここの女主人です。旦那様が不在の今、わたくしの言うことを黙ってききなさい」
クラリスがピシャリと言い放つと、ネイサンも諦めたようだ。