第二章:毒女 x 毒女 x 毒女(1)
ゴトゴトと豪奢な馬車に揺られているクラリスは、あくびをしそうになって慌てて口元を手でおさえる。
馬車の周囲は、護衛のための騎士が並走しているし、後ろからは荷物を積んだ馬車もついてくる。むしろ並走している騎士は護衛なのか見張りなのか、微妙なところだろう。
「はぁ……」
おもわずため息がこぼれた。クラリスが向かう場所は、東の国境にあるウォルター辺境伯領。王都からは馬車で五日かかる距離だと聞いている。まだまだ先は長い。
クラリスは王都生まれの王都育ちである。クラリスが生まれたときには、すでに父親は王国騎士団の近衛騎士として王城で働き、母親も薬師として王城に勤めていた。ベネノ侯爵領は王都から馬車で半日もかからない場所にあるため、父親は王都と領地を行ったり来たりしていたようだ。
だけどクラリスは、母親と四歳年下の弟デリックと、王都にある別邸で暮らしていた。それは、クラリスの体質も理由の一つである。
十歳になったとき、クラリスも王城へと通うようになる。そこで出会ったのがアルバートであった。初めて出会ったときから、アルバートはクラリスが仕えるべき主君であり、生涯をかけて彼の側にいるものだと思っていた。
それなのに突然の結婚命令。アルバートからの命令ではなく、国王からの命令。絶対に断れない。
結婚の相手はユージーン・ウォルター。年はクラリスよりも五つ上の二十六歳で、アルバートと同い年だそうだ。
クラリス宛に縁談が届いたとき、両親は大喜びだった。
両親はきっとクラリスが一生結婚しないものだと思っていたのだろう。むしろクラリスはそのつもりだった。
だけどハリエッタとアルバートが共謀してクラリスの結婚相手を決めた。
クラリスからしてみれば断れない縁談であっても、向こうはそうでもないかもしれない。魔獣討伐団の団長であり、辺境伯。ただの侯爵令嬢であるクラリスよりも、ものすごく立派な身分の方である。だから、あわよくば彼のほうからこの縁談を断ってくれないかなぁなんて思っていた。
そう思っていた矢先、ユージーンから手紙が届いた。
手紙を読んだとき、目から鱗がボロボロと落ちた。
(ウォルター伯は、天才では?)
そんな気持ちがクラリスの中に生まれた。
ユージーンからの手紙に書いてあるとおり、結婚しろと国王は命じたが、離婚するなとは命じていない。つまり、一度結婚という事実を作ったうえで、お互い、時期をみて円満に離婚しようという提案であった。
裏を返せば、ユージーンも権力には逆らえないということ。
だけどクラリスにはその発想はなかった。会ったこともない将来の旦那様に、なぜか親しみを覚えた。
断れない結婚であるならば、離婚前提の結婚を受け入れる。ただし、クラリスだって結婚期間の二年間を無駄に過ごしたくはない。そのため、温室を用意してもらないだろうかと、それだけを依頼した。
するとすぐにユージーンから返事がきた。
温室は用意する。また、クラリスに好いた男性がいるのであれば、ユージーンとの結婚期間を終えてから、その者と一緒になってほしい――
だが、残念ながらクラリスに好きな男性はいない。強いて言うならばアルバートであったのに、彼とは離れなくてはならない。
むしろ、ユージーンには好いた女性がいないのだろうか。いるのであれば、それを理由にこの縁談を断ってくれないだろうかと、そんな淡い期待を込めて、手紙に記す。
しかし、彼から届いた返事には、好きな女性はいないため縁談を断る理由がない。ようは、断れないと再度書いてきた。そのうえで、この結婚を受けると国王には返事をした、と。
(あぁ……やはり結婚しなければならないのね。だけど、二年間だけ我慢すればいいのよ。二年間、別の土地で学ぶと思えばいいの)
そうやってクラリスは自身を励ました。
ユージーンは、結婚の前にクラリスの両親と顔を合わせたいようであったが、魔獣討伐から戻ってきたばかりのため、領地からなかなか離れられないらしい。クラリスとしては、結婚する時期が遅れれば遅れるほど王都にいられるわけだから、気長に待つつもりでいた。
けれども、そんな二人にしびれを切らした者がいる。もちろん、アルバートだ。また権力を使って、さっさとクラリスをウォルター領へと行くようにと命じてきた。なかなか領地を離れられないユージーンを思ってのことだと、もっともらしい理由をつけてきたアルバートでだが、さっさとクラリスを王都から追い出したかったにちがいない。
結婚式の日取りを決めるのはそっちのけで、まずは結婚誓約書にサインをしろと、そんな話であった。
クラリスの両親も、この機会を逃せばクラリスが結婚できないのではないかと思っているようで、アルバートの意見に賛成したのだ。
クラリスは外堀をすっかりと埋められてしまった。
そうと決まれば、母親が張り切って荷造りをする。あれも持ってこれも持って、ああでもないこうでもないと、楽しそうに勝手に荷造りをしていた。
そんなわけで、いったい何を荷物として持ってきたのか、クラリスは全部を把握していない。
「クラリス様、お疲れですか?」
侍女のメイが、心配そうに顔をのぞき込んできた。メイはクラリスがベネノ侯爵家から連れてきた侍女である。クラリスは少しだけ特別な体質であるため、その体質を理解している者が近くに必要ではないかと、両親が気にかけてくれたのだ。
クラリスとしても、見知らぬ土地に行くのに、知っている者が同行してくれるのは心強い。ただ、メイの気持ちも重要である。それを確認したところ、彼女は「喜んで」と答えてくれた。
だから今、こうやって近くにいてくれるわけだが、つくづくメイがいてくれてよかったと心から思う。
「いいえ、大丈夫よ。ちょっとね、やはりいろいろと考えてしまって……」
「そうですよね。あれほどアルバート殿下に尽くしたというのに、まるでぼろ雑巾のようにポイッと捨てられて……お嬢様が本当に不憫で……」
メイは、これからクラリスがウォルター領で暮らすことを案じているようだ。
「だけど、ウォルター伯であれば、わたくしよりももっと素敵な女性がいらっしゃると思うのよね」
まるでクラリスと結婚させられるユージーンがかわいそう、とでも言うかの口ぶりである。
「でもわたくし、ウォルター伯は天才だと思ったのよ」
するとメイは目をくりっと広げて、クラリスの次の言葉を待っている。
「陛下は、わたくしたちに結婚しろと命じたわ。ですが、離婚するなとは言っていないって」
ユージーンとの手紙の内容を、今までにも誰にも伝えていなかった。これを家族に言えば、ユージーンの不名誉が広がってしまうと思ったからだ。だから離婚前提の結婚であることは、クラリスの家族はもちろん知らない。